駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『広島ジャンゴ2022』

2022年04月07日 | 観劇記/タイトルは行
 シアターコクーン、2022年4月6日18時半。
 広島、その中心部からは外れた海辺にある牡蠣工場。黙々と牡蠣の殻を剥き続ける新入りのパートタイマー・山本(天海祐希)は、シフト担当の木村(鈴木亮平)を筆頭に従業員たちに囲まれ、工場長・橘(仲村トオル)が開く懇親会に出席するよう説得されていた。だが「休日には予定がある」とにべもなく断る山本は、残業も断り娘のケイ(芋生悠)とともに帰宅していく。その夜、心身ともに疲弊した木村は姉のみどり(土居志央梨)と話しながら、お気に入りの西部劇を見るうちに眠り込んでしまい…
 作・演出/蓬莱竜太。蓬莱竜太のシアターコクーン初登場作。2016年に広島県出身、在住の演劇人と制作した『広島ジャンゴ』をフィクション性、エンタテインメント性を高めてブラッシュアップ。全2幕。

 ポスター・ビジュアルは実はすごく秀逸なのだけれど、でもそこにあるキャッチのようなエンタメ・ウエスタン活劇を期待して油断して行くと、ガツンとアテられちゃうんじゃいなかな、というような作品でした。私はそんなにたくさん蓬莱作品を観ているわけではないけれど、ああいかにも蓬莱作品、と感じるざらりさでした。エンタメ作品としてはちょっと生硬すぎるのではないか、とも思うくらいでしたが、これが2022年の演劇なのだ、とも言えるかな、と思いました。
 ダブル主演で、現代の広島と西部の町「ヒロシマ」がオーバーラップするような物語。その構造が効いていました。戦う女と、傍観する男の物語です。戦わざるをえない女と、ともに戦うことから逃げている、見て見ぬ振りをすることで加害者側に加担している男の物語、と言ってもいいかと思います。
 現代の広島では、木村はワンマンなボスや周りの同調圧力に振り回され虐げられ、問題を直視せず、見ない振りして趣味の西部劇の世界に逃げています。西部劇は「悪いヤツしか死ななくて、すべての弱者は救われて、そういう夢みたいな話」だから。でも実際に(?)西部の町ヒロシマに舞台が移ると、横暴な町長が搾り取る税金にみんなが苦しめられていて、腰巾着は浮かれていて、違う解決ルートを探している一家も行き詰まっていて、希望の光なんかもう全然見えない。ウエスタン世界の方があたりまえですがさらに暴力的で無法地帯なのです。
 そこでは木村はディカプリオという名の馬になっていて、ますます傍観者としてしか事態に関われない。広島でシングルマザーとして娘を守りひとり苦闘していた山本は、ここでは凄腕のガンマン・ジャンゴになっていて、やはり娘を連れて旅をしている。ユリちゃんは「強くカッコいい女性」の代表格のような女優さんですが、山本もジャンゴも本当は娘に支えてもらっているような、弱いところもある、実はごく普通の女性なのである、というところがミソです。決してスーパーウーマンなどではない。ただ守りたいものがあるから、歯を食いしばり拳を握りしめて、逃げないでいるだけなのです。でも木村もディカプリオも彼女の側に回れず、ただ傍観している。そして事態はどんどん悪くなっていく…事前にアナウンスがされていましたが、それとも暴力表現や性暴力描写は凄惨です。私はやっている俳優のメンタルケアもしてあげてよね、とか考えたくらいでした(プログラムでは仲村トオルも野村周平も悪役楽しー!みたいなテンションだったので、安心するというか、こういう役をやることで自らの男性性の暴力性とかを鑑みることはないのかとかちょっと残念に思うくらいでしたけどね…)。
 それでも、物語なので、ギリギリのところでダムは壊され水は戻り人々は潤い、悪は倒されるのでした。そうしてやっとディカプリオは学び、姉への想いを胸に、木村に戻って、橘に逆らい、山本に話しかける…
 そう、それだけでいいのです、そこからでいいのです。見て見ぬ振りをしないこと、それだけでいい気になっている加害者を鼻白ませることができる。暴力を止められる。他のみんなもおかしいことはおかしいと言い出しやすくなるのです。西部の町では人の命が軽くて、そこで死んだ者は帰らない。それはみどりも残念ながらそうなんです。でもまだそこで止められるはずなのです、止めなければいけないのです。もう令和なんだから、21世紀なんだから、人はまがりなりにも進化してきて賢く優しくなってきたはずなのですから。勇気を出さなければならない。自分の戦いでなくても戦わなくてはいけない。せめて見ない振りはやめて、連帯しなければならない。離れた作業台で、背を向け合ってでもいい、たわいないおしゃべりをして、友達になろう…静かな、良きラストでした。

 沢田夫妻、西部ではチャーリーとマリア(藤井隆、中村ゆり)のポジションがあるのが上手いし、その娘エリカ(北香那)がケイと仲良くなる展開もとてもよかったです。このくらいの歳の娘同士はすぐ仲良くなれる、という美しさ。それはかつてのアンナとドリー(宮下今日子)もそうだったのでしょう。1幕ラストは彼女たちの青春だったのか、でもあのディスコサウンド(笑)からするとむしろ山本の若いころなんでしょうか。
 幼なじみ、というのは橘と沢田、ティムとチャーリーもそうだったのかもしれません。でも男同士はすぐ上下関係を作るし、こじれる。チャーリーの折れ方、マリアの堕ち方…わかりすぎてつらかったです。手下が3人、娼婦も3人、というのも演劇的に美しい構図でした。尚美/パメラ(池津祥子)の位置もまた上手くて、もちろんこういう生き方をしてしまう女というものもいるものなのです。実によくできている芝居でした。
 役者もみんな達者で、お若い人もとても素敵でした。宮下さんて八嶋さんの奥さんなんですね…! ときめき(笑)。鈴木亮平のラップやロック歌唱(笑)もとても効果的でした。これが成立するのがやはり演劇なんだと思うなあ。
 でも馬がチャップス穿いてどーする、とはつっこんでおこう(笑)。わかっているんですよ、西部劇のイメージなんですよね。でもあれはカウボーイが、馬乗りが穿くものです(笑)。でもディカプリオがちゃんと鐙下げているのには笑いました。いいぞ!
 もともとは2016年の作品ですが、このところ西部劇というものは見直されている題材だったりもするので、その符合もおもしろく感じました。千秋楽まで、どうぞご安全に。これで新しく演劇というものに触れる人がたくさん生まれることを期待しています。






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