宝塚歌劇花組公演『巡礼の年/FE!』の集合日に、この公演の東京千秋楽をもってつかさっち、でぃでぃ、おとくり、せりなくんが卒業することが発表されました。
おとくりはまあ、なんとなく予感がないではなかったんですよ…そもそも彼女に路線が用意されているなら、そもそも華ちゃん就任もまどかスライドもなかったんじゃないの?と思うので。ゆきちゃんとかくらげとかひらめみたいな逆転人事はそうそうないものだよね、とも思っていたので。なら早々に辞めて外部でオーディション受けまくるのもテだよね、とか勝手に考えていたのです。
でもつかさっちは…つかさっちは……
イヤ衆目の一致するところではもっといればさらにいいおじさん役者になったのに、というところかもしれませんが、私はこの人は二の線が似合うのがいいところだと思っていて、でもそれもやはり長くいればいい感じに発揮できる場所がこれからも絶対に与えられるよと思っていたということで、つまりはやはり路線はそもそも用意されていなかったと思ってはいたということなんだけどさ、だからそれならやはり早々に…という判断ももちろんわからなくはないんだけどさ、イヤ真相はわからないしご本人の決断が一番で誰も何も口出しはできないんだけどさ、でもさ、でもさ…
とかぐるぐる考え出したら、書かずばなるまい、と思ったのでした。まずは自分のためです。そしてやっぱり、この作品が好きなのです。
次の本公演、れいまどが好きなのでそもそもそのつもりでしたが、ちゃんと初日から行きますね。
しかしこのご時世がホント憎いよねえ…自分のときを考えるに、入り出でご本人のお話が聞けるってのはファンにはホントありがたいことだった思いますよ…
※※※
事件は、自宅に押し入ったアナーキストが起こしたこととして処理した。大晦日の食事会にアンブルとオクターヴが出席していたことは使用人と当の出席者しか知らなかったし、ミッシェルとエルミーヌには口止めするまでもなかった。新聞にはあれこれ掻き立てられ、社交界でも噂は喧しかったようだが、パリにはよくあることだとされて、やがては次の話題に場所を譲ったようだった。
警察が駆けつけたときにはアナーキストの息がまだあり、私と一緒に病院に担ぎ込まれて一命をとりとめた。裁判の結果次第だが、極刑は免がれるのではないだろうか。服役中の劇場爆破事件の犯人の男ともども、いずれ釈放されるよう手を尽くしたいとは思っていた。それがなんの罪滅ぼしになるわけでもないが、ただそうしたかったのだ。
幸いにも弾は神経や腱などを傷つけてはおらず、手術はごく短時間で終わり、入院も短期間で済んだ。安静にして傷さえ塞がればすぐにも杖をついて歩けるようになるし、いずれは杖も手放してすっかり元どおりになれるだろう、というのが医師の見立てだった。病院は住み込める看護人を手配すると言ってくれたが、クロエが言下に断った。彼女は優秀かつとても甲斐甲斐しい看護人となって、私のベッドに食事を運び、給仕をし、トイレに立つときは体を支えてくれ、着替えさせ、毎夜体を拭いてくれた。
夜は寝室に持ち込んだ長椅子で眠った。同じベッドに入ると、寝返りを打って揺らすなどして負担になるといけないから、と言う。昼間はこれまた持ち込んだ文机で、山と来る見舞いの手紙やら何やらに返事を書いたり、私の退屈を解消しようと新聞や流行りの小説を朗読してくれたりした。私は部下の報告書に目を通しながら、彼女の低い静かな声を聞くのが好きだった。
だが、彼女がミッシェルの産褥の床にあったときに、私はこんなふうに彼女をしげく見舞っただろうか、と思うと冷や汗が出る。息子が生まれたことは本当に嬉しくて、彼女にはただ感謝しかなかった。出産に面やつれしても彼女は美しく、私の愛情はいや増すばかりだったが、仕事が忙しい時期だったこともあり、また何故か妙に照れてしまって、今彼女がしてくれるようには親身に付き添えていなかった気がする。思えば私はいつも空回りばかりしているのだ、恥ずかしい限りだった。
日々は穏やかにすぎ、オーギュストの幻を見ることは減った。大晦日の事件があっても、それで何かが解消されたとは思っておらず、罪は罪として一生背負っていくべきものだと考えてはいた。それは消えてしまったアンブルとオクターヴも同じだろう。どこでどうしているのだろうか。幸せを願うのは不遜なことだろうか。せめて健やかでいてほしかった。
私が未だ出歩けない状態でも、夜会や慈善パーティー、観劇や馬術の観覧会など、クロエへの招待状は引きも切らないようだった。彼女がいない社交界は火が消えたような寂しさなのだろう。このところすっかり私が彼女を独り占めしている形になっているが、何やら申し訳ない気がしてきた。思えば結婚以来、私も仕事三昧で、こんなにもふたりきりでずっと一緒に過ごすのは初めてだろう。私は彼女を退屈させてはいないだろうか。彼女には、もっと華やかな、きらびやかな場所が相応しいのではないだろうか。
「…夜会に、出かけてきてもいいんだよ」
ベッドの端に腰掛けて刺繍をしていた彼女に言うと、彼女はこちらを向いて片眉を上げてみせた。私はなんだかよくわからない罪悪感に苛まれて、さらに言いつのった。
「ずっと私の看病ばかりしているのも、気が塞ぐだろう。君に会いたがっている人たちは多いだろうし、たまには羽を伸ばしてきてくれても、私はかまわないんだよ」
「行きたければ行きますし、行く必要がなければ行きません」
クロエがぴしゃりと言うので、私は仰け反った。
「そもそも私がこれまでそうした夜会で何をしてきたのか、あなたはご存じなのですか」
「な…何を…というと…?」
ここで浮気の告白などされたら、どうすればいいのかわからなかった。泣いてしまうかもしれない。私が怯えるのを見て、クロエはさらに機嫌を損ねたようだった。どうしよう、いったい何がどう彼女の逆鱗に触れたのだろうか。
「あなたは確かに真面目で、有能で、仕事ができるお方です。でもそれを快く思わない人もいるんです。あなたは実力でとんとん拍子に出世したと思っているんでしょうが、それは私の根回しがあったからです。あなたをやっかむ警察の同僚や上司に、音楽会や昼食会で会えば愛想を振りまき、せっせと付け届けをし、宅をよろしくお願いいたしますと頭を下げたからあなたの今の地位があるのです」
「…そうだったのか…」
「ミッシェルだってそうです。幼いころはやんちゃで喧嘩沙汰が絶えず、怪我させた子供の家に私がしょっちゅう頭を下げに行き、引き続き仲良くしてくれるよう頼みました。それであの子は仲間外れにもされず、すくすく育ったんです。学校のことにしたって、ちょっと試験の点が足りなかったのをなんとかしてくれるよう、私が学院長夫人におべんちゃらを言って手を回してもらったのです」
「…そ、そうだったのか…!」
「エルミーヌだって、ミッシェルは自分で見つけてきたような顔をしていますけど、私が先にとある演劇会で紹介されたのです。押しの強い…いえ、はきはきしたいいお嬢さんだなと思って、ミッシェルはあれでぼーっとしたところがある子ですから、ちょうどいいんじゃないかと思って、次の慈善舞踏会で一緒になるよう、私があの子を無理やり連れていったのです。あなたはお仕事で欠席でしたけれど」
「…そ、そ、そうだったのか…!!」
「別に感謝されたいと思っているわけではありません。夫や子供のために尽くすのはあたりまえのことですわ。ただちょっと技が要るので、それをアンブルには教えておきたかったんですけれど、あの子は潔癖で、そういうことをまったく受け付けませんでした。あまつさえ、人を幾多の男をたぶらかす妖婦扱いして…歌手になりたいならそれこそ私がどこの劇場にも口を利いたのに、頼ってもこず…誰に似たのか可愛げがなくて、手を焼きましたわ。オクターヴの新聞社だってそうです。そもそもあの子たちはひとりで育ち上がったような顔をしていましたけれど、高い寄宿学校の学費を出したのはあなただというのに、感謝の言葉ひとつなく、本当に恩知らずな子たちですわ」
クロエはひと息に言った。オクターヴはともかく、アンブルとはそういう、意志が強いというか、意地っ張りなところがまさに瓜ふたつなのでは…と思ったが、とても口にできる剣幕ではなかった。
「…あげくあなたにまで移り気な女呼ばわりされて、看病するのも邪険にされて、いったい私はどうしたらいいんでしょうね?」
そう言ってそっぽを向いた彼女の、顎が震えていた。泣かせてしまったのだろうか。私は自分で自分を殴りたかった。私は何故、彼女のこんなにも深い配慮と愛情に気づかないでいられたのだろうか。
「クロエ、すまない。私が悪かった。私は…私は、自分が君みたいな素晴らしい女性には相応しくない男だと思って…自信がなくて…それで…そんなにしてくれていただなんて、全然気づけず…なのに、愚かな嫉妬などして…本当に申し訳なかった」
彼女の手をつかむ。冷たい、ほっそりした美しい手だ。私の手にすっぽりと包まれてしまう、華奢な手だった。こんなにもか弱い、優しい女性を恐れていただなんて、私はなんと愚かな男なのだろう。
「…まあ、あなたが全快したら、快気祝いのパーティーをしましょう。ミッシェルとエルミーヌの婚約披露を兼ねてもいいわね。あんなことがあっても、エルミーヌはミッシェルと会ってくれているようだから…その女主人役は喜んで務めますわ。そのあとは…あの子たちの結婚式かしら。私たちの銀婚式も兼ねてもいいわね。でもそこまでよ、あとはもうたくさん。そのころにはあなたもお仕事を引退してもいいころでしょう。パリから離れて、田舎で庭いじりでもして暮らしましょうよ。私はもう、社交とか噂話とか根回しとか裏工作とか愛想笑いとか、そういうことにすっかり膿んでしまったのよ」
彼女はうつむいたまま言った。溜め息まじりの、本当に疲れ果てた声音に、申し訳なくなった。だが彼女がこんな愚かな私と、銀婚式を迎えるつもりでいてくれると思うと、胸が熱くなった。私は彼女の手を握る手に力を込めた。
「愛しているよ、クロエ」
「…知っているわ」
「…君が知っていることは知っている。私が知りたいのは…ずっと知りたかったのは…」
私はこの期に及んで言いよどんだ。まったく意気地がない。
クロエが顔を上げた。
「…私も、愛しているわ、ギョーム。…今際の際まで言うつもりはなかったのだけれど」
「な、なんで?」
「臨終の言葉なら、どんな毒婦の言葉でもさすがに信じてもらえるでしょう」
彼女はまたそっぽを向いた。頬が赤かった。拗ねているらしい。怜悧な美貌を詠われる社交界の華に、こんな少女のような愛らしい一面があることなど、私以外の誰が知ろう。私は彼女の手を引き寄せ、力の限り抱きしめた。
「仕事に復帰する前に、どこか南の方に旅行しよう。イタリアもいいな。そしていつかはパリを離れよう。そこでふたりで、君の好きな薔薇を育てて暮らそう」
彼女の髪に降り注ぐ日差しはきらきらと輝いて、あたたかだった。春はもう近いのだ。
〈了〉
おとくりはまあ、なんとなく予感がないではなかったんですよ…そもそも彼女に路線が用意されているなら、そもそも華ちゃん就任もまどかスライドもなかったんじゃないの?と思うので。ゆきちゃんとかくらげとかひらめみたいな逆転人事はそうそうないものだよね、とも思っていたので。なら早々に辞めて外部でオーディション受けまくるのもテだよね、とか勝手に考えていたのです。
でもつかさっちは…つかさっちは……
イヤ衆目の一致するところではもっといればさらにいいおじさん役者になったのに、というところかもしれませんが、私はこの人は二の線が似合うのがいいところだと思っていて、でもそれもやはり長くいればいい感じに発揮できる場所がこれからも絶対に与えられるよと思っていたということで、つまりはやはり路線はそもそも用意されていなかったと思ってはいたということなんだけどさ、だからそれならやはり早々に…という判断ももちろんわからなくはないんだけどさ、イヤ真相はわからないしご本人の決断が一番で誰も何も口出しはできないんだけどさ、でもさ、でもさ…
とかぐるぐる考え出したら、書かずばなるまい、と思ったのでした。まずは自分のためです。そしてやっぱり、この作品が好きなのです。
次の本公演、れいまどが好きなのでそもそもそのつもりでしたが、ちゃんと初日から行きますね。
しかしこのご時世がホント憎いよねえ…自分のときを考えるに、入り出でご本人のお話が聞けるってのはファンにはホントありがたいことだった思いますよ…
※※※
事件は、自宅に押し入ったアナーキストが起こしたこととして処理した。大晦日の食事会にアンブルとオクターヴが出席していたことは使用人と当の出席者しか知らなかったし、ミッシェルとエルミーヌには口止めするまでもなかった。新聞にはあれこれ掻き立てられ、社交界でも噂は喧しかったようだが、パリにはよくあることだとされて、やがては次の話題に場所を譲ったようだった。
警察が駆けつけたときにはアナーキストの息がまだあり、私と一緒に病院に担ぎ込まれて一命をとりとめた。裁判の結果次第だが、極刑は免がれるのではないだろうか。服役中の劇場爆破事件の犯人の男ともども、いずれ釈放されるよう手を尽くしたいとは思っていた。それがなんの罪滅ぼしになるわけでもないが、ただそうしたかったのだ。
幸いにも弾は神経や腱などを傷つけてはおらず、手術はごく短時間で終わり、入院も短期間で済んだ。安静にして傷さえ塞がればすぐにも杖をついて歩けるようになるし、いずれは杖も手放してすっかり元どおりになれるだろう、というのが医師の見立てだった。病院は住み込める看護人を手配すると言ってくれたが、クロエが言下に断った。彼女は優秀かつとても甲斐甲斐しい看護人となって、私のベッドに食事を運び、給仕をし、トイレに立つときは体を支えてくれ、着替えさせ、毎夜体を拭いてくれた。
夜は寝室に持ち込んだ長椅子で眠った。同じベッドに入ると、寝返りを打って揺らすなどして負担になるといけないから、と言う。昼間はこれまた持ち込んだ文机で、山と来る見舞いの手紙やら何やらに返事を書いたり、私の退屈を解消しようと新聞や流行りの小説を朗読してくれたりした。私は部下の報告書に目を通しながら、彼女の低い静かな声を聞くのが好きだった。
だが、彼女がミッシェルの産褥の床にあったときに、私はこんなふうに彼女をしげく見舞っただろうか、と思うと冷や汗が出る。息子が生まれたことは本当に嬉しくて、彼女にはただ感謝しかなかった。出産に面やつれしても彼女は美しく、私の愛情はいや増すばかりだったが、仕事が忙しい時期だったこともあり、また何故か妙に照れてしまって、今彼女がしてくれるようには親身に付き添えていなかった気がする。思えば私はいつも空回りばかりしているのだ、恥ずかしい限りだった。
日々は穏やかにすぎ、オーギュストの幻を見ることは減った。大晦日の事件があっても、それで何かが解消されたとは思っておらず、罪は罪として一生背負っていくべきものだと考えてはいた。それは消えてしまったアンブルとオクターヴも同じだろう。どこでどうしているのだろうか。幸せを願うのは不遜なことだろうか。せめて健やかでいてほしかった。
私が未だ出歩けない状態でも、夜会や慈善パーティー、観劇や馬術の観覧会など、クロエへの招待状は引きも切らないようだった。彼女がいない社交界は火が消えたような寂しさなのだろう。このところすっかり私が彼女を独り占めしている形になっているが、何やら申し訳ない気がしてきた。思えば結婚以来、私も仕事三昧で、こんなにもふたりきりでずっと一緒に過ごすのは初めてだろう。私は彼女を退屈させてはいないだろうか。彼女には、もっと華やかな、きらびやかな場所が相応しいのではないだろうか。
「…夜会に、出かけてきてもいいんだよ」
ベッドの端に腰掛けて刺繍をしていた彼女に言うと、彼女はこちらを向いて片眉を上げてみせた。私はなんだかよくわからない罪悪感に苛まれて、さらに言いつのった。
「ずっと私の看病ばかりしているのも、気が塞ぐだろう。君に会いたがっている人たちは多いだろうし、たまには羽を伸ばしてきてくれても、私はかまわないんだよ」
「行きたければ行きますし、行く必要がなければ行きません」
クロエがぴしゃりと言うので、私は仰け反った。
「そもそも私がこれまでそうした夜会で何をしてきたのか、あなたはご存じなのですか」
「な…何を…というと…?」
ここで浮気の告白などされたら、どうすればいいのかわからなかった。泣いてしまうかもしれない。私が怯えるのを見て、クロエはさらに機嫌を損ねたようだった。どうしよう、いったい何がどう彼女の逆鱗に触れたのだろうか。
「あなたは確かに真面目で、有能で、仕事ができるお方です。でもそれを快く思わない人もいるんです。あなたは実力でとんとん拍子に出世したと思っているんでしょうが、それは私の根回しがあったからです。あなたをやっかむ警察の同僚や上司に、音楽会や昼食会で会えば愛想を振りまき、せっせと付け届けをし、宅をよろしくお願いいたしますと頭を下げたからあなたの今の地位があるのです」
「…そうだったのか…」
「ミッシェルだってそうです。幼いころはやんちゃで喧嘩沙汰が絶えず、怪我させた子供の家に私がしょっちゅう頭を下げに行き、引き続き仲良くしてくれるよう頼みました。それであの子は仲間外れにもされず、すくすく育ったんです。学校のことにしたって、ちょっと試験の点が足りなかったのをなんとかしてくれるよう、私が学院長夫人におべんちゃらを言って手を回してもらったのです」
「…そ、そうだったのか…!」
「エルミーヌだって、ミッシェルは自分で見つけてきたような顔をしていますけど、私が先にとある演劇会で紹介されたのです。押しの強い…いえ、はきはきしたいいお嬢さんだなと思って、ミッシェルはあれでぼーっとしたところがある子ですから、ちょうどいいんじゃないかと思って、次の慈善舞踏会で一緒になるよう、私があの子を無理やり連れていったのです。あなたはお仕事で欠席でしたけれど」
「…そ、そ、そうだったのか…!!」
「別に感謝されたいと思っているわけではありません。夫や子供のために尽くすのはあたりまえのことですわ。ただちょっと技が要るので、それをアンブルには教えておきたかったんですけれど、あの子は潔癖で、そういうことをまったく受け付けませんでした。あまつさえ、人を幾多の男をたぶらかす妖婦扱いして…歌手になりたいならそれこそ私がどこの劇場にも口を利いたのに、頼ってもこず…誰に似たのか可愛げがなくて、手を焼きましたわ。オクターヴの新聞社だってそうです。そもそもあの子たちはひとりで育ち上がったような顔をしていましたけれど、高い寄宿学校の学費を出したのはあなただというのに、感謝の言葉ひとつなく、本当に恩知らずな子たちですわ」
クロエはひと息に言った。オクターヴはともかく、アンブルとはそういう、意志が強いというか、意地っ張りなところがまさに瓜ふたつなのでは…と思ったが、とても口にできる剣幕ではなかった。
「…あげくあなたにまで移り気な女呼ばわりされて、看病するのも邪険にされて、いったい私はどうしたらいいんでしょうね?」
そう言ってそっぽを向いた彼女の、顎が震えていた。泣かせてしまったのだろうか。私は自分で自分を殴りたかった。私は何故、彼女のこんなにも深い配慮と愛情に気づかないでいられたのだろうか。
「クロエ、すまない。私が悪かった。私は…私は、自分が君みたいな素晴らしい女性には相応しくない男だと思って…自信がなくて…それで…そんなにしてくれていただなんて、全然気づけず…なのに、愚かな嫉妬などして…本当に申し訳なかった」
彼女の手をつかむ。冷たい、ほっそりした美しい手だ。私の手にすっぽりと包まれてしまう、華奢な手だった。こんなにもか弱い、優しい女性を恐れていただなんて、私はなんと愚かな男なのだろう。
「…まあ、あなたが全快したら、快気祝いのパーティーをしましょう。ミッシェルとエルミーヌの婚約披露を兼ねてもいいわね。あんなことがあっても、エルミーヌはミッシェルと会ってくれているようだから…その女主人役は喜んで務めますわ。そのあとは…あの子たちの結婚式かしら。私たちの銀婚式も兼ねてもいいわね。でもそこまでよ、あとはもうたくさん。そのころにはあなたもお仕事を引退してもいいころでしょう。パリから離れて、田舎で庭いじりでもして暮らしましょうよ。私はもう、社交とか噂話とか根回しとか裏工作とか愛想笑いとか、そういうことにすっかり膿んでしまったのよ」
彼女はうつむいたまま言った。溜め息まじりの、本当に疲れ果てた声音に、申し訳なくなった。だが彼女がこんな愚かな私と、銀婚式を迎えるつもりでいてくれると思うと、胸が熱くなった。私は彼女の手を握る手に力を込めた。
「愛しているよ、クロエ」
「…知っているわ」
「…君が知っていることは知っている。私が知りたいのは…ずっと知りたかったのは…」
私はこの期に及んで言いよどんだ。まったく意気地がない。
クロエが顔を上げた。
「…私も、愛しているわ、ギョーム。…今際の際まで言うつもりはなかったのだけれど」
「な、なんで?」
「臨終の言葉なら、どんな毒婦の言葉でもさすがに信じてもらえるでしょう」
彼女はまたそっぽを向いた。頬が赤かった。拗ねているらしい。怜悧な美貌を詠われる社交界の華に、こんな少女のような愛らしい一面があることなど、私以外の誰が知ろう。私は彼女の手を引き寄せ、力の限り抱きしめた。
「仕事に復帰する前に、どこか南の方に旅行しよう。イタリアもいいな。そしていつかはパリを離れよう。そこでふたりで、君の好きな薔薇を育てて暮らそう」
彼女の髪に降り注ぐ日差しはきらきらと輝いて、あたたかだった。春はもう近いのだ。
〈了〉
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