駒子の備忘録

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『ラフヘスト』

2024年07月31日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 東京芸術劇場シアターイースト、2024年7月25日19時。

 2004年、死の瞬間を迎えつつある美術評論家でエッセイストのキム・ヒャンアン(ソニン)は、長年書きためてきた手帳を手に取り、これまでの人生を心の中で再生し始める。1936年、二十歳になったばかりのピョン・トンリム(山口乃々華)は本とコーヒーが好きでナンラン・パーラーというカフェに足繁く通っている。1937年、最後の小説を書き終えた奇人と呼ばれた文筆家イ・サン(相葉裕樹)は東京帝国大学附属病院のベッドに横になっている。1943年、無名の画家キム・ファンギ(古屋敬多)はソウルで出会った三歳年下の女性に手紙を書いている。彼らが出会い影響し合った長く短い時間が交錯していく…
 脚本/キム・ハンソル、作曲/ムン・ヘソン、チョン・ヘジ、演出/稲葉賀恵、音楽監督/落合崇志、上演台本/オノマリコ、訳詞/オノマリコ、ソニン、翻訳/宋元燮。2022年韓国初演のミュージカル、全1幕。

 冒頭、老境のソニンが若き日の自分を見ていて、それが山口乃々華なんだな、ということはすぐ見て取れました。ただその後、というか基本的にはほぼずっと歌、歌、歌で、ふたりは名前が違うようだし何故か会話を交わす場面もあるので、おやや?と混乱し、そこで私はちょっと集中力を切らせてしまったのかもしれません。みんな歌はめっちゃ上手いんだけど、芝居パートがあまりなくてそれぞれの人物像がよくわからないので、話についていきづらく感じてしまったのです。
 そのあとに、山口乃々華のトンリムの時間は若いころから未来へ向かって進み、そう描かれていくこと、逆にソニンのヒャンアンの時間は過去に遡って描かれていく構造になっていることに気づかされます。トンリムはイ・サンと出会い、恋をし、ともに暮らすようになっていき、ヒャンアンはファンギとの日々がこれまでどう進んできてそもそもどう始まったものかを時間を遡って見せていく。その途中で、トンリムという名だった女性がファンギの雅号をもらってヒャンアンと名乗るようになる経緯も明かされます。なるほどね、という感じ。なのでふたりはやはり同一人物であり、会話のくだりはイマジナリー会話だったということです。
 最後の四重奏のあと、まだトンリムだったソニンがファンギと出会う場面を描いて、順に描かれてきた彼女の前半の人生と遡って描かれてきた後半の人生とが真ん中でひとつになったことを見せて、おしまい。舞台の中央に、盆に載せられてふたつの逆向きのスロープがあり、それは真ん中の位置で高さが揃っているので容易に移れるのですが、それもこの劇の構造を反映するものだったのだな、と思いました。
 構成としてはおもしろいな、好みだなと感じましたが、本当に歌また歌の作品で、何度も言いますが上手いは上手いんだけど耳が滑るというか、キャラや状況、描かれているドラマの意味がよくわからないままに聞かされるので、歌詞ははっきり聞き取れるんだけど意味が取れないというか、聞いていてこちらの心が動かないんですよ。だって知らない人の知らない話だからさ…これは、テハンノで上演している分には、韓国人の観客にはイ・サンもキム・ファンギもキム・ヒャンアンも、その人生も作品もよく知られたもので常識で今さら説明する必要がないもので、このままでわかるから十分、なんでしょうか…でも普遍性がないのなら、わざわざ日本に持ってきて上演する意味とは…?と私は感じました。
 絶賛感想も目にするので、刺さる人には刺さっているのかもしれませんが…私は、作家や作品のことは知らなくても、彼らにとって芸術とはなんだったのかを語ってくれていたなら、そこには興味が持てたのでもう少し楽しく観られたのでは、と思ったのですが、それもなかったんですよねえ。芸術家と暮らす人生、とか芸術家として生きる人生、とか歌われるわりには、それがどういうことなのか、普通の人生(って何?)とどう違うのか、どんな軋轢や葛藤があるのか…が語られていたとは思えなかったので、結局なんの話かよくわからん、とやや退屈してしまったのでした。
 イ・サンが東京で不逞鮮人として殺された(長く収監されたことが元で健康を損ね、亡くなった)ことについては、韓国併合時代の話でもあり、日本人として申し訳ない、とは思いましたが…日本で上演するからといってそこになんらかの改変なり重きを置かせたようでもなかった、とも感じました。それこそ韓国人には常識でも、日本人はなんのことやらわからん、って人が多そうで、それもまた申し訳ないのですが、ではどんな手当てをしたらよかったんだと言われると困るので…うぅーむ。
 韓国語にこんな言葉があるんだ? なんて意味? などとうっすら思っていたタイトルは、「Les gens partent mais l'art reste」、「人は去っても芸術は残る」というフランス語から来ているようでした。わかりにく…! サブタイトルは「~残されたもの」。うーんやっぱりよくわからん…いい観客でなくてすみませんでした。







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