駒子の備忘録

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あだち充『H2』(小学館少年サンデーコミックス全34巻)

2019年12月12日 | 乱読記/書名あ行
 ライバルであり、親友でもある国見比呂と橘英雄。甲子園をめざすふたりの“ヒーロー”に、ひかりと春華の想いが交錯する…正統派スポーツ&ラブストーリー。

 今は『MIX』を連載中の著者は手を変え品を変えずっと「青春、スポーツ、家族」みたいなモチーフで漫画を描き続けていて(『虹色とうがらし』や『じんべえ』など、スポーツ要素がない、ないし薄い作品もありますが)、スポーツは水泳だったりボクシングだったりすることもありますがやはり野球を描くのが断然上手いです。私は『ナイン』『タッチ』のコミックスを愛蔵していて、この作品は連載当時けっこう読んでいましたが、最近ふと電子で全巻読んでみたことがあったので、その感想です。論評するような記事ではありませんが、ネタバレはしています。
 終盤をあまり覚えていなくて、オチの記憶も怪しくて、なので私はその頃はもう雑誌の方を読んでいなかったのかもしれません。なのでハラハラ読みました。そして最終回の鮮やかさに感動しました。
 『タッチ』の有名すぎる最終回、最終コマとは違って(ちなみにさらに有名すぎる「上杉達也は朝倉南を愛しています。/世界中の誰よりも。」は最終回の1話前のエピソードです)、満を持しての大団円と素晴らしい余韻、満足感…みたいなのがない、尻切れトンボ感すら漂うラストなのがたまりません。あだち作品はストーリー展開がフラフラしているようでいてきちんと計算されていることも多く、これも打ち切りだったとかまとめきれなかったとかではなく、こういうラストにしたくてそう描いたのだと私は思いました。
 少年漫画としては、というか物語としては、主人公がライバルとの試合には勝つものの恋には破れて終わるという、珍しいと言っていいだろうオチです。でも、作者が当初どこまで考え本当はどう展開させたくてこの物語を描いてきたのかはわかりませんが、私はほとんど出オチに近い設定と結論だな、と感じました。それは私がヒデちゃん派だから、かもしれませんが、私にはひかりはずっとずっと英雄を好きだったよ、としか思えなかったのでした。
 比呂とひかりは幼なじみで、比呂と英雄がチームメイトになって、ひかりと英雄が恋人同士になって、比呂に遅い思春期が訪れてひかりへ想いを抱くようになり、高校に入学した比呂が春香と出会う…ところから始まる、高校3年間の物語です。ひかりは弟のような比呂を常に気にしているし、今さらのような告白をされて動揺もするのだけれど、やはりひかりの比呂への想いは家族への情愛に近いもので、異性としてはちゃんと英雄をずっと好きだったように私には見えました。やはり比呂の恋は遅きに失していたと思うのです。
 ヒデちゃんがまた、こういう「普通にいいヤツ」を物語のこのポジションで描くのはものすごく難しいことだと思うのですが、それを絶妙にやってのける作者の腕の冴えもあって、私としては肩入れしないではいられないキャラクターになっていたのですよ。
 比呂は大丈夫なの、主人公なんだから。みんなが好きだしファンになるし応援するし、多分きっと勝つ。それが物語というものだからです。
 でもヒデちゃんは主人公じゃない。主人公の親友で良きライバル、です。天賦の才があって、でも努力家で好漢で、欠点がない。となると不幸に見舞われないと物語として収まりが悪くなるわけです。目のくだり、本当にハラハラしながら読みました。泣きそうでした…
 だから、というのもありますが、これでひかりにもフラれる流れでは目も当てられません。実は春香の方とお似合いなんじゃない?というふうにしたかったのかなというターンも途中ありましたが、上手くはまらなかったようですね。というか作者は春香はあまり好きじゃない、ないし描くのがあまり得意じゃないのかなあ? 読者的にはひかりより春香の方が人気があったとも聞くし、なんとでも可愛く描きようがあるキャラクターだと思うんだけれど、意外に出番がないというか情熱を持って描かれている印象がないのがちょっとかわいそうではありました。でも比呂は春香のこともちゃんと好きだと思うな。だから春香は待っていられるんだと思うのです。
 ひかりが英雄を好きなのは比呂もわかっていて、だからあの「大好き」発言はやはり、あくまで幼なじみとしての、だと私は思ったんですよね。周りが変に浮き立つからあえて言っているだけで、試合に勝ったら再度告白しようとか告白されるはずだとかは比呂はいっさい考えていなかったんじゃないかなあ。だからこそ試合には勝ちたくて、真っ向勝負からは逃げて、というかそれすらも丸ごと勝負と考えてスライダーを投げようとして、しかしたまたま球は落ちなかったのであり(球だけに…)、ずっとストレートを待っていた英雄もここはスライダーかもと予測してしまい(比呂はストレートを投げてくるはずだと信じきれず)結果空振りし、それで試合は終わったのでした。このときのふたりの野球には確かに「恋愛」という邪念があったのです。これはそういう勝負の物語だったのでした。
 だから主人公の比呂は試合には勝つけれど、恋愛には破れて物語は終わります。ひかりは再び選ぶも何もなく、ただずっと英雄とともにいたのです。
 このあとの決勝戦に比呂が勝って全国優勝したのかとか、その先ブロに行ったのかとか、春香がスチュワーデス(と当時はまだ喚ばれていました)になりひかりが新聞記者になったのかとかはいっさい描かれず、物語は終わります。比呂とひかりが会う時間を持ったのかどうかすら描かれない。というか比呂もひかりもそんなことをしようともしなかったろうことがほぼ自明な物語なんだと思うのです。ふたりは幼なじみで、恋した時期が違っていた、ただそれだけ。そういう青春の物語。
 比呂とひかりの方が、たとえばひかりの両親のような夫婦になれたのかもしれない。けれどひかりは英雄に結びつけられてしまったのだと思います。そういう運命の物語。その運命の前には主人公も敗れるのです。
 そういうほろ苦さを少年漫画の最終回で描いてしまったところが、何より印象深い傑作だと私は考えるのでした。

 
 


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