駒子の備忘録

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ケイシー・マクイストン『赤と白とロイヤルブルー』(二見書房ザ・ミステリ・コレクション)

2021年06月02日 | 乱読記/書名あ行
 アメリカ初の女性大統領の長男アレックスは、英国のフィリップ王子のロイヤル・ウエディングへの参列を前に憂鬱だった。フィリップの弟ヘンリーとアレックスは、女性誌に載る回数を競うライバル同士だと言われるが、いつも冷淡なヘンリーがアレックスは苦手だ。その夜の晩餐会でも、冷ややかな態度を取る王子の肩に思わず手をかけた次の瞬間、一緒にウエディングケーキの上に倒れ込む羽目に。米英戦争勃発かと世間は大騒ぎになり、ふたりは全世界に向けて仲の良さをアピールすることになるが…
 
 以上はカバー表4のあらすじから書き写しましたが、あまりおもしろくないイントロダクションですね。訳者あとがきの方がよかったので、そちらから再度書き写しましょう。

 主人公は、アレックス・クレアモント=ディアス、二十一歳、アメリカ初の女性大統領の息子です。両親は離婚、実の父親はやはり国会議員。勉強も運動もできてハンサムなアレックスは、国じゅうの人気者(すごい設定ですね)にして大変な自信家ですが、将来政治家になるため、コーヒーをがぶ飲みしながら必死に勉学に励む努力家でもあります。そんな彼ですが、数年前、リオのオリンピックで会っていやな思いをさせられて以来、イギリスのヘンリー王子を目の敵にしています。少し年上でブロンドに青い瞳のヘンリー王子は、やはり女性に大人気。できることなら会いたくないけれど、ヘンリー王子の兄のロイヤル・ウエディングとあっては、参列しないわけにはいきません。ところがしぶしぶ出かけたその会場で、ヘンリー王子と小競り合いになり、あげくウエディングケーキを倒すという大失態を演じます。このままでは国際問題になって、母親の二期めの大統領選にも影響が出るかも! そこでまわりの大人たちが出した解決策は、ふたりに親友を演じさせること。こうしてアレックスとヘンリーは本人たちの思いとは裏腹にともに時間を過ごすことになり、次第に相手への理解を深め、やがて…

 まあ、評判のBLハーレクインだと思って読み始めたのですが、序盤はとても読みづらく感じました。アレックス視点で進む物語ですが、訳注がわりと少なくて、主に現代アメリカ風俗に関するような固有名詞や言い回しが私にはぴんとこなくてわかりづらく、そのために彼の人となりがうまく立ち上がってきていないように感じられましたし、のちに恋に落ちるためにもふたりがいがみ合っているところからスタートするのは定番として、それにしてはアレックスがヘンリーの美貌を褒めるような描写がやたらと多く思えて、男性同士でこんな感覚があるかなあ、アレックスがのちにバイセクシュアルであることを自覚する布石だとしてもちょっと不自然じゃないかなあ、と感じたからです。
 でも、なのでラブストーリーとしてはベタベタと言っていいくらいの展開になりますし、キャラがつかめてきてからはとても楽しく読みました。私も『スターウォーズ』のファンですしね、やはりオタクはいろいろと乗り越えるよね!(笑)
 アクシデントとそのフォローのため、必要が生じて連絡先を交換し、たわいのないやりとりをするようになり、やがて深い話もするようになり、久々に再会したときにキスをされて驚き、今度はこちらからキスをしにいって、そして…会えない時間が愛を育てたりもするし、電話もいいんだけれど特にメールで思わず深い話をしちゃうことって絶対にお互いへの理解を深めますよね。そしてアレックスはぼんやりしていた自分のセクシュアリティにはっきりした自覚を持つようになり、人間としてもひとつ前進するのでした。
 なので中盤までは、これはハーレクイン・ロマンスというよりはむしろジュブナイルとかヤングアダルト小説、ビルドゥングスロマンとして読めるな、とも思いました。ふたりはもちろん歳は成人しているんだけれど、まだ二十一だの二だのでやっと学校を終えて実社会に出ようとしている、という意味では最後の子供時代を過ごしている年代なのです。そしてそこで本物の、一生ものの恋に出会い、自分がどういう人間であるか改めて自覚し、さらにどんな人間になっていきたいかを考えるようになり、どんなふうに生きていきたいか、自分と相手とそして世界はどうあるべきか、そのために何をしていけばいいのかを考え出して、歩み始める時期にいるのでした。
 アレックスが政治家志望で、ヘンリーも皇位継承権第一位ではないにせよすでに一国を背負ったも同然の人間であることもあって、ふたりともとても責任感が強く、視野が広く、思慮深いです。アツアツでラブラブのファック(失礼!)が描写される一方で、そういう真面目さが本当に素晴らしいです(しかしここでもそれはドリームというかファンタジーというかウソでは?と思ったのは、先にアレックスがヘンリーに対してオーラルでしたことです。挿入はヘンリーの方がされていてこれはわかるんだけれど、同性の親友と遊び半分の握り合いっこみたいな経験はあったけれどもバイの自覚もなかったような男子がいきなり、口で、するかな…? あとたびたび出てくる「ストレート」ってのは原文ママなのかもしれないけれど、表現としては差別的なのではなかろうか…?)。後半は、ふたりがあまりにも過酷な運命に襲われることがありませんように…と祈りながら読み進めました。こういう物語はハッピーエンドだろうとわかりながらも、それでも、です。リークからの逆転と女王との対決、そしてラストの開票シーンは泣きながら読みました。
 アレックスの姉ジューンとヘンリーの姉ビアトリス、アレックスの親友ノーラとヘンリーの親友パーシーがまたよくて、まさに「スーパーシックス」でうらやましかったです。アレックスの母エレン、ヘンリーの母キャサリンもいい。アレックスの父オスカーとエレンの再婚相手レオも素敵なキャラで、ヘンリーの父親は亡くなっているけれどやはり存在感がありました。そしてアレックスのロールモデルたるルナがまたいい。こんなふうに周りの友達や家族、大人に恵まれることこそがファンタジーなのかもしれませんが、お話なんだからこれでいいのです。というか世界の方こそこうあるべきなのです。
 そして私は読んでいて、彼我の差を感じずにはいられませんでした。欧米では…というか、もしかしたらWASP的には、ということなのかもしれませんが、人権というか、人間そのものの捉え方が日本とはまるで違うんだよな、ということです。
 欧米では、人間は、人間なんだから必ず性愛生活があって(アセクシャルみたいな場合も、「ゼロ」が「ある」と考える、みたいなイメージ)、そしてそれはとてもプライベートなものであり不可侵のものであり、だからこそ絶対的に尊重されるものである、というような考え方が、根底にどかんとあるんじゃないでしょうか。だから絶対に覗き見たりしない、冷やかしたりもしない、想像する振りも見せない、そういうことは本当に下賤で下劣なことだ、という共通認識があるように思います。人のも侵さないし、自分のも侵させない。そういう絶対領域としてとらえている。
 日本では、本当はあるのに、ない振りをしたりする。ない振りをしていながら、覗いたり冷やかしたり口出ししたりからかったり邪推したりする。反応が子供じみていますよね。性愛に対してとても不当な扱いをしていると思います。幼稚です。
 だからなんか、要人に対するお付きの在り方も、日本ではこうではないだろう、とすごく思わされました。寝室の中へでもお風呂場の中へでもトイレの中へでも、ベッドの、布団の中までも、日本でなら入り込み詮索し管理しようとするでしょう。心配だから、とか安全のため、とか理由はそれらしくつけるでしょうけれど、要するに根性として下衆なんだと思います。相手を自分とは別の、かつ対等のものとして尊重するということができていない。だから把握し管理し支配することで守ろうとする。相手と自分を区別することができていないんです。そういうベッタリした甘えがある。
 一方、もちろんお話の都合ということもあるのかもしれませんが、アレックスもヘンリーも、シークレットサービスや侍従がいてもそれでも、ずいぶんと自由だしきちんと独立していて、それでなんの問題もなく生活は回っています。特に夜の、つまりナイトライフというよりは寝室の、もっと言えばセックスの方面でのプライバシーが確立されている。それが当然の権利だとされているんです。
 だからこそその上で、家族には正直であることも当然のことと求められている。彼らの家族への想いの熱さもまた、日本のものとはだいぶ違うんだなとしみじみ思いました。日本では、必ずしも正直が美徳とされない場面なんかいっぱいあるじゃないですか。それこそまた出たという感じの、心配をかけたくなくてあえて黙っておくとか、伏しておく、それで表面上はなんの問題もないかのようにやり過ごす、みたいなことの方が良いとされる。でも彼らはそういう「臭いものに蓋」みたいなことは絶対にしません。とにかく正直であること、嘘を吐かないことを至上としているし、それで問題があることがわかればその解決に向けて邁進するべきである、というこれまた共通認識があります。カミングアウトについても、日本では現状、異性愛者だっていちいち自分が異性愛者であるとカミングアウトしたりしないんだから、誰だってどんなセクシュアリティだっていちいちカミングアウトしなくていいんだ、どんなSOGIも尊重される社会を目指すべきなんだ…っていう方向がせいぜいかなと思うんですけれど、欧米ではそういう社会でのこととは別に家族ってのはものすごく特別で、だからそこではすべての情報がオープンでかつそのまま正しく受け止められなければならない、だから異性愛者も家族に対しては異性愛者であるとカミングアウトすべきだしその他のセクシュアリティに関してもまったく同様だ、という意識があるように思います。
 もちろん、その上で、アレックスもヘンリーも、とはいえ怒られるかも、とか嫌がられるかも、とかビクビクしながら家族に対していくわけですが、でもその大元にはとにかく、「家族には正直でいるべきだ」という大前提があるんですよね。こういう意味での信頼感、絶対感みたいなものは日本の家族にはないと思うのです。
 これは欧米文化というよりはキリスト教由来のものなのかもしれませんが、彼らは本当に嘘を嫌います。日本人が大好きで得意な「嘘も方便」とか、通じないんじゃないかな。我々は和をもって尊しとし、全体の和のためには個人に小さな嘘や欺瞞を要求するようなことが多々あります。でも彼らはそういうことはしません。神様の前では嘘が吐けないから、ということを本当に信じているからなのかもしれません。
 黙っているだけならまだしも、嘘を吐くこと、騙すことを彼らは本当に嫌うので、ふたりの仲を隠すためにジューンやノーラをガールフレンドに仕立てる工作をするはめになって、ヘンリーが本当にそれを嫌って気に病みストレスを感じ実際に弱ってしまうくだりが痛々しく、胸が締めつけられました。ヘンリーにはアレックスの本気度に怯えて、彼の人生を狂わせてしまうかもしれないと案じて身を引くターンもあって、そのときももちろん彼はつらかったろうと思うのだけれど、でもそれは彼には耐えられた苦しみだと思うんですよね。それより、こういう偽装工作、欺瞞、嘘を吐いていることが本当にしんどい…というその健やかさは、日本人の目にははまぶしすぎるくらいです。
 また、彼らは遊びや戯れの恋はたくさんしますが、本気になると意外にものすごく真面目になり、一生ものとしてきちんとしようとします。こういうのは清教徒的なのかな。こういうのも、本音と建て前を使い分けがちで意外に貞操観念がゆるい日本人にはない感性だと思います。どんなにものすごいセックスをしていても、本気で「愛してる」と言わない限りそれはただのファックなのです。でも一度この言葉が発されると、そして受け入れられると、お互いのものすごいハイ・フィデリティを求めるし、それが当然のものとされる。そして結婚という形を取るかどうかはまた別にせよ、公表して周りからも一対として遇されることを望みます。このカップル絶対主義みたいなものも日本にはあまりない感覚です。
 その上で、アレックスとヘンリーにはやっぱり違いがあります。アレックスが大統領の長男だからと「アメリカの息子」を自称して気負うのと、英国女王の孫息子であるヘンリーが背負わされているものは全然違います。後半の展開に関して、イギリスでの様子はあまり描かれませんが、これは現代でももっともっと大変なものがあるのだろうと感じました。
 エドワード8世の「王冠を賭けた恋」から85年です。もちろんデイヴィッドは単なる王子のひとりではなく、国王その人でした。だから相手が離婚歴のある外国人であることが問題だとされた。でもいうても白人の、異性でした。この物語では、相手は非白人の同性です。同じキリスト教徒であったのは、ひとつ問題がクリアできてまあラッキーだったのでしょう。それでもハードルは同じくらいの高さがあったことでしょう。過去にゲイの国王を何人も戴いていたにもかかわらず、です。
 それでも、今なら、この物語には可能性があります。ふたりが世界のアイドルだったから、というミーハー人気で得た支持も、もちろんある。でも、肌の色がどうであれ性別がなんであれ、同じ人間で、成人で、愛し合っているふたりが、結ばれることになんの問題もないはずだ、という認識は世界共通のものになりつつあります(本邦与党内はどうか知りませんが)。というか単なる真理ですよね。そこに他人が口を出す問題ではない。
 そしてこのふたりはとても優しく賢い人間で、単に自分たちの幸せのみを考えていたことは一瞬としてありません。社会のために、世界のために何をしてどう働くか、を常に考えている、真面目で前向きで、そしてとても有能な人間です。そんな人間をハッピーな状態にして働かせないなんて、人類の、いや宇宙の損失です。
 この小説が書かれ始めたのは2016年のアタマだったそうで、その年はよもやの展開になりましたが、そこから4年過ぎてまたアメリカは、世界は変わりました。確かにこの小説のパラレルワールド現代の方が、現実よりちょっとだけ先を行っているのかもしれません。でも、世界は常に変われるはずなのです、それもいい方に。みんなが力を合わせれば。その力を、この物語からもらえた気がします。
 映画化が決まっているそうですが、さてどうなりますことやら? そして作者の次回作は百合でタイムトラベルものなんだとか、これは楽しみですね! 未来は明るい、と信じたいものです。


 


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