駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

私のメガネくん2

2015年01月17日 | 日記
●月本誠● Makoto Tsukimoto(松本大洋『ピンポン』/小学館ビッグスピリッツコミックススペシャル全5巻)
卓球の王子様、通称はスマイル。笑わないから。「疲れるんですよ、なんか。笑ったり……怒ったり……/そうゆうの凄く……」

 片瀬高校一年生。卓球部。右シェイク、両面裏ソフト→F面裏ソフトB面ツブ高カット主戦型(すみません、意味わかってません)。両親は早くに離婚、母親の勤めは夜。血液型はBらしい。「マラソン凄え速い」。「ガールフレンドとデートする予定」、なし。

 小さいころ、彼は「ロボットだのゴルゴだのトンチキなあだ名付けられて、/凄えイジメられて」いた。「何もしてないのに。/怒ってもいないのに。/笑ってもいないのに。/ただ居るだけなのに」。掃除道具のロッカーに閉じこめられたこともあった。でも、彼は平気だった。「ここは静かで安全な所だ。/とても落ち着くんだ」。彼を外へ出したのはペコだった。「頭に来たら怒りゃいいし、可笑しきゃ笑えよっ」。卓球を教えたのもペコだった。「こっち来て一緒にやるべえよっ!」
 そのときから、ペコは彼のヒーローになった。ピンチのときに心の中で三回呪文を唱えると、必ずやってきて助け出してくれる、ヒーロー。だが一方で、ペコのヒーローもまたスマイルであったのだが…それはまた別の話、というかそれが『ピンポン』の本筋なのだけれど、そしてペコこそ作品の主人公なのだけれど、いいの、ここはスマイルの素敵さを語るコーナーなんだから。
 彼のメガネは、自分の内面と外界とを遮断する壁だ。彼は世界に興味を持っていない。自分自身にも興味がない。何しろ、すべては死ぬまでの暇つぶしだと考えているのだ。彼の卓球の才を惜しんで、また妬んで、たくさんの人が彼をかまうが、彼にはうざったくてしょうがない。彼は複雑なことが嫌いだ。というか複雑なことに疲れてしまうのだ。だから卓球も、ただ単純に楽しめれば十分なのだ。だがそれは彼が卓球を純粋に愛しているということを意味しない。彼にとっては卓球すら死ぬまでの暇つぶし、どうでもいいことなのだ。
 彼にとって唯一意味があるのはペコの存在だけである。ペコが卓球をやっているから、彼もまた卓球をやっているだけなのだ。ペコがアクマに敗れて卓球をやめてしまったとき彼が卓球を続けたのは、チャイナやドラゴンによって卓球の次のステージを見せられたからというよりも、やはりペコのためであっただろう。彼はペコが帰ってくるのを待つために、卓球を続けたのだ。
 だが、その間に彼もまた愛を知ったのではないだろうか。小泉コーチが手を放そうとするから。ペコが戻ってこないから。大田先輩が親切だから。卓球がやっぱり楽しいから…愛はこの世でもっとも複雑なものだ。そして、翌夏、ヒーローは帰ってきた。笑顔が戻り、涙と汗が飛び散って、その夏は終わった。
 5年後、彼は大学生になり、小学校の教員を目指しており、タムラで子供たちに卓球を教えている。その口調は小泉コーチに、そしてペコにそっくりだ。そして、普通に笑うようになった。軽く、優しく、静かに。そして、あくびなんかしたりする。だがそれは疲れているからではなく、単に眠いからだ。彼は今、複雑この上ないこの世を確かに愛している。そんな彼を、私も確かに愛している。
 彼はタイプとしては観察型とも探求型とも、またどちらでもないようにも考えられるが、とにかく「メガネくん」であることは間違いがない。世の中のすべてから遠ざかろうとしているくせして、たった一点、どうしても執着してしまうものがある。そのディレンマ、そのアンビヴァレンス、これこそメガネくんだ。そのせつなさ、はがゆさ、いじましさこそいじらしく、酔い、萌えてしまう…ハッ、病気ですか私!?
 でも、スマイルがペコと結びついていることに萌えるのでないことだけは明言しておきたい。私はそのやおい性に感じているのではない。何事からも離れていようとする彼にただひとつ否応なく関わらざるをえなければならないものがあること、その状況こそが好きなのだ。メガネくんとはそれを体現するものだ。だがおそらく、人間というものは総じてみなそうなのではないだろうか。結論は、メガネくんこそ人類、私は全人類を愛する博愛者ってことか!? …ちがいますね。(2002.9.28)

●真性メガネくんは本当に視力が悪くなくてはいけないと思う。ダテ眼鏡だったり、かけなくても日常生活に支障はないくらいじゃダメなのだ。いつもいつも眼鏡かけてなきゃダメだ。スマイルの視力に関する描写はないが、汗で曇るのか試合や練習でしょっちゅう眼鏡を拭くシーンがあるので、やはり眼鏡がないとつらいのだろう。そういう人だからこそ、こういう眼鏡を外したシーンも絵になるってものなのよ!!

付記●実は映画『ピンポン』は、眼鏡をかけていない彼氏と観に行った。終演後、彼はニヤリと「きみ、ARATAツボでしょう」と言ったものだ。私は、ARATAスマイルとの出会いもうれしかったが、それを恋人にこう指摘されたことこそがうれしかったかもしれない。彼はメガネくんを偏愛する私の性向を理解し、その上で愛してくれているのだと思えたからだ。すまん、ノロケだ。


●望月慎● Shin Mochizuki(円城寺マキ『罪深く恋をして//小学館プチフラワーコミックス『不・純愛』収録)
お花飛ばしてる癒し系ほんわか刑事、実はナチュラル・ボーン・サオ師?「実は僕女性と寝ると普通じゃないらしくて…/相手が必ず失神しちゃうんです」

 都内某署勤務の刑事。キャバクラで料理を楽しむほんわかのほほん男。最初につきあったのは人妻(食われただけ)。経験が多い訳ではないのだが、「普通のやり方」がわからず、セックスした相手を必ず昇天・失神させてしまうという特異体質(?)の持ち主。

 どちらかと言えばクール系メガネくん好きの私としては、本来はこういうほややん優男メガネ兄さんはそんなにはツボではないはずなのだが、この外見にこの性技(?)という二面性にやられてしまったのである。そう、決してヤラれたのではなく!
 元はよみきりだが好評だったのか連作され、今度また新作が描かれるようだが、さもありなん。また二作目の扉絵の、ひまわりの花抱えてる図がすっごいカワイイ! ひまわりツボなんだ!!(なんじゃそら)
 なんかまだよみきり二本だけのキャラクターなので、どこがいいのか列挙していくと作品のオール解説みたいになってしまいそうのだが、とにかく、ほわんとしているようでけっこう独占欲が強かったり、おちこんで拗ねるとけっこう暗かったりというところがやっぱりメガネくんで、この先の発展が楽しみだ。お相手はお馬鹿だけど明るくて元気なヒロイン、という構図にもうひとつ何かパンチが加われば、物語としても転がり出すんだろうけどなー。期待。(2004.7.5)


番外●シン・ドンヒョク● Shin Dong Hyuk/Frank Shin(ペ・ヨンジュン/2001韓国MBCプロダクション『ホテリアー』全20話)
ホテルビジネス界における敏腕企業ハンター。「仕事でもゲームでも僕は勝てる相手しか選ばなかった。でも今回は予想がつかない。でもどうしようもない、もう始まってしまった…」

 ニューヨーク在住。32歳。カトリック。ハーバード大卒。米国名フランク・シン。
 幼い頃に親に捨てられ、11歳のときにアメリカ人の養父母に引き取られて渡米。苦学してウォール街で身を起こし、食うか食われるかの熾烈な戦いを続けてきたM&Aの専門家。冷酷で血も涙もない事業の喧嘩屋。今やサンタモニカやサンディエゴに別荘やヨットを持つ大富豪でもある。10年来のパートナーで弁護士のレオナルド・パクとフィフティ・フィフティでコンビを組んで仕事をしてきた。
 ラスベガスのホテルでひょんなことから見知ったソ・ジニョンに興味を抱き、彼女が勤めるソウルホテルの買収工作を依頼されたこともあいまって、21年ぶりに韓国の地を踏んだ。「金のゲームしか知らなかった奴が愛に目覚め」、生き別れの父や妹と再会し、そして…
 PDAを愛用、PCはVAIO。日課はジョギング。甘いものは苦手。カクテルはブルーマルガリータ、マティーニ。

 『ホテリアー』(タイトルはホテルマンを意味する造語)の主要登場人物は四人。ソウルホテルのVIP顧客担当支配人で、美人で元気で単純でおっちょこちょいなソ・ジニョン。ジニョンの元同僚で元恋人、ある事件でホテルを追われていたが経営難に総支配人として呼び戻されたハン・テジュン。ソウルホテルのオーナーに遺恨があるキム会長から買収工作を依頼されたM&Aの専門家シン・ドンヒョク。キム会長の一人娘で、ホテルに勤め出すキム・ユンヒである。
 ジニョンとテジュンには恋仲だった過去があり、ドンヒョクはジニョンに惚れユンヒはテジュンに惚れるので、この四人は一直線に並んで関係を作り、端からドンヒョクとジニョンの恋、ジニョンとテジュンの恋、テジュンとユンヒの恋のみっつの物語が描かれる、のがあるべき形だったのだろうと思う。しかしこの中で質量ともに圧倒的に重く描かれたのがドンヒョクとジニョンの恋であり、なんとドンヒョクはヒロインのジニョンをさらってしまうのであった。いやあびっくり!
 もちろん私はドンヒョクのファンであり、彼を応援していたので、彼の恋が成就するのはうれしい。そして物語が、元恋人だったふたりが元サヤに収まるのではなくそれぞれ別の新たな恋に向かっていく、という形を取るのもまた悪いパターンではないとは思う。しかし、あまりにも他のふたつの恋の描き込みが薄かったのではないだろうか。
 百歩譲って、テジュンとユンヒの恋は一番後回しになってもいいと思う。最終話で、ベストホテルの授賞式出席のためにテジュンがラスベガスに行くことになり、その地には留学中のユンヒがいるはずであり、そこからふたりの新しい物語が始まる「かもしれない」くらいで終わる、というのはなかなか美しい形だと思う。
 しかしジニョンとテジュンの恋がどんなものだったのかはもっと見せなければならなかったと思う。それがないと、ドンヒョクとの関係の中で、ジニョンがフラフラしているだけのように見えたり、テジュンが片意地を張っているだけのように見えてしまうと思うのだ。
 彼らは元同僚といえど、テジュンの方が年上であったらしい。同僚にも公認の中だったようで、プロポーズはジニョンの方からしたくらいだという。そんなふたりの関係と、テジュンがホテルを追われた事件とがどうからむのかがわからないままなのだ。ジニョンは自分がふられたつもりでいるが、テジュンにはその意識はないらしい。では本当のところ何があったのか? 何故彼らは別れたのか? それが見えないままでは、ジニョンがそれをどう振りきってドンヒョクのものに向かうのか、あるいはやっぱりテジュンの元へ戻るのか、その心理を追いづらいのである。
 このあたりを上手く見せることができていれば、ふたりの過去を描きつつ、テジュンがユンヒをいじらしく想うようになる様子もまた上手く描けたと思う。ユンヒが一から一生懸命にホテルの仕事に取り組む様子は、テジュンにかつての自分たちを思い起こさせたことだろう。ジニョンに対しては同僚故にライバル意識もあったかもしれないが、ユンヒに対してはずっと先輩として当たれるので、テジュンはより優しくなれたのだろう。それがユンヒのテジュンへの信頼と愛情を呼び起こしたのだし、テジュンもまた…しかしあまりにも歳がちがうし、立場がちがうし、弟分のヨンジェが彼女に惚れているし、彼女の実家が大金持ちでしかも父親がホテルのオーナーのライバルだとなると、とても情熱のままに踏み出すことなどできない…というような流れであったはずなのだ。
 まあ、この作品も韓国テレビドラマの例に漏れず、その日になって当日の撮影分の脚本が出来上がるような進行だったそうで(台本を読み込んでくるタイプの俳優であるペ・ヨンジュンにはこれがかなり苦痛であったらしい)、あまり先までがっちりと見通しを立てて作られた物語ではなかったのかもしれないのだが。
 しかし私としては、テジュンがしっかり立っていてこそのドンヒョクだったと思うので、主人公もっとしっかりせんかい、という気持ちが大きいのだ。
 しかしこれも、私が実際にドラマを見る前に受け取っていた情報による影響があるのかもしれない。私はこのドラマを、あくまで主演はキム・スンウ(ハン・テジュン役)とソン・ユンア(ソ・ジニョン役)であり、けれど2年ぶりのテレビドラマ出演となったペ・ヨンジュンの悪役ぶりの方が話題となったドラマ、だと認識していたからである。しかし実際にDVD-BOXの特典映像にある韓国でのドラマ紹介番組などを見ると、このあたりはいくぶんあいまいで、はっきり「ペ・ヨンジュン主演のドラマ」と言っているものもあれば「キム・スンウともうひとりの主役ペ・ヨンジュン」という言い方をしているものもあるのだ。ドラマの中でアイキャッチのように出てくる四人の似顔絵は、左からユンヒ、ドンヒョク、テジュン、ジニョンと並んでいる。ポスターやサントラのジャケット写真に使われるメインカバーは逆に女性ふたりを中に挟む形で、左からテジュン、ユンヒ、ジニョン、ドンヒョクの順である。現在東京MXテレビで放映されているエンディングテロップではテジュン、ジニョン、ドンヒョク、ユンヒの順にキャストが出ていた気がするし、これが妥当なのだと私は思っていたのだが、さて。
 しかしアメリカロケはドラマ撮影の一番始めにされたはずだし、このときユンヒの留学シーンや、ユンヒの夢の中でテジュンとラスベガスで再会するシーンが撮影されているはずなので、やはりこの大筋は最初から決まっていたのだろう。つまり放送していくうちにドンヒョクに人気が出てしまったのでヒロインとくっつくことに筋を変更した、とかではないということだ。だとしたらやっぱりテジュンというキャラクターはもうちょっと描き込んであげなくてはいけなかったのでは? 結果としてドンヒョクは実はメロドラマ『冬のソナタ』のチュンサン/ミニョン(俳優は同じくペ・ヨンジュン)に優るとも劣らない王子様役だったわけだが、テジュンだっていい男だ。キム・スンウはハンサムとか美形とかとは言い難いかもしれないが、実にいい顔をしたいい役者だし、テジュンは誠実で真面目で義理人情に篤くお人好しででも頼り甲斐があってという、要するにドンヒョクと二枚看板を張れる、女性の二大理想像の片割れだったはずなのだ。
 キム・スンウは非常にクレバーな役者のようで、インタビューで、自分だったら(ユンヒとの)新しい恋ではなく(ジニョンとの)今までの愛を取ったろう、というようなことを言っている。テジュンはいいキャラクターだったが、ジニョンをドンヒョクの方へ送り出してやるような優しすぎるところが個人的には不満だった、と。そして逆に、ドンヒョクのような男の生き方は実際にはありえないだろうとも言っている。もっと若ければ情熱のままに突き進むこともあるかもしれないが、、20代後半という歳で、何もかもすべてを捨ててひとりの女性の元に走ることなどありえないだろう、と。
 そうなのだよキム・スンウくん、実際にはありえないのだ。ましてドンヒョクの設定年齢は実際にはもっと年上の32歳だ。そんな男が「僕には何もない/遠回りをしてやっと何も持たずあなたの元へ」来ることなど現実には絶対ないのだ。だからこそファンタジーなのである。と言うかファンタジーってそういうもんだろ(逆にテジュンはもっと作り込めば、女性の二大理想像の一翼を担うのみならず中年男性の期待の星ともなれたと思うのだが)。
 手元には売れもしない株券と何着かのスーツだけしか残っていない男が、司法取引とかの関係でホントは帰国しちゃいけないはずなのにそんなものぶっちぎって帰ってくる、それがドラマなのだよ。ビバ!シン・ドンヒョク!!

 というわけで役作りのために8キロほど減量したというペ・ヨンジュンの顔は実にシャープで真性メガネくん、唇の妙な色っぽさがさらに目立ち、『冬ソナ』ミニョンさんの私が嫌いなギリギリの長髪とうってかわって短髪で(13話「ゲームスタート!」で心機一転散髪するのだが今度は短すぎてこれまた個人的にはギリギリだった)、ブローによっては前髪サラサラで萌え萌え、しぼってもガタイはいいのでスーツの似合うことといったらなく、ワイシャツ姿の美しさは筆舌に尽くし難い限り。さんざんこの世に実際には存在しない二次元キャラクターを愛してきた私ではあるが、実在の俳優によって演じられる2.5次元くらいの存在で、でも現実にはもう時間がたってしまったいて今この瞬間にはこの世のどこにも存在していない人を愛するのってなかなかつらく悲しいものなのだわと知らしめてくれたキャラクター・役者である。
 第4話で、ジニョンに安食堂に連れて行かれて目を白黒させるシーンで、オフタイムということで珍しくラフにブルーのポロシャツを着ていた姿が素敵。このくだりでの「いくらお金があっても他の人に私の幸せは買えません」というジニョンの台詞は、彼には二重にも三重にもショックだったことだろう。彼はそれまで、幸せとは何かなどと考えたこともなかったのではないだろうか。ただジニョンを好きになって、彼女を喜ばせるために「ルームサービス」を贈った。それで自分も幸せな気分になっていた。けれどジニョンはもっと別の幸せを知っているのだ。この世には金で買えないものがあるのだ。自分の幸せはどうしたら手に入るのだろう。そんなことを初めて考えさせられたのではないだろうか。
 第5話で、これまた珍しくスーツもシャツもネクタイも黒、というシーンもあり、これまた素敵。キム会長としては政略結婚として愛娘のユンヒをドンヒョクに縁付けたかったのだろうけれど、ドンヒョクにさりげなくいなされて終わっている。ドンヒョクとユンヒの接触は数少ないが、もう少しいろいろあってもおもしろかったかもしれない。個人的にはツボの設定・構図だった。
 第6話「雨の降る風景」でのハイライトは、青いジャケットに白いシャツとパンツのドンヒョクが、雨避けにコートをかざして走るシーンで、シャツの裾が割れて一瞬腹が見えるシーンだと思うのだがどうだろう(どうと言われても…)。
 第7話のプールサイドのシーンは、バタフライを披露したりホントに厚い胸板を見せたり眼鏡取るとちょっとタレ目気味に見えたりと見所満載なのだが(NG集で、ホントにコケかけたソン・ユンアをギリギリセーフで助けたぺ・ヨンジュンは見物!)、「また行きたいな/一緒に行きたい」という呟きは本当に秀逸。腰砕けます。そんな人が父親との再会では立ち上がるときに洟をすすり、「車を出せ!」と声を荒げ、たーって感じで流れる涙を拭う。「誰にも邪魔されずただふたりでいたかった/あなたを僕の胸に抱いて/いや僕が抱かれていたい」とメールに書く。来年のバレンタインデーを心待ちにする。ラブリー!
 寝ている女を5分で呼び出す、女性に歳を聞く、そんなエチケット違反も彼なら許そう。
 正体が暴露されて客室を追い出された第12話冒頭での怒りっぷりはまさに青い炎が燃え盛っているようだった(11話ヒキの彼の周りでカメラが廻るところも素敵だったなーっ)。どこから情報が漏洩したのか、それをつかむための誘い水としてわざと怒ってみせたということもあるだろうが、彼にとっては正当な代価を支払っているのにそれに反する扱いを受けることは本当に心外なことだったのだろう。親に捨てられた子供であるということは本当に彼の弱点になっていて、以来彼は稼いだ金で自分の居場所を贖うことに人生を費やしてきたのだ。その居場所が理不尽に取り上げられることは、彼には本当にたまらないことであったのだろうと思う。
 そのあとで、謝罪のシャンパンを壁に投げつけるのはまだしも、そこでジニョンを呼び出させるのは本当は卑怯なことである。だが彼はそれくらい彼女に本気だったのだ。ジニョンに揶揄されて泣いてしまう彼は本当に不器用な子供のようだ。父の前では泣けなかったというのに。のちに代わりに妹がすべてを代弁してくれたのだが(例によって日本放送版、DVD版にはカットがあるらしい。本放送ではジニョンがドンヒョクを後ろから抱きしめるシーンがあったらしいのだが、このくだりかな?)。
 バーでレオに「恋は酒と同じさ/きつい酒ほど胸と頭がかっとなる/だがいくらきつくても時間が経てば醒めるのさ」と言われて、「死ぬまで酔ってるかもしれないな」と答える台詞が、実は私は一番好きかもしれない。はは。のちにレオと喧嘩別れしたあと、フォローに行くしおしおとしたさまは本当に愛らしいです。
 第13話の、バーの入り口でテジュン、ジニョン、ドンヒョクの三人が交差するスローモーションのシーンは白眉。廊下の黄色い灯りが効果的。流れる曲は権利の関係かサントラ未収録のスティング「Fragile」。よく聞く英単語ですが、ワタクシ、今の今までジャイロ関係の、つまりコンパスとか羅針盤とかいう意味なのかとずっと勝手に思っていました。今辞書引いたら「壊れやすい、もろい」…がーん。発音ちがうし。
 バーのシーンは何度もあるが、テジュンはカサブランカのカウンターが似合う。一方ドンヒョクだが、赤い壁の螺旋階段を黒いシルエットになって上がってくるのがこんなにも似合う男は他にいない!
 第15話のテジュンの捨て台詞「あなたには女も数多くいるんでしょうね」はドンヒョクをカッチーンとさせるいい台詞だ。テジュンにとってドンヒョクは確かに「悪者で天敵」なのだが、さて彼がジニョンにした耳打ちの内容はどんなものだったのだろう?)私の案は…韓国ではNGだろうな…)
 先に折れてくるドンヒョクとまだ我を張っているテジュンとの、ジェニーの招待のくだりは微妙でちょっと微笑ましい。テジュンにしてみれば、昔の恋人も面倒を見てきた少女も、みんなドンヒョクに盗られてしまう気がして、同じソファに仲良く並んで座る気になれなかったのは無理からぬことなのだが。一方でドンヒョクにとっては、仕事を通していつでもジニョンと一緒にいるテジュンが気がかりなのだが、まるごと友達になってしまえればいいとも思うようになっているのだ。「ホテルという川を渡ったのにハン・テジュンという山がそびえている」
 だがついに彼は「ジニョンさんが望むならすべてを捨ててもいい/だから僕から離れないで」とホテルを救い(ただしジニョンのためだけではなく、テジュンが頼んできたからこその、彼への友情の表明でもあったのだが。あと、キム会長の汚い遣り口への反発と。そう、彼は紳士なのである)、無一文になってなおサパークラブを貸し切り、「永遠に僕から離れられない魔法の指輪をください」とダイヤの指輪を買い、「愛している、ジニョン」(この台詞は全編に三度あるがみんないい!)とプロポーズし、再びホテルに戻ってきてチェックインを頼み、「いつまでこちらに(ご滞在を)?」という質問に「永遠にあなたのそばにいます」と答えるのである!!
 この王子様ぶりにオチない女がいるかね!?
 ドラマとしてはメロ度が弱かった分『冬のソナタ』よりは女性陣にブームを起こさないだろうが、出来そのものはいい勝負だと思う(決して満点ではない、という点でも)。ぺ・ヨンジュンファンにとってはあたりまえだが必見の作品。「メガネくん」好きにも一応お薦めの作品だと思う。一応、というのは、これ以上ライバルが増えるとイヤだからで…了見狭いな自分!!


<一応、完>

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