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駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

三月大歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』

2025年04月05日 | 観劇記/タイトルか行
 歌舞伎座、2025年3月13日16時半(夜の部Bプログラム)、27日11時(昼の部Aプログラム千秋楽)

 竹田出雲、三好松洛、並木千柳の合作により、1748年に人形浄瑠璃として初演。1701年に江戸城内で播州赤穂藩の藩主・浅野内匠頭長矩が高家筆頭・吉良上野介義央に刃傷に及び、即日切腹の上、浅野家が改易となり、翌年に元浅野家国家老・大石内蔵助良雄以下四十七人の赤穂浪士が吉良邸に討ち入った事件を素材にした演目で、約五か月のロングラン公演。同年十二月には歌舞伎に移入された、歌舞伎狂言の中でも屈指の人気作。江戸時代から『太平記』の時代に置き換えて上演され続けている。今回の通し上演は30年ぶり、ダブルキャストで上演。

 昼夜AB両パターン観るのがベストでしょうが、素人の私にはちょっと重いかな…と思い、くわしいお友達の助言を聞いて昼Aと夜Bのチケットを取りました。要するに仁左衛門さんが由良之助の方、ということですね。でもいざ観てみたら、もう一方のパターンも観てみたかった…!となりました。演劇ファンのサガですね…(^^;)
 というわけで、勉強しつつ、楽しく観ました。ない段もあるけれどいつもより休憩時間が短かく上演時間は長く、観るだけでも体力勝負でしたが、次はいつあるかわからない通し上演ですので、観られてよかったです。

 昼の部は開演10分前から始まる口上人形による配役発表からスタート。いちいち拍手すると次が聞こえないので野暮だとかとにかくたくさん呼ばれるのでキリなくて疲れるとかも聞きましたが、贔屓の役者にだけ大きく拍手するといいのでは、という意見も目にしました。そ、そんな…とまれ、人形の首が一回転しちゃったりして、なかなかユーモラスで期待が高まりました。お話は壮大な悲劇なのでは、と思うのだけれど、要するにあくまでもエンタメってことなのかな、と思ったりもしました。
 まずは「大序」の鶴ヶ岡社頭兜改めの場から。人形浄瑠璃のうち、時代ものの初段は神社仏閣などの神聖な場所を舞台とする場面から始めるのが通例だそうで、歌舞伎で今もこの゜大序」が上演され続けているのはこの作品だけだそうです。いつもよりゆーっくりな、これも儀式的な要素があるのだろう幕の開き方で、板付きの役者さんは全員うつむいている人形振りから始まりました。ここに魂が入り、役者が顔を上げて動き出して芝居が始まる、という演出なのです。ときめきました…!
 足利直義/中村扇雀、塩冶判官/中村勘九郎、桃井若狭之助/尾上松也、顔世御前/片岡孝太郎、高師直/尾上松緑。
 私は『忠臣蔵』に関しては知識がある程度なくはなかったのですが、桃井若狭之助にあたるキャラにピンとこず、最初はけっこうとまどってしまいました。上野介にあたる高師直にいびられているのは、まず彼だったので…でも内匠頭にあたるのは塩冶判官だよね?と…増やされたお友達キャラ? 若く生真面目そうな松也さんの若狭之助と、同じく生真面目そうではあるけれど冷静な勘九郎さん塩冶判官が、凜々しくすがすがしかったです。
 でもとにかくいいなあ、と思ったのが高師直の松緑さんでした。単純に、楽しそう…(笑)このお役をやるのって、楽しいんじゃないかしらん。主役はもちろん由良之助であり塩冶判官の物語なのかもしれないけれど…
 阿久里にあたる顔世御前の孝太郎さんも美しい。
 でも、これに入れあげる師直とか、確かにおもしろみはあるんだけれど、でも若狭や判官へのいびりにいちいち笑いが起きるのはなんなんだろう…とは感じました。確かにベタないびりでユーモラスでもあるけれど、ドリフ的な笑いではないし、判官たちからしたら理不尽ななじりであってムカついて当然で、フラットな観客も眉をひそめるところではなかろうか…笑う人はどの立場で観てんねん、とはちょっと感じました。
 続いて三段目、足利館門前進物の場、同松の間刃傷の場。「進物場」はしっかりユーモラス、コメディ場面なので、笑っちゃうのが自然で、だからこそ全体の笑いの塩梅が難しいのかもしれない…と思うようになりました。
 加古川本蔵/嵐橘三郎、鷺坂伴内/片岡松之助。
 そして「喧嘩場」、私はここが一番おもしろい、というか見どころだと感じてしまいました。なので師直のいびりにいちいち湧く笑いにホント違和感…抱き留められた判官が最後に刀を投げつけるところとか、その無念さを思って泣いちゃいましたよ私……
 四段目、扇ヶ谷塩冶判官切腹の場、同表門城明渡しの場。
 大星由良之助/片岡仁左衛門、石堂右馬之丞/中村梅玉、薬師寺次郎左衛門(板東彦三郎)、斧九太夫(片岡亀蔵)、原郷右衛門(中村錦之助)、大星力弥(中村莟玉)。
 上演中の客生の出入りを禁ずる「通さん場」と呼ばれる、「遅かりし由良之助」の場面ですね。この台詞はないし、国家老が切腹に間に合うようやってこられるわきゃないのですがそれはそれ。判官のご遺体を整える由良之助の手つきの優しさよ…からの、すぐにも報復だと逸る若手を抑える貫禄。芝居の醍醐味を観ました。
 昼の部ラストは、三段目の「裏門」を舞踊劇にした「道行旅路の花聟」。
 早野勘平/中村隼人、おかる/中村七之助。
 麗しすぎて目が潰れるかと思いました…ここの伴内は巳之助さんで、コミックリリーフとして素敵でした。

 夜の部は五段目、「山崎街道鉄砲渡しの場」「同二つ玉の場」。
 早野勘平/中村勘九郎、斧定九郎/中村隼人、千崎弥五郎/板東巳之助。
 私が盗まれる宝刀と並んで歌舞伎あるあるだと思っている、女を女郎に売るの、あるいは請け出すののお金にまつわる、落としただの盗まれただののあれこれ…なお話でした。隼人さんが一瞬しか出ない極悪人のお役で、なんかちょっとおもしろかったです。勘九郎さんの勘平は、なんか日々の暮らしにだいぶくたびれている感じ…
 六段目、「与市兵衛内勘平腹切の場」。
 おかる/中村七之助、おかや/中村梅花。
 ここはスーパー梅花タイムだと思いました。思わぬ行き違いからの愁嘆場、大メロドラマ展開なんですけど、おかるの身売りをめぐって、あるいはそのお金をめぐって、あるいはその父親・与市兵衛(中村吉三郎)の生死をめぐって、不運なんて言葉では言い表せないトンデモな事態になってしまうのでした…おかやの嘆きよう、なじりよう、暴れようは胸に迫りました。
 七段目、「祇園一力茶屋の場」。
 由良之助/仁左衛門、平岡平右衛門/松也、斧九太夫/片岡亀蔵、おかる/七之助。
 これまた有名な「由良さん、こちら」の場面ですね。しかし仇討ち他野心を秘めた男はカムフラージュのために遊び人の振りをする、というのは定番なのでしょうか…たとえば『バレンシアの熱い花』なんかの展開も、こうしたところから引かれているのかもしれませんね。
 しかしここはそれより平右衛門とおかるの兄妹のいちゃいちゃ展開に、私は素直に驚いてしまいました…何コレAの巳之助さん時蔵さんでも観たかった…!
 そしてついに十一段目、「高家表門討入りの場」「同奥庭泉水の場」「同炭部屋本懐の場」「引揚げの場」。ここの配役表はすごくて、確かに実際の赤穂浪士の討ち入りメンバーは全員が名前を知られているわけですが、それを全員分いちいちもじってあるのでしょうか…でも、ここに入れるのはやはり歌舞伎役者さんは冥利に尽きるんでしょうね。またも歌舞伎あるあるの生首案件ですが、まあ史実だし仕方ない…花水橋に逆三角形に居並ぶ浪士たちの姿は、完全に大階段男役群舞のトップスターを頂点とした燕尾場面を彷彿とさせました。晴れ晴れとした引き揚げで幕。実際には、このあと幕府の処分が揉めに揉めたあと、お家再興も叶わないままに全員切腹、ということになるので、切腹までやっておしまい、となる『ザ・カブキ』なんかの方がお話としては正しいのではないか、と思わなくもないですが…浄瑠璃版ともここで終わり、なのかな?
 ちなみに、仇討ちとか復讐とかって今の観点からするとアレなので…みたいな意見はよく聞きますが、私はこれは正義を貫く物語、ご公儀の片手落ちの処分を不服とした申し立ての敢行の物語であって、単にやられたからやり返すというお話ではないのだな、と感じました。もちろん暴力はいついかなるときもダメなので、それはアレなんだけれど、やっぱり単純に悪いのは吉良であり正しい処分を下せなかった将軍なのであって、それを正そうと思ったらこれしかなかった、というのはあるのかな、と思いました。それでも血で血を洗う、たくさんの人命が失われすぎている事件に発展していて、周りの家族その他はたまったものではないわけですが、それでも正義を取る、理屈を通す…という考え方は、私は嫌いじゃないというか、乱暴だけどそうすべきであると考えてしまうので、ラストにはさすがにそこまでのすがすがしさ、晴れ晴れしさは感じないながらも、お話として納得できたな、など感じたのでした。

 仁左衛門さんの由良之助がどうこう、みたいなことは私ごときには語れません。また5年後くらいに、もっと若い座組でまた通しで上演してくれたら、もっとじっくり観られていろいろわかってくるのかな、とか思ったりもします。
 そういう機会を、また作っていただけるとありがたいです。









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