駒子の備忘録

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『如懿伝』と『瓔珞』についての雑感など

2022年03月07日 | 日記
 先日『瓔珞』を、その少し前に『如懿伝』を見終えました。ともにBSの11だか12だかで平日に帯で放送していた、全70話とか80話とかある時代ものの中華ドラマです。一昨年初めのステイホーム時期以降、友達がハマっていたのもあったりしていろいろ見るようになりました。でもキャラクターかお話か役者さんの顔など、何かしらが好みでないと長々見続けるのはつらくて、私はけっこうすぐ見限って脱落してしまうので、完走したものはまだ片手ほどかと思います。最初は『明蘭』だったかな。あとは『君は花海棠の紅にあらず』『河神』とか…今は週2の放送で現代ものですが、『30女の思うこと~上海女子物語~』を楽しみにしています。
 でもどちらかというと時代ものの方が好きです。それもなんちゃってものよりは、多少フィクション部分が大きかろうとちゃんとした史実に基づいた歴史ものの方が好きです。ま、私が知っている中国史なんてたかがしれているわけですが。
 『如懿伝』を見始めたときには、単なる架空の後宮ドロドロものかと思っていたら出てきた皇帝が乾隆帝だったので、おおなんか世界史の授業とかでやったかも、とか思いつつ、あとはすべてフィクションなんだろう、と思って見進めていました。で、こちらが中盤にさしかかったころに『瓔珞』を見始めたら、こちらの皇帝も乾隆帝で、出てくる妃嬪の称号も同じだったので、おおみんな実在したのか、ちゃんとした史実だったのか!と驚きました。思えば清朝、18世紀くらいのお話で、そりゃまあまあ資料とかが残っていますよね。日本でも戦国時代だの幕末だのが繰り返しドラマ化されて、いろんな信長像があったり竜馬像があったりするようなものでしょうか。そして女性の名前が記録に残されておらず、名字や父親の名しかわかっていないので適宜つけられたものであるところも同じ事情ですね。
 史実にはどちらのドラマが近いのか、なんて検証サイトなんかもあるようですが、私は『瓔珞』のヒロインは完全に創作のキャラかと思って見進めたので、終盤けっこう仰天しました。今回はそのあたりを語らせていただきたく思います。毎度のことですが長いです。

 『如懿伝』のヒロイン・如懿は、乾隆帝・弘暦の二番目の皇后になった人です。妃嬪時代の称号は嫻妃。貴妃とか妃とか嬪とか貴人とか位はいろいろあるようで、爵位なら公侯伯子男と覚えていますがこちらは覚えきれませんでした…
 もともと幼なじみみたいな設定なのかな? 皇子時代からなんとはなしに恋仲で、でも家柄だの政略的なことだのいろいろあって正妻には別の女性が迎えられ、如懿は側室のひとりとして嫁ぎ、弘暦が皇帝になると正妻が皇后になったわけですが、彼女が死んだあとに満を持して皇后になるわけです。基本的にはここがずっと主役カップルで相思相愛であり、後宮の権力争いや嫉妬と陰謀渦巻くドロドロがメインのメロドラマですが、その主軸がしっかりしていたので見やすかったです。後年は皇帝のご乱行が過ぎてヒロインの心が離れてしまい、ヒロインの方も皇帝から廃妃直前まで疎まれ追い込まれたのは史実のようで、そのあたりは見ていてややしんどかったですが、結局はヒロインは静かに天に召され、その後かなり長く生きた皇帝もずっと彼女を想っていたのである…みたいなまとめ方で最終回とされていたので、主軸がしっかり保たれたままの良き出来のドラマだったかと思います。
 でも、『瓔珞』の触れ込みはちょっと違っていたんですよね。もちろん後宮ドロドロものなのは知っていて見始めたのですが、聞いていた評判は、なんかユリユリしいくらいの、シスターフッドものだというものだったのです。それで楽しみに見始めたのでした。
 確かにヒロインの魏瓔珞は、美人ではありますが全然笑わない、愛想がないタイプで、聡明とか機転が利くというよりはむしろ狡猾なくらいに頭の回転が速いとされている、ちょっと変わったキャラ立てになっています。なので皇帝どころか男に簡単に尻尾を振りません。ラブ気配ゼロのヒロイン像なのです。慕っていた姉が後宮で不審な死を遂げたので、その死の真相を暴き復讐を果たすためにお針子として後宮に潜入するところから物語は始まります。なので私は彼女は完全にフィクションのキャラクターなのかと思っていたのです。
 彼女が入る後宮は乾隆帝のもので、瓔珞はやがて皇后の侍女となるのですが、周りの妃嬪たちは『如懿伝』と称号が同じで、キャラ立てもなんとなく似通っていました。史実にある程度エピソードや逸話が残っていて、大衆の解釈や持つイメージがだいたい一致しているんでしょうね。これも本邦でも秀吉といえばとか西郷どんといえば、みたいな一定のイメージがあるのと同じですね。誰も会ったことなんかないし本当のところはわからないのにね…それはともかく瓔珞は皇后に引き立てられ、慈しまれ教育を授けられ、代わりに彼女に敬意や忠誠心を捧げてある種共闘していくような展開になります。とても新鮮に思えて、萌え萌えで見ました。
 でも私は先に『如懿伝』を見ていたので、この皇后が早くに亡くなることを知っていました。なのでいったいどうなるんだろう…と見ていったら、その後仕える主人を失った瓔珞は結局は皇帝の妃嬪に迎えられて、令妃の称号を与えられるのでした。
 それでも私は、これはずっと架空の妃のお話なのだろうと思っていたのです。けれど終盤になるにつれて、これってもしかして『如懿伝』のレイ妃(字が出ない…火偏に令という漢字でした)ってことなの…!?と気づいて愕然としたのでした。で、確かに名字が魏の令妃というのは実在の人物で乾隆帝の晩年の寵姫で、三人目の皇后になり最も多くの子供を産みかつその子供の中から次の皇帝を出した、後宮政治の最終的な勝ち組だったようです。『如懿伝』ではヒロインのライバルとして、また物語上の悪役として出る形になったため、不敬を憚ったのか、称号の漢字を変えまた名字を衛に変えて登場させた、とのことでした。
 史実として、令妃は確かに初代皇后の女官出身だったそうです(『如懿伝』では若干違う設定になっていましたが)。妃になったのは『瓔珞』のように皇后の死後ではなく、生前だったそうですが。つまり皇后が体調が悪くて皇帝の夜伽ができなかったときに、他の妃のところに行かれるくらいならと自分のところの女官を代わりに差し出してつなぎ止める…というような経緯だったようですね。まあそれはぶっちゃけありがちなことでしょう、そもありなんとも思います。
 でも『瓔珞』の瓔珞と皇后は…それこそ仲の良い皇后と純妃に同性愛疑惑がかけられる、なんてネタもありましたが、まさに主従でありながらも姉妹のような親友同士のようなほとんど恋愛に近いような、相思相愛の固く深い友愛を築き上げていたのですよ、ドラマ前半は。皇帝は瓔珞にチラチラ秋波を送っていましたが、皇后は嫉妬ではなく瓔珞自身の幸せのために皇帝を牽制し続けましたし、瓔珞の方も敬愛する女主人の夫を奪うような真似なんてとんでもない、とあれこれ手を尽くして皇帝の誘いを退け続けたのです。
 しかも瓔珞には皇后の弟・傅恒との淡いロマンスもありました。それこそ身分違いだし、皇帝の側近と皇后の女官なんて禁断すぎるんだけれど、ちゃんと両想いとなったのです。瓔珞の姉の死の真相が解明され、復讐が遂げられたら、次はそちらのラブ成就のターンだと誰しも思うものじゃないですか。
 けれど、皇帝の横槍が入った。瓔珞の聡明さや気の強さ、物怖じしたり愛想笑いしたりしないところに皇帝は惹かれて、結局のところ力尽くで自分の後宮に入れたのでした。そらこの時代、国民には人権はほぼなく自由意志なども認められず、すべてが皇帝の臣民であり財産であり皇帝に生殺与奪権を握られていますから、泣こうがわめこうが皇帝の命令からは逃れられません。死んで逃げることしかできない、でも瓔珞はそんなキャラじゃありません。だから仕方ない、のかもしれない。でもさあ…なんか、ここからの展開が不可解だったんですよね、このドラマ。結局のところ私はそれが不満だったのでした。
 だって傅恒の方は政略結婚させられた妻とも心を通わせず(彼女と皇帝の密通エピソードもかなり問題あるのではと思いましたが、ここでは触れないことにします)、ずっと瓔珞を想い続け、ドラマ後半も陰になり日向になり彼女を支え続けるんですよ。一方で瓔珞の方も、皇帝の妃になったとはいえ簡単にはなびかずツンケンしていて、まあそれが余計に皇帝の執心を煽ってしまうんですけれど、要するに彼女の心は未だ傅恒にある、ように見える。というか、もともとこのドラマは前半においてもヒロインの真意が明確に描写されることがなく、わかりにくい演出になっているのですが、それでも前半は姉の死の真相を探り復讐するという目的がはっきりしていたのでお話についていきやすかったし、謎に思えるヒロインの行動も数話のうちに種明かしされ回収されていたので、見やすかったのです。それが、後半は全然わからなくなりました。後半の瓔珞が傅恒にも冷たいのはフェイクなのか、本当にこの恋をあきらめ過去のこととして吹っ切ってしまったのか、見ていても実はよくわかりませんでした。
 それでも、瓔珞はフィクションの存在なのだから、どこかで後宮を出してもらえて傅恒と無事に結ばれるようなラストが待っているのかと信じて、私は見続けていったのです。ところが途中で「待ってコレ『如懿伝』のレイ妃ってこと…!?」と気づいてしまってからは、じゃあそんなエンドなんかありえないんじゃね?となってしまったのです。で、ちょっと調べたら結局のところ同じ人物であり、史実は三番目の皇后になった女性だと知りました。『如懿伝』ではヒロインの死後に時間が飛ぶ演出になっていたのでその描写はなく、皇帝がその後も独身のままでいたはずはないとは思いつつ、そこにレイ妃が収まったとは私は知らないままだったのでした。
 モヤモヤしながら見続けた『瓔珞』は結局、二番目の皇后が冷遇されて瓔珞がほとんど皇后代理みたいな立場である皇貴妃になったところで終わりました。しかも皇帝とラブラブで。今までさんざんツンケンしてきたのはそうしないと皇帝の関心や愛情を引っ張れないから、作為的にやったもので本当はずっと好きだったのだ、みたいな感じでした。えええぇー、と叫びたくなりましたよね…
 つまり『瓔珞』の前半の何がおもしろかったかって、瓔珞が皇帝の寵愛や権威に見向きもしなかった点なんですよ。皇帝とくれば男はみんなひれ伏し女はみんなその愛を得ようと媚を売る、のがあたりまえだった世界で、瓔珞だけは違った。彼女にとっては育ての親代わりだった姉だけが大切で、彼女の不名誉を濯ぎ死の真相を暴き下手人に責を負わせたかった、正義を貫きたかった、ただそれだけが目的で、それ以外のことはすべてそのための手段でしかなかったのです。だから必要とあれば皇帝にも微笑みかけたりはもちろんしましたが、本質的には歯牙にもかけず鼻も引っかけない、どうでもいい存在とみなしていたのです。姉の復讐を果たしたあとならお手討ちになろうとかまわない、皇帝の権威に敬意を払い頭を下げて仕えようとか、皇帝の寵愛を得て成り上がって贅沢三昧の暮らしをしようとかは露ほども考えていない、そういうキャラだったからこそ新鮮で小気味が良くて、おもしろかったのです。そんなヒロインが、堅物の若様・傅恒とそこはかとなくラブになっちゃうのがきゅんきゅんでよかったのです。
 でも後半これじゃ、結局ただのよくある後宮ドロドロものだったってことになっちゃうじゃないですか。せめて、皇帝へのラブは抜きにしてほしかった…
 皇帝に目をつけられた時点で、死ぬ以外に逃げ道はない、どう足掻いても絶対に妃にさせられる。姉の復讐も果たしたしもう生きる意味もないんだけれど、でもやはり死にたくはない、だから仕方ない、妃になろう。若様への淡い恋は所詮今生では実るはずもないものだったのだ、思い切ろう。皇帝のことは偉いとも思っていないし異性としても好きでもなんでもないけれど、上手くつきあわないとそれこそ命に関わるので上手くあしらおう…そういうノリなら、まだよかった。実際、寵愛を得られず冷遇されすぎても、満足な食事が届けられなくなったり冬を越せるだけの衣類が用意されなくなったりするので、マジで生命の危機なのです。といって寵愛を受けすぎても、他の妃嬪たちの嫉妬を買って毒殺だの諫言だのの陰謀に巻き込まれがちになり、やっぱり命が危険です。ちょうどいい塩梅でうまいこと生き延びたい、だからこうしたのだ…というのなら、まだわかりました。でもラブは余計ですよ、瓔珞はそんな簡単な女じゃなかったはずですよ…
 本当に皇帝を好きで、今の皇后を出し抜いて自分が成り上がるために奸計を尽くした…のでは、ただの狡猾かつ愚昧な女ってことになっちゃうじゃないですか。だってこの皇帝、男として別に素敵なキャラに描かれているわけじゃないんですよ。瓔珞の歓心を買おうとジタバタするあたりはいじらしくて微笑ましくはあるんだけれど、逆に言えばいじましくて情けないし、瓔珞ほどの女が惚れる男としてはあまりに弱い。それに、結局権力者に惚れるんじゃ、瓔珞もやっぱり欲や金に目がくらむただの女だったのね、ってことになっちゃうじゃん…これは変節ですよ、それがあまりに残念だったのでした。
 それなら、帝位を継ぐかどうかもわからなかった皇子時代から恋人で、結局添い遂げた『如懿伝』の如懿の方がずっとちゃんとしていたわけです。筋が通っているし、そういうラブロマンスとして全編を見られました。『瓔珞』は途中で変わってしまったのです。最初からこういう構想だったのだとしたら構成が下手すぎるし、途中で脚本家が変わったり、見切り発車で始めてあとは泥縄で製作されたんだとしたらそれもまた残念なことでした。

 前半のシスターフッド、女同士の共闘のノリがあまりに新鮮でまぶしく、素晴らしすぎたのかもしれません。後半も、瓔珞が二代目皇后になった嫻妃に休戦協定めいたものを持ちかけるあたりなんかは、皇帝の寵を競って女たちだけが争い傷を負い合うのは無意味だ、どうせあんな男のことは本気で好きなわけじゃないんでしょ、だったらお互い上手く折り合ってやっていこうよ…というような後宮の女たちの新しい生き方を提示するようで、ちょっと期待できたんですよね。そうそう、女がみんな男が好きだとか金や権力に目がないとか思うなよ、そんなことよりもっと大事なものが人生にはあるってことを知っている女だっているんだよ、という気持ちに見ていてさせられたのです。それを描いてくれたのなら、よかった。というか、後宮ドロドロものっておもしろいし私だって好きで結局見ちゃうんだけれど、でも結局それってキャットファイトの高みの見物というか、女は男を巡って争うもの、女の敵は女、みたいなしょうもないミソジニーの結晶にすぎないんですよね。視聴者は女性が大半なんだろうけれど製作陣はまず男性メインだろうし、そういう男性特有のミソジニーを女性もいつしか内面化、内在化しちゃっているわけです。
 でも、そろそろもうそういうんじゃない後宮ものが製作されたっていいのではないか、もう令和だし(イヤ中国は違う年号を使っているんでしょうけれど…それとももう西暦オンリーなのかな?)21世紀なんですから、というのが、ここまで長々語ってきましたが要するに私が今回言いたいことです。
 たとえば、それこそ『30女の~』はヒロイン3人の物語ですが、それくらいの数か、『如懿伝』はまあまあたくさん妃嬪が出てきてそれぞれ上手くキャラ立てされていたので8人くらいとかで、要するに『チャーリーズエンジェル』か『オーシャンズ8』みたいな後宮ものはできないだろうか、という提案です。
 一夫多妻の時代、システムが過去にあった、という事実は変えられないし、その時代のお衣装や宮廷のしつらえなどがゴージャスで戦争含めて政治的なあれこれもドラマチックで物語の舞台に向く、ということもあって、そこでドラマを作る、というのは前提として、後宮の女性たちがヒロインとなることも規定として、でもみんながみんな皇帝ラブとかおかしいやろ、そんなの単なる男の幻想やろ、とは言ってやりたいのです。私がシスヘテロだからかもしれませんが、本来恋愛やつがいは一対一の一組でなされるべきもので(一方で恋愛と生殖と育児を固定の1カップルで一生続ける婚姻というシステムには無理があるのかもしれないと思いますがそれはここでは触れないことにします)、一対多数となるならそりゃ多数側の愛情はその分目減りするのが道理ですよね、と思うのです。だから妃嬪たちみんながみんな皇帝を本心から愛して互いに憎み合う、なんてのはあったとしてもごく初期のことだけであって、やがてすぐ関心が薄れて本気の取り合いなんかやめちゃうのが自然の摂理というものだろう、と思うのですよ。
 でも妃嬪たちは一生後宮を出られないし、ここで生きていくしかない。恋愛バトルでないならでは何をドラマとしてやらせるか…といえば、だから『チャーリーズエンジェル』であり『オーシャンズ8』なわけです。つまりスパイ・アクションとかコン・ゲームものとか、そういうの。『半沢直樹』と言ってもいい。世の中を回している気になっている皇帝や廷臣や宦官ら男たちは実は女たちの掌の上で上手く転がされてその気にさせられているだけで、実は女たちが陰で上手く世を回していたのだ、というお話。たとえば外国からの干渉を上手く撃退するとか、陰謀を巡らし皇帝に取って代わろうとする官僚を罠にはめて失脚に追い込むとか、そういうお話。私腹を肥やす小悪人の罪を暴き、奴婢たちの暮らしをちょっとだけ改善してあげるような活躍とか。女たちが知恵と勇気と手練手管で男たちを出し抜き、世の平和を守る物語。皇帝は妃嬪たちの陰の活躍に気づかず自分の手柄だと思ってご満悦、そんな皇帝を「さすが陛下」と持ち上げてニッコリしながら扇の陰で舌を出す女たち、その痛快さを見せるドラマ。どうでしょう?
 そして女子会。たとえば夜伽についても、
「えー、今夜のご指名、あたし? ヤダよー、あたしこの間子供産んだばっかじゃん、しばらくパスさせてよー。かったるいのよー。純貴妃パイセン、お願いしますよー」
「あたしだってやーよ、だって陛下ってホント全然良くないんだもん。なのにひたすらしつこいしー…愉妃たんとか久々にいいんじゃなぁい?」
「えー、あたしももうしばらくおなかいっぱいですー。毎回、早く終わってくんないかなー、ゆっくり眠りたいなーとか思いながら耐えてるんですよー。嘉嬪さんに譲りますぅー」
「やめてよ、あたしなんか李玉に賄賂送ってわざわざ自分の札、下げさせてるんだからね! 慶貴人たんに任せた!」
「ギャー何それズルいあたしもそうする! ぎゃはははー!!」
 とかトークしててほしい(笑)。…すみません、今、吉川トリコ『マリー・アントワネットの日記』(新潮社)を楽しく読んでいるもんでつい口調が移りました。とはいえ後宮女子の本音なんて案外こんなものなのでは?
 そして子供は男児も女児もしっかり育てる。賢く優しく見聞広く、良き人間になるように。子供たちのその子供たちくらいの世代では、こんな後宮のシステムなんて撤廃できるように。こんな君主制や帝国主義や身分、階級社会などなくなるように。みんなが等しく認め合いお互いを許し合える世界を求めていくために…
 当然、男性メインの製作陣ではこんな企画は通らないでしょうが、女性メインの製作陣でこういう作品が作られるようになったら、世界はもっと明るくなるんじゃないでしょうか。少なくとも私は今すぐにでも見てみたい。どうでしょうどこかのテレビ局、プロデューサーさん…!
 そんなことを夢想したり、するのでした。










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