駒子の備忘録

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パット・バーカー『女たちの沈黙』(早川書房)

2023年02月25日 | 乱読記/書名あ行
 トロイア戦争最後の年。トロイアの近隣都市リュルネソスがギリシア連合軍によって滅ぼされた。王妃ブリセイスは囚われ、奴隷となった。主は彼女の家族と同胞を殺した男、英雄アキレウス。ブリセイスは同じく「戦利品」として囚われた女たちと新たな日常を築いていくが、アキレウスと不仲である総大将のアガメムノンがブリセイスを無理やり我がものとしようとして…ブッカー賞作家の傑作歴史小説。

「西洋文学の正典がホメロスに基づいているとしたら、それは女たちの沈黙に基づいている。奴隷となったトロイアの女たちの視点から『イリアス』の出来事を描き直すバーカーの見事な介入は、♯Me Too運動や、抑圧された声を拾い上げるための広範な運動と調和した。依然として戦争のなくならない世界において、その試みは現代人にぞっとするような共感を与える」…というのが、帯でも紹介されている英ガーディアン紙の評だそうです。確かに再びキナ臭くなっている世界において、そして女性を始め弱き者や数の少ない者の声が未だ届きにくい世界において、ブリセイスの一人称で描かれた『イリアス』が読まれることはとても意義があるでしょう。ただ私はそれ以前にただのトロイア戦争オタクなので、この作品ではあのエピソードは、あのキャラクターはどう描かれているのかしら…という興味だけで萌え萌えで読んでしまいました。ものすごくおもしろかったです。
 が、それはそれとしてブリセイス視点で『イリアス』を描き直す、というアイディアは確かに秀逸でした。これでアキレウスとアガメムノンの諍いからヘクトルの葬儀まで、トロイア戦争末期の重要なエピソードがほぼ網羅できるので、とてもおもしろいのです。途中どうしてもブリセイス視点では追い切れず、三人称で、むしろアキレウスに寄った視点の章が挟まれますが、これは致し方ないことでしょう。ブリセイスはアキレウスには全然恋をしないのですが、それでアキレウスを全然見ない、彼のことを考えない、彼の描写をしないとなると、やはり物語としては成立させづらいのです。やはりアキレウスはこの戦争のスーパースターですからね。
 ただ、ブリセイスがアキレウスに恋したり、懐いたり、馴染んだり、あるいはいわゆるストックホルム症候群のようになったりしないのは納得できました。普通に考えれば当然だろうとも思います。昨日までは都市国家の王妃でも、いやだからこそ今はただの奴隷で、それでも過酷な労働を強いられるような類の奴隷からははるかにましな待遇で、しかし夜伽はさせられ宴会の給仕をさせられて見世物にはされる、そういう屈辱は引き受けなければならない。しかもそれを屈辱に感じていることは表せない、薄笑いを浮かべていないとならない。でないといつ主人の気分を損ねて殺されるかもしれないから。殺されないように、怒らせないように、目立たないよう、息を潜めて、最低限のことだけしてあとは小さく縮こまっている。そこに愛だの恋だの生まれる余裕なんぞないのです。彼女はいたってシビアな生死の境にいるのですから。
 パトロクロスは、他の男たちよりは紳士的で親切で、彼女の主人であるアキレウスへの影響力もあるから、ブリセイスはちょっとだけ心を開く。なんなら感謝を、友愛を感じていたと言ってもいい。でも、それだけ。もっとあたたかいものが生まれる余地はない、そんな過酷な環境での物語。アキレウスが父ペレウスと母親である海の女神テティスとの間であまり幸せでない少年時代を送ったことなどを知っても、同情はできない。そんな心の余裕はない、ただ怖いだけ、ただ傷つけられたくないだけ、生き延びたいだけ…
 なんともしんどいです。けれど本当にそうだったろうと思う。そしてこういう描写はまったくされることなく『イリアス』は進むのであり、のちに語り直された物語たちもほぼすべて男の手になるもので男の見方で書かれていて、だから女たちは簡単に主人に心を開き恋をし尽くし愛するようになっている。そんな都合のいいことあるかい、とこの作品は言ってやっているわけです。そしてそれでちゃんと物語になっている、そこがすごいです。
『トロイアの女たち』とでも訳されそうな続編があるそうで、それはおそらく『オデュッセイア』が語り直されるのでしょう。戦争が終わってギリシア兵たちは故郷に帰る、そこに伴われる女たちから見た物語もまたあるのでした。
 まだ少女のころのブリセイスが、姉に伴われてトロイア王宮に行き、ヘレネと出会って好感を持ったことが語られるくだりが印象的でした。ヘレネは周りの女たちからは敬遠されていたようだけれど、それをあまり意に介せずただ泰然と正直でいる様子に、ブリセイスは感銘を受け、なんならちょっと恋をしたのでしょう。別にヘンにユリっぽくなくてもいいんだけど、そういう女たちの交情が続編ではもっと描かれるといいな、と思いました。戦争後の方がまだ、女たちにもその余裕があるのではないかしらん…
 今回もアキレウスとパトロクロスの関係は別にBLめいて描かれてはいません。でも、たとえばパトロクロスの死後のアキレウスの様子からでも、その特別なことは全然窺える。それで十分なのでした。せつなくて、しんどくて、とてもよかったです。女神の息子でも、伝説の英雄でも、全然欠けていて、栄光に包まれてはいてもおそらくは不幸のうちに死んだアキレウスを、私は愛してやまないのでした。







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