よみうり大手町ホール、2025年3月22日12時。
オリジナル脚本/柴田侑宏、上演台本・演出/荻田浩一、音楽/吉田優子、編曲/長野ユースケ、美術/角田知穂。1992年に旧宝塚大劇場の最終公演として雪組で上演された作品を、33年ぶりに朗読劇として当時のメンバープラスアルファで再演。全1幕。
私の雪組はトンちゃんこと紫ともさんの退団公演からなので、かりんちょさん、旧大劇場、『忠臣蔵』に間に合っていません。スカステで以前見たことはあるかと思いますが、あまり記憶なし。主題歌と有名なラストの台詞くらいしか知りませんが、今歌舞伎座で通しで上演中の『仮名手本忠臣蔵』を観ていることもあり(まだ夜の部しか観ていなくて、来週昼の部を観るのですが…)、お友達に誘われたのを幸いに出かけてきました。
開演前ギリギリの会場着となってしまい、プログラムを終演後に買うことになったため、誰が出ているんだっけ…状態で観ましたが、はやせ翔馬以外は全員わかって(彩海早矢かな、とか思ってた…)懐かしすぎてエモエモのエモで、泣くわ笑うわ大変な観劇となってしまいました。イヤでもホントよくできていたと思うのマジで!
ミュージシャンは優子先生始め4名とシンプル、演者は全員着物っぽいデザインの金の模様の入った黒のパンツスーツ。セットは斜めに高い台というかステージがあるだけ、ときどき襖や板壁に見えるスクリーンが降りて、当時の舞台写真や歌舞伎題材の浮世絵、江戸の古地図なんかが映し出されます。演者は台本を手にしたり、見台に置いて腰掛けて語ったりしますが、移動も出ハケも多いし、何より歌があり、朗読劇というよりはダンスがないだけのコンサート・バージョンのような見応えがありました。でもフルメンバーじゃないし主要場面だけやっていることもあって、休憩なし100分の舞台に仕上がっていましたが、ちょうどいい塩梅かと思いました。
というわけで本役同様に大石内蔵助(杜けあき)はかりんちょさん、気合いが違いますよね…! 凜々しい、大きい、素晴らしい。そして阿久里とお蘭(紫とも)の二役のトンちゃん、これまた本役ですが変わらず美しい、色っぽい…確かOGのライブに私が初めて行ったのはトンちゃんのものだった記憶で、背中がバックリ開いたドレス姿に娘役とは違う年相応の色っぽさを見てめっちゃ感動したのを覚えているのですが、最近は歌はやっていないのか、ちょっと弱かったかな? それはやや残念でした。
イチロさんがやっていた浅野内匠頭(香寿たつき)はたぁたん、これまた凜々しい、素晴らしい…! 新公主演だったんですねえ。後半の岡野金右衛門もよかった! 相手役のおきく(渚あき)があきちゃんで、星組トップコンビ!となったし、そもそも雪組時代も組んでたもんね…!と胸アツでした。ここも新公でやっていたお役なんですね。
さらにお久しぶりの立ともみ、りく(小乙女幸)のりんごちゃん! みちる姐さんの歌! 最下がすっしぃ! 懐かしさに震えるしかありませんでした…当時は雪組にいなかったおっちょんとまだ予科生だったというユミコも上手くで何役もできて頼もしい! もうもう、どこ見ても楽しかったです…!
そして改めて、歌舞伎と同じような改変やオリジナルのキャラクター、エピソードの立て方など、上手くできた作品だなーと感じ入りました。歌舞伎にもある「由良さんこちら」など、内蔵助が放蕩者の振りをするくだりに上杉方の女スパイを絡めていくとか、浪人となって町人の振りをした志士たちにも恋模様を作って娘役の出番を作るとか、ホント柴田先生ってすごい…!と感心しきりでした。悪役の作り方も本当に上手い。シビれます…!
でもこれも討ち入り後の引き上げで終わるんですね…バレエの「ザ・カブキ」は全員の切腹までやって終わるのにな。志士たちは吉良の首を取って主君の仇討ちをしたあとは、すぐにも追い腹を切るつもりだったのでしょうが、一応は幕府の沙汰を待つことにして、お詣りだけしておとなしく引き下がったんですよね。そこから幕府は処置に悩みに悩んで、江戸の町民たちは赤穂贔屓だしそもそも喧嘩両成敗のところを片手落ちの判断をした引け目があるしで揉めに揉めて引っ張って、結局は解放でもなく打ち首でもなく切腹を許したわけです。その時点では内匠頭の弟によるお家再興は許可が出ていなくて、志士たちはそりゃそれぞれは思うところもいろいろあったでしょうが、まあある種納得して殉死していったのでしょう。この時代の生死観を今の尺度では測れないし、それはそれとしてやはりあまりに特殊で野蛮だろうとも思うのですが、これは復讐とか仇討ちとかだけで捉えるとちょっと違うのではないか、とも私は思ったりするのでした。内匠頭には即日切腹を申しつけておいて吉良にはなんのお咎めもなし、そもそも何故殿中での刃傷沙汰となったのかの取り調べもなし、では幕府の判断がおかしい、と糾弾されるのは当然のことで、でもそれがまったく覆らなかったので、抗議としてのデモンストレーション…みたいな面も強かったのでは、と思うのです。国会の前で焼身自殺をしてみせるような、アレです。もちろん野蛮だし、暴力は他人に振るうのも自分に振るうのも論外なのですが、最後の手段として…というのは、認めてもいいのではないか、と…それで世論が動いた、それでないと世論も動かず幕府も折れなかった(志士の切腹ののちにお家再興の決定がされたので)、というのはあるので…
なので、どう描くか、という点を上手く扱えれば、現代でも上演される意義はあると思う題材だと思いますけどね…歌舞伎だと「伝統芸能だから」みたいなある種のファンタジーとして捉えられやすいのかもしれませんが、宝塚歌劇でも今一度取り上げてみたらいいのに、と思います。女性キャラクター視点がきちんと入っている点は大きいと思いますしね。
プログラムやポスターが秀逸で、このビジュアルがきちんと残っていて使用できるのは大きいなと思いました。梅芸のOG企画はいろいろありますが、これは良き企画だったと思います。偉そうですみませんが、これからもいろいろと練っていってほしいものです。
オリジナル脚本/柴田侑宏、上演台本・演出/荻田浩一、音楽/吉田優子、編曲/長野ユースケ、美術/角田知穂。1992年に旧宝塚大劇場の最終公演として雪組で上演された作品を、33年ぶりに朗読劇として当時のメンバープラスアルファで再演。全1幕。
私の雪組はトンちゃんこと紫ともさんの退団公演からなので、かりんちょさん、旧大劇場、『忠臣蔵』に間に合っていません。スカステで以前見たことはあるかと思いますが、あまり記憶なし。主題歌と有名なラストの台詞くらいしか知りませんが、今歌舞伎座で通しで上演中の『仮名手本忠臣蔵』を観ていることもあり(まだ夜の部しか観ていなくて、来週昼の部を観るのですが…)、お友達に誘われたのを幸いに出かけてきました。
開演前ギリギリの会場着となってしまい、プログラムを終演後に買うことになったため、誰が出ているんだっけ…状態で観ましたが、はやせ翔馬以外は全員わかって(彩海早矢かな、とか思ってた…)懐かしすぎてエモエモのエモで、泣くわ笑うわ大変な観劇となってしまいました。イヤでもホントよくできていたと思うのマジで!
ミュージシャンは優子先生始め4名とシンプル、演者は全員着物っぽいデザインの金の模様の入った黒のパンツスーツ。セットは斜めに高い台というかステージがあるだけ、ときどき襖や板壁に見えるスクリーンが降りて、当時の舞台写真や歌舞伎題材の浮世絵、江戸の古地図なんかが映し出されます。演者は台本を手にしたり、見台に置いて腰掛けて語ったりしますが、移動も出ハケも多いし、何より歌があり、朗読劇というよりはダンスがないだけのコンサート・バージョンのような見応えがありました。でもフルメンバーじゃないし主要場面だけやっていることもあって、休憩なし100分の舞台に仕上がっていましたが、ちょうどいい塩梅かと思いました。
というわけで本役同様に大石内蔵助(杜けあき)はかりんちょさん、気合いが違いますよね…! 凜々しい、大きい、素晴らしい。そして阿久里とお蘭(紫とも)の二役のトンちゃん、これまた本役ですが変わらず美しい、色っぽい…確かOGのライブに私が初めて行ったのはトンちゃんのものだった記憶で、背中がバックリ開いたドレス姿に娘役とは違う年相応の色っぽさを見てめっちゃ感動したのを覚えているのですが、最近は歌はやっていないのか、ちょっと弱かったかな? それはやや残念でした。
イチロさんがやっていた浅野内匠頭(香寿たつき)はたぁたん、これまた凜々しい、素晴らしい…! 新公主演だったんですねえ。後半の岡野金右衛門もよかった! 相手役のおきく(渚あき)があきちゃんで、星組トップコンビ!となったし、そもそも雪組時代も組んでたもんね…!と胸アツでした。ここも新公でやっていたお役なんですね。
さらにお久しぶりの立ともみ、りく(小乙女幸)のりんごちゃん! みちる姐さんの歌! 最下がすっしぃ! 懐かしさに震えるしかありませんでした…当時は雪組にいなかったおっちょんとまだ予科生だったというユミコも上手くで何役もできて頼もしい! もうもう、どこ見ても楽しかったです…!
そして改めて、歌舞伎と同じような改変やオリジナルのキャラクター、エピソードの立て方など、上手くできた作品だなーと感じ入りました。歌舞伎にもある「由良さんこちら」など、内蔵助が放蕩者の振りをするくだりに上杉方の女スパイを絡めていくとか、浪人となって町人の振りをした志士たちにも恋模様を作って娘役の出番を作るとか、ホント柴田先生ってすごい…!と感心しきりでした。悪役の作り方も本当に上手い。シビれます…!
でもこれも討ち入り後の引き上げで終わるんですね…バレエの「ザ・カブキ」は全員の切腹までやって終わるのにな。志士たちは吉良の首を取って主君の仇討ちをしたあとは、すぐにも追い腹を切るつもりだったのでしょうが、一応は幕府の沙汰を待つことにして、お詣りだけしておとなしく引き下がったんですよね。そこから幕府は処置に悩みに悩んで、江戸の町民たちは赤穂贔屓だしそもそも喧嘩両成敗のところを片手落ちの判断をした引け目があるしで揉めに揉めて引っ張って、結局は解放でもなく打ち首でもなく切腹を許したわけです。その時点では内匠頭の弟によるお家再興は許可が出ていなくて、志士たちはそりゃそれぞれは思うところもいろいろあったでしょうが、まあある種納得して殉死していったのでしょう。この時代の生死観を今の尺度では測れないし、それはそれとしてやはりあまりに特殊で野蛮だろうとも思うのですが、これは復讐とか仇討ちとかだけで捉えるとちょっと違うのではないか、とも私は思ったりするのでした。内匠頭には即日切腹を申しつけておいて吉良にはなんのお咎めもなし、そもそも何故殿中での刃傷沙汰となったのかの取り調べもなし、では幕府の判断がおかしい、と糾弾されるのは当然のことで、でもそれがまったく覆らなかったので、抗議としてのデモンストレーション…みたいな面も強かったのでは、と思うのです。国会の前で焼身自殺をしてみせるような、アレです。もちろん野蛮だし、暴力は他人に振るうのも自分に振るうのも論外なのですが、最後の手段として…というのは、認めてもいいのではないか、と…それで世論が動いた、それでないと世論も動かず幕府も折れなかった(志士の切腹ののちにお家再興の決定がされたので)、というのはあるので…
なので、どう描くか、という点を上手く扱えれば、現代でも上演される意義はあると思う題材だと思いますけどね…歌舞伎だと「伝統芸能だから」みたいなある種のファンタジーとして捉えられやすいのかもしれませんが、宝塚歌劇でも今一度取り上げてみたらいいのに、と思います。女性キャラクター視点がきちんと入っている点は大きいと思いますしね。
プログラムやポスターが秀逸で、このビジュアルがきちんと残っていて使用できるのは大きいなと思いました。梅芸のOG企画はいろいろありますが、これは良き企画だったと思います。偉そうですみませんが、これからもいろいろと練っていってほしいものです。
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