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●じじごろう日記。(番外編)・・ 「じじごろう“昔・ルーツ”イラスト」ギャラリー(3)

 1987年頃に僕が暇に任せて、大学ノートにボールペンで落書きした、“じじごろう”の原型イラストの第三弾です。僕の創り出したキャラクター・じじごろうは、僕の親父がモデルです。

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 女装(オカマ)じじごろう。実在モデルの親父には、女装癖やカマッ気はありませんでした。面白がって描いただけです。

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 セーラー服じじごろう。これらはあくまで落書きの範疇で、下書きなしでテキトーに描いてるものですから、絵は粗いし、まあ、ヘタクソです。でも、我ながら、この当時は、下書きやアタリもなしによくここまで描けてたな、とも思う。

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 女装じじごろう。僕は女性ファッションに疎いから、洋服スタイルはテキトーです。アイドルみたくドレスアップのつもり。

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 背広じじごろう。昔、親父も時には、フォーマルな姿で出掛けることもありました。巨大なチンチンは、色ボケ・放蕩で母を泣かせた親父の象徴です。87年頃、キャラクター“じじごろう”の原型となる、親父の落書きイラストはいっぱい描いてるんですが、残っているものはあんまりありません。半分以上はチンチンが描かれています。巨大化しているか、棒のように、ニョロニョロ蛇のように、長く伸びたチンチンの先で皿を回す姿。色ボケ・放蕩の象徴ですが、意外と「交接」シーンはありません。僕は、生々しいのは嫌なんです。巨大チンチンは、ある意味、皮肉や冗談で、まあ、「色ボケ・放蕩」を馬鹿にしてるんですけど。

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 ギャラリー(1)で述べたように、親父は動物で言うと「ゴリラ」なので、この当時の落書きじじごろうには、ゴリラのように体毛で覆われた姿がいっぱいあります。もともと親父は、毛深くて若禿げでした。左の老婆の絵は、母方の祖母です。親父の行き過ぎた女遊びで僕の母を泣かせたので、怒った祖母が幽霊となって出て来たのです。87年当時はもう、母方の祖母は亡くなっていました。親父の「女遊び」は行き過ぎ、というよりはもうムチャクチャでした。この当時僕は、松田聖子のヒット曲 ♪「ああ~、私の恋はァー、南の~風に乗って走るわ~」という歌を、鼻歌で、♪「ああ~、ワシの恋はァー、家も仕事もメチャクチャに壊してしまったわ~」と、親父バージョンの替え歌で、字余りで歌ってたものです。

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 婆ちゃんの霊に怒られますが、母方婆ちゃんの幽霊、裸バージョン。だから、この当時は、原型じじごろうばかりを描いていた訳ではなく、もっとイロイロあったのですが、あくまで暇つぶし落書きだったので、多分、当時捨ててしまってて、残ってるのは一部だけなのです。そして前に述べたように、落書きイラストは何枚か繋がりで、簡単な一つのストーリーがありました。

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 親父の一家。左から親父、妹、兄貴、母、兄嫁。妹は可愛く描かないと激怒するので、顔だけは出来るだけ可愛く、身体はチンパンジー。兄は一応、精悍タイプのハンサム。親父のDNAを受け継いで、長く伸ばしたチンチンで、皿を回してます。深い意味はありません。テキトーに描いただけです。僕の母親は昔から「タイタイジジコ」に似ている、つまり魚の鯛に似ている、と言われていたので、また鯛焼きが好きだったので、思い切って「半魚人」にしてみました。半魚人ママ。兄嫁は、もの凄く食欲旺盛な女性で太ってたので、申し訳ないけど「豚」仕様で描きました。

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 この当時、女優の斉藤由貴が人気アイドルで、シャンプーのTVコマーシャルに出てました。「朝シャン」ブームの時代で、学校の教室でクラスメートに「おはよう、朝のシャンプー娘!」と呼ばれて、斉藤由貴が「違うってば違うってばー、そんなんじゃないってばー」と、焦って否定するシーンが、TVで流れてました。その、お袋版パロディー。半魚人ママの“朝シャン娘”。

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 セーラー服女学生じじごろうと妹。妹は、顔を可愛くしないと激怒していたのです。鼻の下の長いのは親父似。昔々、実は親父はハンサムだったんだそうです。親父は復員傷痍軍人で、太平洋戦争の前線で爆撃に合い、生死の境を彷徨い、九死に一生を得て助かり、復活しました。親父は一度は破壊された顔だったのです。昔、僕はよく母に、「親父の耳元で『あんたみたいな怖い顔は、私以外に女は出来ないわね』とか囁いたから、親父は『馬鹿にするな!』と、年喰ってから、俺にも出来ると、“女遊び”なんかしたんだろう」と、冗談で言ってました。無論、母親は否定してましたが。あの時代、色ボケとはいえ、親父がどうしてあんな破滅行動を取ったのか、僕には解らず終いです。男から男に渡り歩いて、水商売人生を生きて来た場末の年増ホステスに、家庭も仕事もメチャメチャにして、地位も信用も全部、捨て去ってまで、飲み屋の女にのめり込んだのか、僕にはさっぱり解りません。

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 丸禿げじじごろう。まあ、冗談で描いてるんですが、チンチンだけは強調しています。親父の髪は脇と後ろはいっぱいあって、前頭部から頭頂の禿げでした。戦争で受けた顔のゆがみを少しでもソフトに見せるために、親父はサングラスに近いような、色の濃い眼鏡を掛けてました。一時は、レンズ面の割れた眼鏡を掛けてました。愛人の、別れた亭主との間の息子が、入所出所を何度も繰り返す、ヤク中で、禁断症状が出た折り暴れて、親父はその被害に合い、眼鏡を割られたんだそうです。だから、この当時の“じじごろう”の絵のキャラは、眼鏡のレンズ面にヒビが入ったものが多い筈なんだけど、残ったイラストを見てみると、意外とヒビは入ってませんね。「落書き」ですから捨ててしまった絵も多いですからね。それらに描いてたんでしょう。ヒビ。この息子もウチの親父が大嫌いで、自分の母親(愛人)から引き剥がそうと苦労したそうですが、親父がとうとう居着いちゃった。まあ、この息子も入所出所を繰り返すから、家に居ない間も長かったでしょうからね。その後、親父はこの愛人とも離れていた期間があり、親父の姉、僕の伯母にあたる人が、親父にアパートを借りて独りで住まわせていたら、禁断症状の息子から逃げて来た愛人がアパートに入って来て、また一緒に住みだした。伯母はカンカンになって怒ってましたが。そして、自分の母親(愛人)を追っ掛けて息子がやって来て、伯母が借りたアパートを親父が追い出されて、愛人親子が住み着いた。どこまでもヒトノイイ親父でした。

 と、まあ、何だかんだと書いて来ても、僕自身の実父であることは間違いありません。でも、親父が色ボケの狂行で大借金を作って、母親を苦しませ泣かせていた、あの時代、14、15歳の調度思春期頃だった僕に、何らかのトラウマを植え付けたことは間違いありません。色ボケ狂行の真っ只中の親父の口癖、「毒を喰らわば皿までも」を実行・実践してしまった訳ですが、その後、家族はもとより、自分自身も随分苦労したようです。「ヤケクソ」だったんだろうけど、その当時の親父の心情や、詳しい理由は解らないまま終わりました。長年勤めて一度は出世を見た電力会社を辞める前に、一度、号泣してる姿を見ました。僕は、15歳で親父と別れてから、何度かしか会ったことはありません。ロクに会話もなく。もし仮に何かちゃんと話をしてても、親父は理由や心情の吐露なんてしなかったでしょうしね。社交的で人付き合いの良い人でしたが、自分の内面は語らない人だったから。もともとは穏やかな温情主義で、社交的で人付き合いが良く、真面目で仕事熱心な親父は、善良な一サラリーマンでした。あの時、騒動の間に入った人に寄っては、「戦争の爆撃の後遺症が今頃、脳に出たのだ」という人も居ました。本当に狂ったのか(?)。今となっては何も解りません。「魔が差した」、人間にはこれがあるし、「魔が差す」ことは誰にもありうることです。僕が、自分の人生・一生で幼児期から小学生の時代が、一番好きで最高だと思うのは、実は親父が、怖い面もあったけど、優しくて頼もしくって無敵の味方みたいに思えてたからかも知れない。僕が子供の間は‥。その親父も、何年か前にあの世に行っちゃってるし‥。人はどう生きても、一つの人生。

◆(2013-03/06)じじごろう日記。(番外編)・・ 「じじごろう“昔・ルーツ”イラスト」 ギャラリー(1)
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