河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2280- ショスタコーヴィッチ11番12番、井上道義、大阪フィル、2017.2.22

2017-02-22 23:38:28 | コンサート

2017年2月22日(水) 7:00-9:20pm 東京芸術劇場

ショスタコーヴィッチ 交響曲第11番ト短調1905年 17+19+13+15′

Int

ショスタコーヴィッチ 交響曲第12番ニ短調1917年 14+11+4+11′


井上道義 指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団


大阪フィルはほとんど聴く機会ありませんが、この日はヘヴィーなショスタコーヴィッチを2個並べるというラインナップ。押して出かけました。

前半に大曲の11番をいきなり。
ややスローな始まり。1905革命絵巻、標題音楽や映画音楽のように時間の流れていくものを、見事な形式感に位相転換してしまうこの作曲家は根っからのシンフォニストとあらためて実感した井上&大阪フィル、渾身の演奏でした。
極めて重苦しい1,2楽章。切れ目なく続く全曲ですが、棒を持たない柔軟な指揮の井上はきっちりと2楽章への移動がわかるもの。ダークに塗りこめられた音楽が進む。この両楽章は暗い中、引用がマウンテン状態なのかもしれないがもともとの引用節を知らないのでそういった聴き方は出来ないけれども、井上のスローな中にメリハリのきいた筆の運びが素晴らしくて、理解がよく進むものだ。材料のエキスだけが地の底でマグマのように運動しているような代物、お見事な井上の両腕というしかない。
2楽章の後半でようやく動きがでます。オデッサ、自国民どうしでやりあう、革命の発端事件ということになると思うが、ここで音楽が激しく動く。井上の両腕さばきは一筆書きのようでもあり絵筆の様でもある。それに圧倒的に反応するオーケストラの凄味。唖然茫然。これぞオーケストラを聴く醍醐味。

場面は3楽章へ。亡くなった民衆へのレクイエム。一度聴いたら忘れることが出来ないメロディーラインがヴィオラにより切々と歌われる。ややドライなサウンド、息の長いフシが延々と続く。非常なコンセントレーションがありありとわかる大阪フィル、ヴィオラ陣の演奏お見事でした。

終楽章の頭は、もはや勝利の始まりか、といった雰囲気。勝利の音楽がエスカレータのようにドンドン進んでいくけれど、最後のコーダはいったい何だろう。シンフォニーに極限の音圧を出させるようなショスタコーヴィッチの試行ではないのかと、曲とは関係ないようなことが脳裏をよぎる中、空間が潰されるような限界音量、主題回帰は勝利ではない。まだこの先、革命が続く、暗くて重い、超ヘヴィーな極限音圧はそれを示している。
見事な井上両腕さばき、音が束になり圧倒的な反応力を示した大阪フィル、絶対渾身の演奏。エポックメイキングな演奏、井上の振り向きフィニッシュ、きまりました。

やってるほうも聴いているほうも、もはや、へとへとです。

ということで、後半12番。緩みました。
前半のスーパーハイテンションを後半12番に継続してプレイするのは簡単な話ではない。聴いているほうもです。

ラッパの動きはこの12番のほうが休みなく激しいと思うが、もはや、へとへと。汚れが目立ちました。技量の話ではなくて緊張感の維持。前半から持続するのは簡単な話ではありませんね。ホルンのプリンシパルはバトンタッチしていましたけれども、もはや、オケ全体に一仕事終えた感があり、空気感が緩んでいる。
1917も絵巻物だと思いますが、ソナタ形式はこちらのほうが感じやすい。気持ちを少し切り替えてできれば良かった気がします。ソナタながら切れ目なし作品としては11番よりこの12番のほうがわかりにくくてメリハリをつけにくいかも知れないというのはあるが、まぁ、肩の力を抜きつつ、前半の達成感は一旦横に置いて。難しいとは思いますが。


血の日曜日と十月革命を並べたプログラムビルディング。相応な意味はあると思う。演奏で両方ともに満足のゆく出来栄えにするには、、、。聴く方は欲張りなもんです。
井上、大阪フィルは合体したいい演奏で満足しました。
ありがとうございました。
おわり

朝比奈隆、大阪フィル、昔、東京での公演、田園と英雄を聴いたのを思い出しました。その英雄がずっと後になってCDで出てさらにびっくりしたのも思い出した。
大阪フィル創立30周年の東京公演です。プログラム(メンバー表付)も貼り付けてあります。

824- 東京エロイカ 朝比奈隆 大阪フィル 生身のXRCD24でよみがえる。1977.10.6プログラム全ページアップ

おわり