河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1642- ショパン、ピアノ協奏曲第1番、上原彩子、カリンニコフ、交響曲第1番、アレクサンドル・ラザレフ、日フィル2014.6.7

2014-06-08 04:27:46 | コンサート

2014年6月7日(土)6:00pm みなとみらいホール

ショパン ピアノ協奏曲第1番20′10′9′
 ピアノ、上原彩子

Int

カリンニコフ 交響曲第1番14′7′7′9′

(encore)
リムスキー・コルサコフ サルタンの物語より熊蜂の飛行1′

アレクサンドル・ラザレフ 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


カリンニコフの交響曲第1番は初めての生聴きのような気がしない。記憶の底流に何かがある。何重にもなった記憶を一つずつはがしていけば、なにか音楽を好きになった理由がかすかに見えてくるかもしれない。それが第1楽章なのか4楽章なのか耳の奥底にひそかにとどまっている。原点探しの旅と言えるかもしれない。もしかして自分の中の驚愕のクライマックスがあるかもしれない。まぁ、先は長い。

ということで、カリンニコフは息をのむような日フィル!の弦の入りから始まりました。格別の生響きだ。入りの吸い込まれるような清涼感、チャイコフスキーのオネーギンのような流麗さからダイナミックなフォークソングまで、美しいメロディーと民族音楽的色彩感のある主題まで、生響きが交錯する音の筆絵巻。
第1楽章14分に出すものを全部だしておいて、あとは形式に沿って展開していく。
第1,4楽章はブルックナーの5番的相似性、第2楽章緩徐楽章、第3楽章スケルツォトリオ。あとは響きの美しさに浸るだけ、それから、このシンフォニーは長さをわきまえているというか、冗長なところがありません。言うことを言って終わる。ブログみたいな文字数稼ぎではないが、そのような流れでは全くない。言いたいことを端的に言って、次に移る。これはこれですごくいいこと。ほかの作曲家も見習ってほしいような気もします。長ければいいというものでもない。構造で縛る曲ではないので自由奔放なところもあってもいいかなとは思いますが、均整のとれた美しさも捨てがたい。シンフォニーですね。
ラザレフは熱のある共感の棒でオーケストラをグイグイ引っ張っていく。このオケはこうやってドライブしていかないといけないと思っていると想像する。滴るしずく、咆哮するブラス、ラザレフが望むものすべてを一度に表現するのは難しいと折り合いをつけながらそれでも殻を破って、可能性の限界を広げてくれと振っている。演奏が済んだ後のメンバーのたちの見た目のアティチュードというものは氷の上に置かれた食い残しの刺身のような様相なのだが、そこらへんはラザレフも分かっているようでオケを鼓舞しているのか自分を鼓舞しているのか、ちょっとせつなくもあり、あまりいい風景とは言い難いオーケストラではある。これがDNAなのかどうかは知る由もないけれど、少なくとも演奏は熱かった。定期公演のルーチンワークだから終わったらこんなもんさ、と言われそうで、もしそんなことを思っているのなら100年早い、いや20年ぐらいか。いずれにしても熱や態度動きのギャップに非常な落差があるオーケストラではある。なれ合いは不要だが、融和といったあたりに能動的になってほしいものだ。溶け込んで調和する、です。
ちょっと横にそれてしまったが、それこれを全部横に置いて、ラザレフの見事な棒がオーケストラに乗り移って深く彫りこまれた見事な演奏のカリンニコフでした。
このシンフォニーを聴いた後、二三日、チャイコフスキーの1番冬の日の幻想が頭の中を駆け巡っておりました。雰囲気似ている。

前半のピアノ協奏曲。このピアニストは何度か聴いてまして好きなタイプです。
どこかあっさりしていて、繊細で、気負いなく、切れ味ある歌心、あい対するものがうまく融和している、説得力のあるピアノ。特に水際立った細く美しい歌の見事な表現、いいですね。第2楽章のような緩徐楽章では間延びすることなく弾いて聴かせてくれる。口ずさみながら集中していくピアノ。
ラザレフ棒は、導入部の長い第1,2主題提示部を引き締めた鳴りで聴かせてくれる。伴奏以上の練り具合。明白なラザレフ効果。
結果的な話になるが、前半のこの協奏曲のほうが長く時間のかかる演奏で思わぬヘビーさも実感。
時間的な配慮からかアンコールがありました。この熊蜂は、このオーケストラが名人芸的に客をうならせるようなものになるにはまだ時間がかかるとは思いますが、冒頭のショパンの長い第1,2主題で見せたような充実した気力が感じられました。
本当に充実のプログラムと内容でした。
ありがとうございました。
おわり

 


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1641- ジュピター、巨人、ヤニック・ネゼ・セガン、フィラデルフィア管弦楽団2014.6.3

2014-06-04 00:57:03 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年6月3日(火)7:00pm サントリー
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モーツァルト 交響曲第41番ジュピター11′7′4′6′
マーラー 交響曲第1番巨人16′7′12′18′
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(encore)
バッハ/ストコフスキー編曲 小フーガ ト短調4′
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ヤニック・ネゼ・セガン 指揮
フィラデルフィア管弦楽団
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破産から再建中のオーケストラ、ビッグファイヴの一角とはいえそのような状況で音楽監督に就くのはそれなりの覚悟と、もちろん才能も必須ですが、並大抵の努力ではないと思われます。
とは言え日本の聴衆は手厳しい。著名オーケストラの来日とも思えぬガラガラのホールは2月のニューヨーク・フィルを思い出させる。興行主の異常な値段設定も大変な問題ではあるが、その変な値段設定を越えてまで、特に、聴かなくてもいいかな、というレベルなのかなとも思う。聴衆側にヒート感はない。
中国中心のツアーの帰り際に2日間だけちょこっと東京に寄って演奏会をこなしていくだけ、と見られてもしょうがない。最近はこのようなケースが多くなった。文化使節的役割が途上国のほうにシフトしていっただけの話かもしれない。昔の日本もそうだったのだろう。微にいり細にいりの聴き方だけは日本人の性癖的傾向かもしれぬが。
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ネゼ・セガンは昨年ロッテルダム・フィルと来日した時に聴いた。(2013.1.31)
今回は新たな手兵との来日。期待感とバンクラプトからの復興感のないまぜ。
前半のモーツァルト、スコアレスで振るのはいいのですが、棒がリズムを刻まない。体が音楽をなぞっていく姿は必ずしも良いとは言えない。音楽に合わせて踊っているように見えてしまう。リズムとか歌謡性を引き出しているのではなく、リズム歌謡性に踊らされて見える。音楽もシームレスな流暢さとか音楽的躍動感が出ているとはいえない。これは良くない。指揮者は、まずきっちりと振らなければ話にならない。あのような動きから何を得られるものなのか、アウトプットは何なのか、むしろ何かを阻害しているのではないのか。脳裏を横切ることがたくさんあるだけで邪念を抱かせるに十分、普通の振りでお願いします。
ここで既に弦以外は随分とレベルが落ちたなぁ、と感じる。
サヴァリッシュの時代まではよかったが、そのあとの常任で悪くなり下降。今日の演奏会の音は昔の時代を知っているものからするとちょっと。
これをまかされたネゼ・セガンも大変だろうが、もっともっと頑張りが必要です。自負自覚とともに音楽だけに集中してほしいと思います。バンクラプトからの再建中ということからか、相応でないプレイヤーのカットとかは難しいのですかね、ある意味音楽的には妥協と取られかねないようなことと再建復興、二律半背反的なところがあり、たしかにいかにも難しそうな部分もありそうですが。早晩、現実的なものに直面した場合、判断、決断しなければならないときがくるかもしれません。
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後半はメインプログラムのマーラーです。ネゼ・セガンは譜面を置き、棒でしっかりとリズムをとる、これでいいと思いました。演奏レベルは残念ながら前半と変わりません。弦は相応に良いのですが、ウィンドは刻みが揃わない、ブラスはかなり手痛い。今のこのレベルだとアメリカでなら凌駕している他オケたくさんあると思います。
あとは音楽にどれだけ集中していけるか、ですね。
最近の欧米の若手指揮者たちのマーラー解釈の傾向なのか、ドライで粘らない、突っ走っていってそのままアップテンポでバシンと終わる。スピード感による興奮はありますが、あまり残らない。余韻もない。
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名物奏者はウッドハムズさんぐらいですかね、今では。
あと、チューバの女性奏者キャロル、初めて見ました、というか女性のチューバ奏者は初めて見たかもしれない。
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次回は帰宅の前の途中寄り道ではなく、曲目含めきっちりと決めて来日してくださいよ、栄光のフィラデルフィア・サウンドを待っています。
おわり


1640- 英雄、英雄の生涯、ベルトラン・ド・ビリー、東フィル2014.6.2

2014-06-03 00:57:36 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年6月2日(月)7:00pm コンサートホール、オペラシティ
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ベートーヴェン 交響曲第3番 エロイカ16′14′5′11′
シュトラウス 英雄の生涯20′+22′
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ベルトラン・ド・ビリー 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団
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ド・ビリーはこの前、新国立でアラベッラをみました。2014.5.25
今日の演奏会はアラベッラ公演の合間を縫っての一発コンサート。オーケストラも同じ。
当初の新世界等を含むプログラムを自ら取り消し、この日のプログラミングに変更。ヘビー級です。
ほんの数か月前に山田和樹&新日フィルでも同プログラムありました。2014.2.28
英雄の組み合わせで重いプログラムですのでだいたいみんなよく覚えている。また、比べたくなる。ド・ビリーの勝ち。
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エロイカの冒頭、切れば飛び散る血しぶきが、といった様相で、素晴らしく引き締まったオーケストラのサウンド。颯爽としたインテンポ、そのテンポは全く緩むことがなく、ときにインテンポから駆り立てていく。棒は1拍子振りをこの第1楽章貫き通し、ポイントのところではまるでオペラのようにタメを大きくとり上からの杭打ちのような棒となる。全くもって生理的快感がほとばしる爽快な演奏。オーケストラのサウンドの充実度も並ではなく、このように奏すればよいという確信の練習があったのだと思う、云われた通りにすればよいというのはちょっと変な言い方かもしれませんが、とにかくそうやってくれと、全体バランスは俺が一番よくわかっているからと、有無を言わせぬものがあったのではないか、そのような才能に屈服するのは一種、気持ちの良いことかもしれない。とにかく音にすき間が無い。びっしりと埋まった充実のサウンド、オーケストラの技量絶対値もむき出しになってしまうところもあるが。
このインテンポの充実サウンド、それに加えて肝心要のところでの見事なフレーム感覚、ここぞというところで縦ラインがきっちりと合い、湧いてくるようなアンサンブルの見事なアインザッツ。音楽の明確な縁取り感覚。こうゆうところも素晴らしい、オペラではなくてはならない技かと感じる。
そして、音の出し入れ、奥行き感。この繊細な表現はアラベッラでのビューティフルな演奏に通ずるところがある。
テンポ感、縦ラインのフレーム感覚、そして繊細な奥行き、これらが充実のサウンドで縦横無尽にあちこちと動き回る。素晴らしい律動美の世界。本当に目からうろこが5枚ぐらい剥がれ落ちた。凄いもんです。
この生理的爽快感のようなものがエロイカの最後まで何一つ弛緩することなく続きました。プレイヤーも充実していて気持ちよさそうだった。オペラ一緒にやっているとあうんの呼吸が出来上がるとは確かに思うのですが、それ以上にやはりほとばしる才能の奔流を東フィルがつかまえたというところもあるでしょう。いい演奏でした。
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後半の英雄の生涯はオーケストラも一段と膨れ上がり16型で概ね3管編成。デカイ編成で規模の大きな曲です。進み具合はエロイカと同じで、まず、インテンポで緩まない。一瞬たりとも弛緩しない。充実サウンドなので結構すごい圧力で迫ってきます。グワングワンという感じ。
それから、ヴァイオリンソロに合わせたアンサンブルの縦ラインもお見事、ド・ビリーの棒だとアインザッツがもしかして合わせやすいのかもしれないなどと思い描いてしまう。
耽溺しない棒はソロを自由に弾かせておきながら、オーケストラの入りは指揮者のタイミングでありここでも全体像を把握した音楽つくりが素晴らしく知的で冷静。オーケストラに迎合せず自由自在にドライブする人格棒は、一部邦人指揮者たちには爪の垢を煎じて飲んでいただきたいもの。
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ド・ビリーは総じて音楽への理解が深く、またプレイヤーに伝える能力やアクションを起こさせる能力が高いと思う。抵抗感が無いというか、プレイヤーたちを知識や理論で納得ずくで、屈服できそうだ。棒捌きは書いたとおりだが、左手の弦を押さえる構えは非常に説得力がある。そもそも弦プレイヤーということもあり、あの左腕はおそらく見た目以上の恐い説得力を持っていそうだ。
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ということで大変に素晴らしいコンサートでした。オーケストラの充実度には目を見張るものがありましたけれど、あれを毎日やっていくのは身が持たない、などと決して思わず先に進んでほしいと思いました。
いい演奏会、ありがとうございました。
おわり


1639- アゲイン!、リスト、スクリャービン、プロメテウス、ダフクロ、日フィル2014.5.31

2014-06-01 01:03:18 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年5月31日(土)2:00pm サントリー
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リスト 交響詩プロメテウス11′
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スクリャービン 交響曲第5番プロメテウス18′
 ピアノ、若林顕
 合唱、晋友会合唱団
 オルガン、?
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ラヴェル ダフニスとクロエ、第1,2組曲12′15′
 合唱、晋友会合唱団
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(encore)ボロディン ダッタン人の踊り6′
 合唱、晋友会合唱団
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アレクサンドル・ラザレフ 指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
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ラザレフのトーク15′
~これからのシーズン、ショスタコーヴィッチについて語る
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概ね前日と同じように感じましたが、この日は極上席で、スクリャービンを思う存分楽しむことが出来ました。ラザレフ棒は前の日よりもさらに猛速。妙な話かもしれないが速ければ速いほど理解が進む気がした。特に後半はさらにスピードアップ、こんなにノリのよい5番は聴いたことが無い、というよりもCD等で知っている内容と響きがまるで異なる気がした。異色の作品であるとともに、まだまだ解釈の幅が広い作品。もう少し高い頻度で聴きたいものです。
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他の曲も響きの饗宴のなかに埋もれて聴くことが出来ました。ラザレフの無尽蔵なエネルギーにも脱帽。プレイヤーたちが気持ちよく引っ張られていく、ドライブされまくりのオーケストラ。オーケストラの醍醐味。
ありがとうございました。
おわり