2014年6月7日(土)6:00pm みなとみらいホール
ショパン ピアノ協奏曲第1番20′10′9′
ピアノ、上原彩子
Int
カリンニコフ 交響曲第1番14′7′7′9′
(encore)
リムスキー・コルサコフ サルタンの物語より熊蜂の飛行1′
アレクサンドル・ラザレフ 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団
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カリンニコフの交響曲第1番は初めての生聴きのような気がしない。記憶の底流に何かがある。何重にもなった記憶を一つずつはがしていけば、なにか音楽を好きになった理由がかすかに見えてくるかもしれない。それが第1楽章なのか4楽章なのか耳の奥底にひそかにとどまっている。原点探しの旅と言えるかもしれない。もしかして自分の中の驚愕のクライマックスがあるかもしれない。まぁ、先は長い。
ということで、カリンニコフは息をのむような日フィル!の弦の入りから始まりました。格別の生響きだ。入りの吸い込まれるような清涼感、チャイコフスキーのオネーギンのような流麗さからダイナミックなフォークソングまで、美しいメロディーと民族音楽的色彩感のある主題まで、生響きが交錯する音の筆絵巻。
第1楽章14分に出すものを全部だしておいて、あとは形式に沿って展開していく。
第1,4楽章はブルックナーの5番的相似性、第2楽章緩徐楽章、第3楽章スケルツォトリオ。あとは響きの美しさに浸るだけ、それから、このシンフォニーは長さをわきまえているというか、冗長なところがありません。言うことを言って終わる。ブログみたいな文字数稼ぎではないが、そのような流れでは全くない。言いたいことを端的に言って、次に移る。これはこれですごくいいこと。ほかの作曲家も見習ってほしいような気もします。長ければいいというものでもない。構造で縛る曲ではないので自由奔放なところもあってもいいかなとは思いますが、均整のとれた美しさも捨てがたい。シンフォニーですね。
ラザレフは熱のある共感の棒でオーケストラをグイグイ引っ張っていく。このオケはこうやってドライブしていかないといけないと思っていると想像する。滴るしずく、咆哮するブラス、ラザレフが望むものすべてを一度に表現するのは難しいと折り合いをつけながらそれでも殻を破って、可能性の限界を広げてくれと振っている。演奏が済んだ後のメンバーのたちの見た目のアティチュードというものは氷の上に置かれた食い残しの刺身のような様相なのだが、そこらへんはラザレフも分かっているようでオケを鼓舞しているのか自分を鼓舞しているのか、ちょっとせつなくもあり、あまりいい風景とは言い難いオーケストラではある。これがDNAなのかどうかは知る由もないけれど、少なくとも演奏は熱かった。定期公演のルーチンワークだから終わったらこんなもんさ、と言われそうで、もしそんなことを思っているのなら100年早い、いや20年ぐらいか。いずれにしても熱や態度動きのギャップに非常な落差があるオーケストラではある。なれ合いは不要だが、融和といったあたりに能動的になってほしいものだ。溶け込んで調和する、です。
ちょっと横にそれてしまったが、それこれを全部横に置いて、ラザレフの見事な棒がオーケストラに乗り移って深く彫りこまれた見事な演奏のカリンニコフでした。
このシンフォニーを聴いた後、二三日、チャイコフスキーの1番冬の日の幻想が頭の中を駆け巡っておりました。雰囲気似ている。
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前半のピアノ協奏曲。このピアニストは何度か聴いてまして好きなタイプです。
どこかあっさりしていて、繊細で、気負いなく、切れ味ある歌心、あい対するものがうまく融和している、説得力のあるピアノ。特に水際立った細く美しい歌の見事な表現、いいですね。第2楽章のような緩徐楽章では間延びすることなく弾いて聴かせてくれる。口ずさみながら集中していくピアノ。
ラザレフ棒は、導入部の長い第1,2主題提示部を引き締めた鳴りで聴かせてくれる。伴奏以上の練り具合。明白なラザレフ効果。
結果的な話になるが、前半のこの協奏曲のほうが長く時間のかかる演奏で思わぬヘビーさも実感。
時間的な配慮からかアンコールがありました。この熊蜂は、このオーケストラが名人芸的に客をうならせるようなものになるにはまだ時間がかかるとは思いますが、冒頭のショパンの長い第1,2主題で見せたような充実した気力が感じられました。
本当に充実のプログラムと内容でした。
ありがとうございました。
おわり