河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1645- ノタシオン、夏の夜、サーシャ・クック、グレイト、ジョナサン・ノット、東響2014.6.14

2014-06-14 23:16:48 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年6月14日(土)6:00pm サントリー
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ブーレーズ ノタシオンⅠⅣⅢⅡ 3′2′4′2′
ベルリオーズ 夏の夜 2′6′5′5′5′3′
 メッゾ、サーシャ・クック
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シューベルト ザ・グレイト 16′15′15′12′
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ジョナサン・ノット 指揮
東京交響楽団
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個人的にはノタシオンという発音はちょっと抵抗感があってノーテーションでいいのではないかという気がする。同じブーレーズのドメーヌはドメインで。でも、サイクルはチクルスと今でも言っているので、母国発の作品は母国語の発音でいいのかもしれませんし、二通りのサウンドを知っているだけで幅が広がったような気にはなります。普遍性を英語に求めるかという話で、ポイントとしては音楽作品のグローバル化。日本の作品は日本語のままの発音で紹介されるものが多いのですけれど、それら結構、一過性で根付かず済んでしまうような気がしないでもない。タケミツ作品はそうではないようなところもありますね。
この日のプログラムでは、シューベルトのほうは「ザ・グレイト」と紹介されています。これはこれで。
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それで1曲目のノーテーションは大きな編成です。18型ほぼ4管それに膨大な数の打楽器。この11分のためによくこれだけ集まったなぁという感じです。演奏順はブーレーズ推奨通り。
ブーレーズ初期の作品、短い曲でかつオケ用の編曲ものですから、雑草みたいなところがありますが、響きの相似性だけではなく天才技のひらめきという観点でメシアンのトゥーランガリラとの雰囲気の親近性を感じさせてくれる。メシアンのほうは80分の大曲ですが、双方ともに言いたいことのエキスのみ抽出している感じで、長さは結果的な帰着点でありあまり関心事ではない。
東響独特の黄色いサウンド、金切り声をあげるのかと思いきや、そうでもない。軟らかい感じ。鋭く突き刺すような表現ではなくもっと一般的な作品の扱いのように聴こえる。ノットが振る作品の傾向からすれば自然なものかもしれない。まぁ、2回演奏してくれればもっといい。(昔、小沢征爾&ボストン響来日の折、ウェーベルンだったか曲が短くてもう一度演奏しますと小沢が言って2回演奏したことありましたね、せっかくの膨大な編成ですしこのブーレーズも2回演奏やってもよかったかも。)
ノットの演奏は以前、N響とのショスタコーヴィッチの15番を聴いたことがあります。
(2011.2.16)、(2011.2.17)
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ベルリオーズの夏の夜、これは予定ではジェニファー・ラルモアが歌うはずだったが早めのキャンセルで、サーシャ・クックとなった。ラルモアお目あてのコンサートだったのでどうしようかと思案したが、ノーテーションもあることだし、やっぱり聴きに来たというところもあります。
この曲はオーケストラ伴奏は小規模ながら、曲自体30分物で結構なサイズです。ベルリオーズのシンプルにして落ち着いたメロディーが魅惑的。ストーリーを思い浮べながら静かな気持ちで聴きたいところです。冒頭のわくわくするような音楽、一度聴いたら忘れられないようなメロディーにのって進行。
クックは独特の細く明るい声でさわやかさがあります。僕のこの曲の愛聴盤はテノールですがメゾソプラノの歌もいいですね。伴奏の東響がまたいい。透明感あふれ、音色傾向がクックと同じ向きというか同質性を感じさせる。表情豊かで伴奏の域を越えている。
どっちかというとしりつぼみ系の作品ですが、クックのシンプルなドレス同様、さわやかさが心地よい。このような小ぶりな演奏もいいものです。最後まで楽しめました。
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後半はシューベルトのザ・グレイト、14型だがパーカッションが抜けた分、見た目はノーテーションの半分サイズ、また第1ヴァイオリンに男は3人というさみしさなり。
演奏は1拍子振りもまじえ比較的早めのテンポ。気張らずに、肩の力が抜けたいい演奏。くどい言い回しや妙なアクセントもなく小気味よく進む。第1楽章は提示部のリピートありで、天国的な長さがさらに長くなるが、冗長なところはなく飽きない。以降、おしなべてリピートあり。密度の濃い鳴りで真正面からシューベルトに向かっている。随分前にノットのシューベルトの交響曲全部のSACDを手に入れたことがあるのだが、彼の得意としている作曲家の演奏ですね。自信たっぷりです。
日本人某指揮者のようにマーラーの変態解釈みたいなのものは一時的には受けるが長い目で見ると陳腐さの極みであり、まずシューベルトのような作品で真っ当な演奏を行い正面突破の説得力が出てきて聴衆の心をつかむのが先。そうゆうことをせず変態演奏を行うのは単に音楽に対する冒とくであろう。
表面的には何をねらっているわけではないノットの演奏は、音と構成感の充実度で圧倒的であり、まずこのような演奏ができてはじめて変態解釈も可になる。彼はしないと思うが。
最後の音の空気の抜き方はチェリビダッケの方針とよく似ているが、チェリは極端。ノットはそれまでの流れに相応しいエンディングとなっていた。
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この日の演奏会の長さは20分の休憩をいれて合計2時間20分ぐらい。全く長さを感じさせなかったし、普段の他のオーケストラの演奏会もこのくらい欲しい。
おわり


1644- ラフマニノフ、pf協3、アブドゥライモフ、アルプス交響曲、アシュケナージ、N響2014.6.13

2014-06-14 00:45:17 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年6月13日(金)7:00pm NHKホール
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ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 18′11′13′
 ピアノ、ベフゾド・アブドゥライモフ
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シュトラウス アルプス交響曲 52′
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ウラディーミル・アシュケナージ指揮
NHK交響楽団
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このピアニストはお初で聴きます。情感、躍動感、無機的感、いずれもちょっと違う。それらを内包させているのだろうか。敢えて言えば中性的な不思議な魅力を持っている。
ガラスのような音に徹するわけでもない、技術志向の誇示も醒めたものかもしれない。弛緩するところがないので聴き手としては集中できる。間延びすることなく、このコンチェルトの素晴らしさをきっちり表現した演奏でした。
アシュケナージお気に入りのピアニストらしく何度も共演しているみたいですね。ということは察するにアシュケナージ自身と同じようなピアノスタイルということでもあるのだろう。
アシュケナージはピアニストのほうをほとんど見ない。最後の最後のクライマックスのところだけは一緒になって振っていたけれど、他はほとんど見ていない。むしろこのピアニストのほうがだいぶ気配りしている感じだ。全体フレームはアシュケナージのものです。
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後半のアルプス交響曲。
以前振ったマーラーの悲劇的もそうだったが、アシュケナージは音符間のすき間を歌の呼吸に利用しない。タメも作らない。緩めないで進む。音符そのものに呼吸をさせるといった厳しい音楽づくり。オペラを振らないシンフォニストの真骨頂。緩んでしまいがちな拍をなぎ倒すように突き進む。したがってそもそもが音楽表現の完成度が高くなるような解釈を内在した指示なのである。彼のピアノも同じような傾向だし、この日のプログラム前半のピアニストも同じような傾向なのかもしれない。
結局、特性が物理的な特徴によるようなところがあり、好きだ嫌いだという話とは別のところで作曲者の曲の完成度といったあたりに着目して聴くのも一つの方法ではあると思うのです。嫌いな指揮者でも、自分なりの観点をもって、一度は耳を傾ける価値はあると思います。
おわり