河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1640- 英雄、英雄の生涯、ベルトラン・ド・ビリー、東フィル2014.6.2

2014-06-03 00:57:36 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年6月2日(月)7:00pm コンサートホール、オペラシティ
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ベートーヴェン 交響曲第3番 エロイカ16′14′5′11′
シュトラウス 英雄の生涯20′+22′
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ベルトラン・ド・ビリー 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団
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ド・ビリーはこの前、新国立でアラベッラをみました。2014.5.25
今日の演奏会はアラベッラ公演の合間を縫っての一発コンサート。オーケストラも同じ。
当初の新世界等を含むプログラムを自ら取り消し、この日のプログラミングに変更。ヘビー級です。
ほんの数か月前に山田和樹&新日フィルでも同プログラムありました。2014.2.28
英雄の組み合わせで重いプログラムですのでだいたいみんなよく覚えている。また、比べたくなる。ド・ビリーの勝ち。
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エロイカの冒頭、切れば飛び散る血しぶきが、といった様相で、素晴らしく引き締まったオーケストラのサウンド。颯爽としたインテンポ、そのテンポは全く緩むことがなく、ときにインテンポから駆り立てていく。棒は1拍子振りをこの第1楽章貫き通し、ポイントのところではまるでオペラのようにタメを大きくとり上からの杭打ちのような棒となる。全くもって生理的快感がほとばしる爽快な演奏。オーケストラのサウンドの充実度も並ではなく、このように奏すればよいという確信の練習があったのだと思う、云われた通りにすればよいというのはちょっと変な言い方かもしれませんが、とにかくそうやってくれと、全体バランスは俺が一番よくわかっているからと、有無を言わせぬものがあったのではないか、そのような才能に屈服するのは一種、気持ちの良いことかもしれない。とにかく音にすき間が無い。びっしりと埋まった充実のサウンド、オーケストラの技量絶対値もむき出しになってしまうところもあるが。
このインテンポの充実サウンド、それに加えて肝心要のところでの見事なフレーム感覚、ここぞというところで縦ラインがきっちりと合い、湧いてくるようなアンサンブルの見事なアインザッツ。音楽の明確な縁取り感覚。こうゆうところも素晴らしい、オペラではなくてはならない技かと感じる。
そして、音の出し入れ、奥行き感。この繊細な表現はアラベッラでのビューティフルな演奏に通ずるところがある。
テンポ感、縦ラインのフレーム感覚、そして繊細な奥行き、これらが充実のサウンドで縦横無尽にあちこちと動き回る。素晴らしい律動美の世界。本当に目からうろこが5枚ぐらい剥がれ落ちた。凄いもんです。
この生理的爽快感のようなものがエロイカの最後まで何一つ弛緩することなく続きました。プレイヤーも充実していて気持ちよさそうだった。オペラ一緒にやっているとあうんの呼吸が出来上がるとは確かに思うのですが、それ以上にやはりほとばしる才能の奔流を東フィルがつかまえたというところもあるでしょう。いい演奏でした。
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後半の英雄の生涯はオーケストラも一段と膨れ上がり16型で概ね3管編成。デカイ編成で規模の大きな曲です。進み具合はエロイカと同じで、まず、インテンポで緩まない。一瞬たりとも弛緩しない。充実サウンドなので結構すごい圧力で迫ってきます。グワングワンという感じ。
それから、ヴァイオリンソロに合わせたアンサンブルの縦ラインもお見事、ド・ビリーの棒だとアインザッツがもしかして合わせやすいのかもしれないなどと思い描いてしまう。
耽溺しない棒はソロを自由に弾かせておきながら、オーケストラの入りは指揮者のタイミングでありここでも全体像を把握した音楽つくりが素晴らしく知的で冷静。オーケストラに迎合せず自由自在にドライブする人格棒は、一部邦人指揮者たちには爪の垢を煎じて飲んでいただきたいもの。
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ド・ビリーは総じて音楽への理解が深く、またプレイヤーに伝える能力やアクションを起こさせる能力が高いと思う。抵抗感が無いというか、プレイヤーたちを知識や理論で納得ずくで、屈服できそうだ。棒捌きは書いたとおりだが、左手の弦を押さえる構えは非常に説得力がある。そもそも弦プレイヤーということもあり、あの左腕はおそらく見た目以上の恐い説得力を持っていそうだ。
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ということで大変に素晴らしいコンサートでした。オーケストラの充実度には目を見張るものがありましたけれど、あれを毎日やっていくのは身が持たない、などと決して思わず先に進んでほしいと思いました。
いい演奏会、ありがとうございました。
おわり