河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

719- 新字幕 ディレクターズカット版 帝国オーケストラ ベルリン・フィル125周年

2008-11-25 00:10:00 | 音楽

ベルリン・フィルが創立125周年をむかえたということで、日本で映画上映2本。

ベルリン・フィル創立百二十五周年記念

第1弾

「帝国オーケストラ」

ディレクターズカット版

新字幕

2008111日よりロードショー!

もう終わったのか、まだやっているのかわかりません。

Scan10005

Scan10007

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このフライヤーを見ていると、一気に60年以上昔に戻ったような錯覚に陥ります。

歴史を振り返るというよりも、フルトヴェングラーの過去の判断を問うようなところが多くを占めているのでしょう。

上の2枚目の写真はフライヤーの裏面ですが、ドイツでの写真ではないと思います。イギリスかアメリカ、でかでかとプラカードにヒットラー憎しを書いてますのでアメリカでのデモのようにも見えます。

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フルトヴェングラーの世界は一度、端を舐めましたのでもういいかなと思ってはいるのですが、やっぱりたまに立ち止まることもあります。

昔の映像で印象的なのは、指揮姿もさることながら第九演奏後のゲッペルスとの握手をするときのフルトヴェングラーの顔でしょう。それに忘れてはならないのはずらりと並んだ政治家たちの恍惚とした顔。彼らもまたドイツ音楽が好きだった。一人の人間の多様性。システマティックに割り切れない多様性が現実を漂っていた。

芸術至上主義、現実、戦争と平和、演奏家仲間の扱い、もめ事、演奏への集中、政治家のとりなし、政治思想、頂点にいる政治家、頂点にいる指揮者(本人)、かけひき、、、、

フルトヴェングラーは音楽以外は煮え切らない性格であったらしいが、それは何事に対しても悩みぬいた末の決断しか意味をもたず、また政治家と同等の発言の権限という重みがあり、簡単には言葉に発せられない。言葉の重みを政治家同様知り尽くしていたからだと思われるが、フルトヴェングラーの心の苦しみははかりて余りある。

そのようななかで平静な精神状態で棒を振ることは可能であったのか、戦争があったからこそあのようなとんでもない名演が生まれたのだ。なのに政治と芸術は別物というのはおかしいのではないかと言う人もいる。しかし、それは以前も書いたが、戦争がなかった場合の演奏については現象として成立しておらず、そのような意見は多く見積もって50パーセント以下の確率でしか正しくない。

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技術を越えた表現。そのような演奏というのはめったにありません。下手なオーケストラにはふさわしい言葉ではありません。一流オーケストラだけに許される表現です。

プレイヤーの持っている力量を無視してまで表現したかった芸術。絵ならあり得ます。本人一人で描くわけですから、自分の力量次第ですし、越えた表現も時には可能でしょう。

しかしオーケストラとなると難しい。プレイヤーは指揮者がもしいなければ自分の力量以上のことはしません。当然です。正しく譜面をなぞります。合奏ですから自分勝手には出来ないですし。

フルトヴェングラーの戦中、戦後のライブには度を越したものを多数聴くことができる。とりわけすごいのが、1943(昭和18)6月の運命の演奏。特に第4楽章のコーダの解釈は演奏史上極めて稀な速度感で進行する。コーダ以前から音楽は異様な盛り上がりをみせているが、このコーダに入り圧倒的なアチェルランドがかかりもはやブレーキがきかなくなってしまったかのような様相、展開となる。弦はもつれ、トランペットのタンギングはベルリン・フィルのラッパ連中の舌の切れ味の上をいっており、もつれ状態になる。しかしそこから生まれる音楽の堀の深さ、迫力、身震いのするような遠近感。音楽が生きている。。

フルトヴェングラーの解釈は、よく言われるようにテンポをこれだけ動かしても後に残るのは造形の見事さ。

ブレーキは残っていた。最後の連続打撃音でまるで歩くような速度まで一気にテンポを落とします。流れの行きつく先、下流から海に出た流れは大海に解放されたかの如く、これまた圧倒的なリタルダンドなどという生易しい言葉では間に合わない反作用的アチェルランドで締めくくられる。この自在な伸縮性が音楽を生き物にしているのであり、いわゆる‘今生まれた’様な音楽を作り上げていくのである。が、これが戦争という逼迫した心理状態から生まれたものなのか、それともフルトヴェングラー自身自らの表現発露なのかということである。

演奏のことで一つ付け加えると、これまた有名な第九のコーダの奇天烈な速度であるが、多種ある第九で一番有名な1951年のバイロイト再開の初日に演奏された第九。あれだけが異常に鳴っていない。ほかの第九のコーダはみんなおんなじ速度感であるが鳴りきっている。だから心配はしなくてもいい。

ただし、このコーダは心の準備を事前にしなければ出来ない類のものであり、練習もしくは日常の解釈は浸透していての表現。よくいわれるような即興性とは少し違う。即興性というならば、むしろその速度のさじ加減が日々違っていただけだと思われる。

それで、

先ほどの映画の話であるが、第2弾がある。

ベルリン・フィル創立百二十五周年記念

2

「ベルリン・フィル」

最高のハーモニーを求めて

20081115日よりロードショー!

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こちらは現在のベルリン・フィル。

ツアーもののようだが、昔と違いツアーは普通の定期と同じような感覚になりつつあるのだろう。昔みたいな大変な一大イベントではなくベルリン・フィルにとって日常的なものであり、そこから素顔、普段の姿が見えてくるかどうかはいま一つ疑問ではあるが、現代の中でしか扱えないものであることも事実。

個人的にはショービズのバックステージものは全く興味がない。業界の裏事情とか当事者との接点を強調する‘プロ’演奏家に興味がないと換言してもいい。

ゴルフで優勝した記念ボールをお客に放り投げるのがプロで、大事にしまってしまうのがアマ。プロはまた優勝すればいいし、アマは優勝はおろか二度と舞台に戻れない場合が多く。

アマの延長でやっているようでは一流プレイヤーにはなれないだろうと思う。

演奏家にもそのような人たちがいるかどうかしらないが、いずれにしてもこの種の苦労話の映画に観る価値がそんなにあるとは思えない。

それでもう一枚。

こちらは日本フルトヴェングラー協会からの割引券。。

東京用と地方上映用があり、会員であれば、東京用は定価1700円から300円引き。

地方上映用もそれぞれ300円引き。

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