598- ブルックナー交響曲第9番 キャラガン版 世界初演-2- (改・再掲)
世界初演ではあったが、河童のレビューはいつになく、かなりきつめの評となっている。
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さていよいよブルックナーの第9番であります。
当然、第1楽章から始まるわけですが、まあ、なんとオーケストラのよく見える席であり、素晴らしい眺めではあった。
ホルンが9人(うちワグナーチューバ持ち替え4人)。左から右へずうっとならび、その見た目の派手さ。因みにこのホルン9人というのは、コントラバスの人数と同じなのであります。
オーケストラはうまくなく、ニューヨーク・フィルなどと比べたら完璧におちる。
興ざめするほどではないのだが、たまに音楽が隙間だらけになり穴だらけになるときがある。
これは全く指揮者についても言えていて、彼はこの曲をこなしていない。
普通には振れるのだが、その筋の専門家のような安定感を得ることが出来ない。
ブルックナーなどの場合、オーケストラ自身を安心させるような包容力がなければならないのだが、彼は振るのが精一杯のように見受けられる。
逆に言うと今まで聴いたことのない第4楽章が一番安心して聴いていられた。
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あの寂しさが漂う第3楽章のあと、第4楽章が出てくるというのはなんとなく変な感じであるが、ブルックナー自身は基本的に第4楽章が完成して、ひとつのシンフォニーの世界と考えていたわけであるから、本当は第3楽章が終わって寂しげに拍手をしてはいけないのである。途中で終わってしまうこと自体が何か感傷的なものにつながっていたわけだ。そのような意味においては、この版を完成させたキャラガンという人はブルックナーの意志をついでくれたといえる。
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さてその第4楽章なのであるが、まず、最初に感じたことは、メロディーが無さ過ぎるということです。
前の1~3楽章の豊かさに比べて、あまりにもメロディーが無さ過ぎる。
まるで伴奏部分を聴いているようだ。素材に発展性がなくあまり美しくない。
従って、自然に次に感じることは、3つの主題が全く明確性を欠き、構成がよくわからない。
どこから展開部になるのかわからず、また、どこにあったものがここに現れるのかよくわからないのです。
再現部はさすがに第1楽章の主題らしきものが現れたりして、なんとなくクライマックスをむかえているようだというのはわかるのだが、これではあまりにもありきたりのような気がする。
一度聴いただけではわからない面もたくさんあると思うが、この版は成功とは言えないと思う。
世界で初めて、ということに意義を見出すべきなのかもしれない。それにブルックナーの意志を継いだということは大切なことです。
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レヴィンの弾いたモーツアルトは代役のせいもあるかもしれないが、このごろの若い人には珍しく技術的にだめで、聴いていられなかった。
おしまい
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かなりボロクソに書いてしまっているが、実際のところこうだったのだ。
指揮とオケの出来が悪く、曲も足を引っ張られたというところか。やはり、何事も最初が肝心で、白熱の演奏を繰り広げていれば、このあとの演奏史にも別の光があたっていたかもしれない。
それと、当時と違って今は、このような編曲版に対しても聴く方の間口が広がってきている。
宙に浮いたような独特の二短調が、最後に解決する音響を聴きたいものだ。
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続く
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