●
前代未聞、空前絶後、完璧な‘間’であった。
ブルックナーのゲネラル・パウゼのことではない。
曲が終わった瞬間から拍手までの間のこと。こんな素晴らしい間は久しぶりにきいた。早からず、遅からず、実に絶妙の呼吸のタイミングであった。
ミスターSの音楽が、聴衆のフライングをとめた。
.
読響、ミスターSによるブルックナーの5番はこの日1回だけ。
.
2008年4月18日(金)7:00PM
サントリーホール
.
ブルックナー/交響曲第5番
.
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー指揮
読売日本交響楽団
.
各楽章のタイミングは大体こんな感じ。
第1楽章 18分
第2楽章 16分
第3楽章 13分
第4楽章 23分
.
第3楽章が終わったところで、ミスターSはコンマスに何回かチューニングをするよう促し、オーボエの音から始まり盛大な音合わせとなる。そして第4楽章へ突入。
プログラムには85分と書かれているが、実際には70分ぐらい。
●
そもそも、この第5番というのは、いまだ、曲が完成していないのではないだろうか。隙間だらけで穴だらけでむしろそのこと、そのようにわざと放置したところに魅力があるようなフレーズのとぼけたエンディングなどいたるところにあり実に面白い曲だ。
メロディーは下降線をたどる旋律。前進する感じはなく、歩いていてつまずくような、ブレーキが始終かかるっているような、押して押してといった節だ。面白い曲だ。
そのように思わせないのは昔最初にこの曲を聴いた時の先入観があるからかもしれない。フルトヴェングラーの第5は曲想に似合わず圧倒的スピード感で一筆書きする。この演奏には反対する人が多いが、こんなにオケのメンバーを引っ張れる指揮者はほかにはいない。
それからフランツ・コンヴィチュニー指揮ゲヴァントハウスのレコードがその昔、オイロディスクから見開き2枚組ブラックのジャケで出たとき、そのブラックホールのような圧倒的演奏に開眼した。この二つが古典みたいなもんだ。
●
ミスターSのブルックナーは、昔から聴いているが、昔といっても彼が60ぐらいの頃だから年齢的には彼なりに完成の域にあったと思われるのだが、今、84才にして昔本人が思わなかったような領域に高みにきているのではないだろうか。一言で言うと、‘かるいまんまスケール感が出た’、これだとちょっと失礼なので換言すると、‘昔と同じように重くならず、それでいてスケールの大きい演奏になってきた’という感じ。ブルックナーの音楽に変なベールがかからずクリア、それでいて音楽が息づき自然さが増しスケールの大きな演奏になってきた。
.
ミスターSはゲネラル・パウゼでもきっちり拍子をとる。まるで音が出ているかのように。。
速度の不安定な動きを嫌っているのは明らか。根拠のあるテンポだ。音楽にメリハリがつく。このゴツゴツした料理しにくい5番でも同じ方針で進むのは彼としては当然なのだが、苦労した割にはあまりおいしくない料理もなかにはある。
.
圧巻は第4楽章の細かいニュアンスのフーガ。各楽器が克明に微妙なニュアンスで音を刻む。それはエキサイティングなコーダにはいっても変わらず、究極のエンディングに向かう途中ブラスの彷徨を抑えたりして冷静な響きの世界を想起させ、感情のコントロールを取り戻させる。
編成は、変則2管。シャルク版ではないのでいたってオーソドックスである。トランペットとトロンボーンが3本、ホルン4本、あとは2管。チューバは2本持ち替え。
こんな感じでいたって普通であるが、ブラスの彷徨がものすごく、特に第4楽章コーダでフーガが極限に達し調が安定したあたりからの響きが爆発的なのでCDできいているとものすごい編成だと勘違いする人もいるかもしれない。ミスターSにとってこのようなオーソドックスな編成の曲は整理の仕方を隅から隅まで知っている。だから譜面は不要。ベートーヴェンと同じスタンスで曲に向き合えるのだ。
.
読響のサウンドは、腰の重い男性的な音が、楽団の男女比率がわりと昔のままであったりすることに一部起因したりしているのかもしれないが、ピラミッド形で貴重というか、指揮者がベースに指示をだすとすぐにぐっと力がはいったりして、安定感と機能性が現代風なところも備えている。
今日のブルックナーにおけるブラスの品性ある、抑制のきいたソロはミスターSのせいだけではない。むやみにバリバリとならすのもどうかと思ったりしていたので、コラール重視の演奏は聴いていて気持ちの良いものであった。また、オケのすわるポジションがあまり拡散していないのもよい。もっと指揮者を中心に取り囲むような座り方であれば、さらに素晴らしいアンサンブルになっていたに違いない。
●
第5番は個人的には変に好き。ブルックナー特有の3個の主題の節目がよくわからないなど何回聴いても整理整頓できなくて自分にいらいらしたりするときもあるが、ブルックナー本人になってみなければそこらへんよくわからないこともあるのだろう。この交響曲のあと第6番というのは妙に納得できるし。。
あんまりムードに流されるようなところがなく、フレーズのエンディングが面白い箇所が多く、音楽が口をあけたまま、玄関の扉がひらっきぱなしであったりして、こちらで音楽のクローズの仕方を考えなければならない。そのへん、面白い。
.
●
おまけ、
この前買ったSACD、ズヴェーデン指揮オランダ放送フィルの演奏とは段違いの比べ物にならないものであった。なんでもかんでもSACDにすればいいというものではない。あのように荒れた演奏で、また技術の限界点が明らかなオケ、あたりはずれは聴いてみないとわからないからしょうがない。
●