河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

トゥーランガリラ カンブルラン

2006-12-17 17:30:07 | 音楽

東にその演奏会あれば、

雨にも負けず出かけ。

西にその演奏会あれば、

風にも負けず出かけ。

北にその演奏会あれば、

寒さに負けず出かけ。

南にその演奏会あれば、

暑さに負けず出かける。

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熱意はいつもこんな装いで、この曲だけははずせない。

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20061215()

19:00 サントリー・ホール

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メシアン作曲

トゥーランガリラ交響曲

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ピアノ、ロジェ・ムラロ

オンド・マルトノ、原田節

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シルヴァン・カンブルラン指揮

読売日本交響楽団

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何度聴いても面白い曲だ。

3楽章だけはよくわからないけれども、とにかく第10楽章まで全てが天才の一瞬のひらめきの音楽のように聴こえる。

そのときは一生懸命考えながら年月をかけて作曲していたのだと思うが、出てきた音楽というのは凝縮されたひらめき。

作曲に思考する長い年月(としつき)も宇宙的光の時間尺度では、地球上の全ての事象はたかだか一瞬のまばたきの様なもの。

そんなことを実感させてくれるひらめきの音楽。

100人規模のフルパワー・オーケストラで、いろんな所でいろんな人がいろんな事をしている。

奥でパーカッション群がコトコトやっている。

その前方ではブラスのキザミがミキサーのようなうなりをたてている。

ウィンド群は複雑に短フレーズを繰り返す。

弦はコントラバスから第1ヴァイオリンまであちこちでストリームの塊がメロディーラインを作っている。

なんだかみんなバラバラだ。

鳴っているようで鳴りきらない。

かと思えば山水画のような一筆書きユニゾンが高らかに鳴り響き、強烈で圧倒的に鳴りきる。

指揮者カンブルランは、その譜めくりの大胆さもさることながら全身でリズムを作っていくさまが、そのポニーテールの揺れともども説得力のある迫力を感じる。

音楽への一体感。

この音楽は光であるのかもしれない。

色彩とリズムの競演。

強烈な刻み節。

なんという魅力的な音楽。

このような曲は、サントリーホールであれば、二階席からフルオーケストラを見渡しながら聴くのがよい。つまり生演奏に限る。

音が出てくるという事象が、前後左右どこからどのような形で出てきてるのかを確かめながら見聴きすると本当に楽しくなる。

オンド・マルトノ、ピアノ、ともにステージギリギリのところに位置し、従ってそのサウンドもクリアに前方に響く。

ダイナミックな指揮姿がピアノに邪魔されてよく見えないのは多少残念ではあったが。

カンブルランの作り出す演奏はその指揮姿ともどもわかりやすい。

まず、丁寧である。

やや遅めにとられたテンポが音楽に余裕を与えている。

つまりプレイヤーに次の音を出す準備をさせてくれる。

一回もつれたら元には戻らないのが音楽であるから、用意周到な事前練習は当然としても、演奏中の心の余裕も、あればそれにこしたことはない。


第九 プラハの春 ジュリーニ

2006-12-16 17:10:02 | 音楽

1_67

スメタナのわが祖国から始まるプラハの春音楽祭の〆をジュリーニが振ったことがあった。

〆は第九。チェコ語公演。

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1977年プラハの春

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197763

スメタナ・ホール

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ベートーヴェン作曲

交響曲第9

(チェコ語による上演)

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S,マルタ・ボハーチョヴァー

A,マリー・ムラゾヴァー

T,オルドルジビ・スピサル

Bs,アントニーン・シュヴォルツ

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カルロ・マリア・ジュリーニ指揮

チェコ・フィル

プラハ・フィル合唱

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例によってオープン・リール(たしかTEAC X10R)からカセット・テープに落として保存していたものをDATにコピー。

2回ダビングしたことになるが(NHKも合わせると3回か)、あらためて聴きなおしてみると、我ながら、何故か、かなり良好なサウンドで驚いた。

チェコ・フィルのややメタリックで繊細な音群の粒を割と克明に聴くことができる。

スメタナ・ホールのデッドな空間もその広さまで含めてわかるようなホール感が伝わってくる。ウィンド楽器の奥行感もある。

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スメタナの命日から始まるとはいえ祝祭的な23週間。

ジュリーニが〆た経緯は知らないが、晩年の枯れすぎて音が隙間だらけになり、ト書き風な様相を呈し、ものを言う行間、のような演奏とは似ても似つかぬ演奏である。

第一には、チェコ・フィルの音楽祭へのいれこみ、音楽への情熱、個々人のプレイヤーのやる気度が素晴らしかったのだろうと思う。

4楽章の低弦の柔らかさは殊にすばらしい。

ジュリーニの静かな熱が少しずつ加熱していく。

歌のラインなら任せてよ、と昔カラスの伴奏をしたジュリーニは加熱とともにアップテンポを自然増幅し、音楽を生き生きしたものにしていく。

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チェコ語による第一声はかなりクリア。

.チェコ語を知らなくても、この歌詞の日本語訳はあるわけだからそれと同じだろう、と思えば違和感もなくなる。少し鼻に帯びた声質がチェコ・フィルのサウンドとよくマッチしている。

低弦同様、合唱の柔らかさも、どうやればあんなサウンドを作り出すことができるんだろうか。

ジュリーニは最後まであくまでも静かな加熱。

節度を守った、品性のある演奏で、音楽表現というものをひたすら追った姿が真摯。

忙しくなった世の中、このような格調高い演奏で、年に一回は自分を取り戻したい。

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チェリが来た 2

2006-12-15 00:01:00 | 音楽

1977年の初来日に続いて1978年にもチェリビダッケは単独来日した。

今回は読響の復習確認である。

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1978317()19:00

神奈川県民ホール

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モーツァルト/交響曲第41

ワーグナー/トリスタンとイゾルデより

前奏曲と愛の死

レスピーギ/ローマの松

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セルジュ・チェリビダッケ指揮

読売日本交響楽団

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今回の演奏は、演奏会そのものが音楽「体験」。

一曲一曲が記念すべき体験になり、一生忘れられないものとなった。

最前列で聴きほれて、いつもは気になる周囲の咳払いやしぐさは、まるで視聴覚的にはいってこなかった。

ありがたい。

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前回同様ピアニッシモから始まった。

しかし今回はピアニッシモだけに終わるようなチェリビダッケではないことは予感していた。モーツァルトは別にして。

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モーツァルト。

フルトヴェングラーは本当はモーツァルトをこのように演奏したかったのではなかったのか。と、演奏中にふと思った。

フルトヴェングラーのモーツァルト40番は先を急ぐかのようにひた走りする。

本当はいやなのにひた走りする。

あのモーツァルトが自己最高の納得した表現だとは思わない。

いや表現を抑えているのだ。

チェリの41番。

最高の解釈で進む。

この男性的オーケストラから、あのようなピッチのあった、気持ちの良いモーツァルトをきけるとは夢にも思わなかった。

比較的ゆっくりと進み、音は風のように流れる。

本当に軽い肌触りである。

もうこれだけでまいってしまった。

2楽章、今にもとまりそうな遅さ。本当とまりそうだった。

しかし明るかった。軽かった。

そして今日の演奏会、最高の出来栄えと思われる第3楽章。

なんと快いことか。なんとさわやかなことか。もう音に浸るしかなかった。

オーケストラ団員が演奏しているその喜びを肌で受け止めた。

4楽章。迫力があるだけではなく、今日の後半のプログラムのプレリュードとなるに値するようなデーモンが乗り移ったような演奏であった。

全く素晴らしい、モーツアルトの音楽。再認識。

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ワーグナー

この演奏会のメインであり、チェリビダッケのメイン。

醒めたワーグナーなど面白くない。

弱音の整った音楽から強音の荒れ狂う様まで異常だ。

前回、このオーケストラに教えたピアニッシモはこのワーグナーの前奏曲で最強音と化す。

荒れ狂う半音階。

いりみだれる音、音、音。

ワーグナー、ワーグナー。ワーグナー。

完全なる悪魔のとりこ。

エクスタシー、震え、エロティックな感動。

感動の震え以外なにもなかった。

そして静寂から愛の死の高まりへと進む。

しかし、前奏曲での高まりからは、もうひとつ退かなければならない愛の死のクライマックス。

その完璧な表現。音をむさぼり食らう。

もう一度、静寂がきたとき、このままいつまでも終わってほしくないと願っていた音楽が終った。

チェリビダッケ最高の表現。

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レスピーギ

おそらく、このオーケストラのフルメンバーでかかったと思う。

音響は空前絶後であった。

あのシカゴ交響楽団でも負けそうな雰囲気。

チェリビダッケの指揮、まるで魔物にとりつかれたような。

前回のピアニッシモと今回のピアニッシモとフォルテッシッシッシモ。

今後もう一度チェリビダッケがきたら読響はどうなるのであろうか。

しくじったけれどもあのピアニッシッシッシモに耐えたクラリネットに興奮した。

よく頑張った。

そして本当にきれいなオーケストラの音色の変化。

指揮者ひとりでこうも変わるものなのか。

そして、そして、最後に、指揮者、オーケストラ、ともども狂いたけったアッピア街道の松に突入していった。

超弱音から最後の最強音までの運び方。

それに音色の変化。

チェリビダッケは狂っていた。

あの三連符を振る時の棒の運び。

狂気以外のなにものでもなかった。

ただただ手をひたすら回すだけ。

それについていった読響。

狂うしかなかった。

その感激。

何もかもはるかかなたに飛び去って行った。

孤独でいられる興奮。

没我、狂気、あらゆるものが表現されていた。

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チェリビダッケがいなかったらあの最強音と超弱音はなかった。今後も彼がいなかったら難しい。

そして異常なまでの音色の変化も。

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チェリビダッケの演奏会で今回印象に残ったのは、ものすごいダイナミックレンジもさることながら、音色バランスである。

あの弦だけしかないようなモーツァルトにしても、異様に多彩な光をはなっていたし、ワーグナーにおけるバランス感覚も最高であった。レスピーギでは言うに及ばず。

これで現代音楽でも振ったら、最高の解釈者となるであろう。

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幸せな読響のメンバー。

この演奏会は精神的かつ肉体的な「体験」であった。

おしまい

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チェリが来た。

2006-12-14 00:01:00 | 音楽

チェリビダッケが初めて日本で指揮をしたのは、単独来日で、読響を振ったものであった。

あのときどうやってチケットを買ったのか今では全く記憶にない。

当時は「歴史が来た」という感覚。

フルトヴェングラーにつながる歴史上の人物が、日本に来た。

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1977年(昭和52年)10月18日()

東京文化会館

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メンデルスゾーン 「真夏の夜の夢」序曲

ラヴェル  組曲「マ・メール・ロア」

バルトーク 管弦楽のための協奏曲

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セルジュ・チェリビダッケ指揮

読売日本交響楽団

指揮者があらわれる前の入念なチューニングから、それははじまった。

弦が1セクションずつチューニング。

アマの音合わせのように緊張気味。

しばらくこの状態が続き、やむ。

「し~~~~ん。」

静かさが耳に痛い。

「し~~~~ん。」

「ごくり、」

誰かが緊張のあまりつばを飲みこんだらしい。

「し~ん。ごくり。」

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そして、ついにあらわれた。非常におそい足どりで。

声にならない聴衆のため息。

長い空白の後、音があらわれてきた。

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「真夏の夜の夢」は最初から最後までピアニシモの音楽であった。

音は流れるというよりも、蜘蛛の糸みたいに妖しくもつれる。

ときには止まりそうになる、ピアニシモのままで。

一瞬、感覚が麻痺した。

忘れてはいけない、ピアニシモでフルートが奏した最後の音と、拍手までのあの異常に長い空白を。

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「マ・メール・ロア」も徹底したピアニシモの音楽。

フォルテは最後の音だけ。

最後の音をフォルテで出した後、息と音と混合したようなものがすーっと残る感覚。

シューベルトの9番と同じ。

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「管弦楽のための協奏曲」

静止した印象。

音色変化のものすごさ。それもピアニシモで。

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音楽が全て終わったとき、指揮者は指揮台からゆっくりおりて楽員をたててから、深くお辞儀をする。

音楽の本当の姿。

指揮者によって、なんと音が変わるのだろう。

ピアニシモと音色の変化こそ音楽。

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労音会館ホールで見た長編音楽記録映画「フルトヴェングラーと巨匠たち」で、チェリビダッケの指揮した「エグモント」序曲。

戦争当時のがれきの山の上で指揮したあの姿。

ピアニシモのとき、ほとんど手は振らないが、盛り上がってくると昔のあの姿がそのまま、この現実と化すのである。

フルトヴェングラーとともにベルリン・フィルを振っていたあの姿が現実にあらわれた。

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しかし、演奏はなんと非現実的なのだろう。

遠い世界に行ったような気がする。

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そして、また現実。

チェリビダッケの得意の腰の横振り。

流麗な棒さばき。

入念な指示。

音楽、芸術とは真剣な演技ではないか。

舞台の上で行う演技ではないかと思う。

演技こそ本物を表現するあかし。

聴衆は演技をみて心から酔う。

現実と非現実の合体が、今の現実。

高尚な芸術もある。そして、よごれた現実もある。

自分のしたいようにする。

それでよいのだろうと思った。

チェリビダッケの演奏を聴いて、指揮姿を見て。

音楽を聴いてこんなに考えさせられたのははじめてだ。

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バルトークの一番最後の音で、ものすごい声をだした。

あれは僕の最前列を通り越し、いったいどこまで届いたことやら。

新世界のコーダを思い出す。

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さしだされた花束をもらい、その中から一本ちぎってコンサート・マスターへ。

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左足の痛そうなのが気になった。

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チェリのサインと握手をしたあの手と笑顔も忘れないでしまっておこう。

ぎこちないが、その動作一つ一つが僕には印象的だった。

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この演奏会の10日後、ベルクのヴァイオリン協奏曲などの演奏会を開いた。

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この日から日をおかず、

カラヤン/ベルリン・フィルが来日する。

おわり

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3 カスクのカスク

2006-12-13 00:01:00 | 六本木にて

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河童「もうボロボロだ。」

静かな悪友S「そうだな。ベロベロだ。CASKでこんなにもたくさん、おいしいお酒を飲めるとは、場所的には青天のへきれきだ。」

「それは逆だろう。地獄で天使。」

河童&S「もう、ベロボロだ。」

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河童「お店には、におい、かおり、というものがある。初めてのところでも、それまでの数知れない体験から、ここらあたりにたぶんこんなお店があるかもしれない、とか、入口のにおいでどんなお店なのか、わかる。。こともある。」

S「はいはい、私はその経験の場数を踏まず、ただただお河童様についていくだけでいいのですから安上がりでございます。」

「君、それは謙遜しすぎだよ。僕と出会って、踏み入れたかった未知の世界にはいっていくことができたということだろう。便利な存在だったんだよ。僕は。」

「実はそういうことだったかもしれません。しかし私の世界も本当に広がりました。バーでこのような数多のバリエーションのウィスキー、カクテルに巡り合えるとは思ってもおりませんでした。」

「そうだね。たしかに。僕もそれなりに楽しんでるからいいのさ。」

「それでその、におい、というのは?」

「お店の周りの雰囲気、人の流れ、明るさ暗さ、門がまえ、街の風貌とそれにマッチしているかどうか、しっくり感、人を吸収する力のあるドア、といった外からただよう雰囲気かおり、そして、ドアを開けたときの本当のにおい、かおり、これが最初にクリアすべきものなのかもしれない。」

「アルコールが中枢神経を蝕んできたようだ。」

「最近は2軒目以降がバー、というハシゴは少なくなったね。いきなり気に入ったバーに行く。そこで濃いお酒を飲む。食べていないので味はよくわかる。量はあまり飲まないので胃への負担感も少ない。しらふではいるわけだから会話も楽しいというものだ。」

「変わったね。河童様も歳かね。」

「人も河童も変わらない方がおかしいのだよ。昔のイメージだけでしゃべってると進化しない霊長類になってしまう。だから長い付き合いの相手にも敬意は持つべきなのさ。」

「そうだね。酔っぱらった方がいいこと言うみたいだね。河童族は。」

「それというのもここのおいしいお酒のせいだ。」

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S「ところで、あすこに置いてある珍しいラベルはなんだ。」

河童「あぁ、あれかい。あれはこのお店の3周年記念オリジナル・ボトルらしい。」

「余市って書いてあるから、ニッカだな。ニッカはあまり飲むことがないね。」

「そうだな。かなり前に銀座の八官神社があったビルの上のバーで飲んで以来だね。」

「その八官神社いまでもあるよ。昔は電通通りの一階に面してあったけど、今はソニー通りのほうにひっそりとあるみたいだ。」

「苦しくなくても神頼みはかかせない。」

「それで、あすこに見える余市はどんなお酒なんだい。」

1991年つまり平成3年の樽詰のシングルカスクらしい。まだバブルの余韻があったころだね。僕は当時あるお店にボトルを4種類4本キープしていたことがあるけど、いま思うと狂気の沙汰だね。当時既に脳に消毒が必要だったってわけさ。」

「今日はいつも以上のお酒のせいか、聞いてもいなことが次から次とよく出てくるね。口から出任せの白髪三千丈ではないのかね。」

「それはありえん。僕はリアリストだ。というよりも経験主義者だ。」

「それは河童電脳の世界のことかもしれんよ。河童の夢はどんな夢?」

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河童「ところでこのオリジナル・ボトル。かおりが僕の好み、味わい、フィニッシュもよさそうだ。度数も63%と花金にはうってつけだ。」

S「まるで飲んだことでもあるような口ぶりだね。」

「実は念力でちょっと飲んでみたのさ。隙間のない敷き詰められた味。君もどうかね。」

「僕には河童の念力はない。」

「実は2本さるルートから手にいれてある。一本あげるよ。」

「そうか悪いね。ただとは言うまい。ただほど高いものはない、というからね。」

「そうだね。支払いは君に任せるよ。」

おわり

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2 カスクのハイカイ

2006-12-12 00:01:00 | 六本木にて

うまいお酒を飲むために無駄な努力というものはない。どこでどんなお酒を飲めるのか。

全ての努力をして、やれることはやって、そうやって得たリアリティーな体験を血肉としてまた新所名跡を探し当てるのである。この醍醐味感。何とも言えずいい。

しかしその一本気な努力が、他のことについても出来ていたなら、それはそれで別の素晴らしさが開けていただろう、というのは言葉のあやだ。なぜなら一つのことをまともに出来ない人間や河童に、二つのことを出来るわけがない。まず最初に一つあるべきなのだ。でもこれも言葉のイリュージョンだ。

一つのことをすることが、ほかのことをおこなう誘因になることさえある。人生の充実感というのはそういうことだ。そのようなときもあったかもしれない。でもその疾風怒涛のなかに我が身があるとき、えてしてそのことには気がつかないものだ。

お酒を飲むと話がショートする、というより、飛ぶ。

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お酒で体も筋肉も癒され、脳みそも癒される。ときにはあいた傷口もふさいでくれる。決してその反対のことがおこらないのがバー。しかし、もしそうなら、別の意味で飲む方もその姿勢を正さなければならない。緊張感をもって癒される。酔いながら酔わない。そのような場だ。

アトモスフィアも大切だ。静かに飲む。これに尽きる。

でも、昔と違いいろいろなお酒を飲むことが出来るようになった。わからないことはお店の人に訊きながらよく教えてもらう。有楽町のビックカメラの店員からは商業主義的な説明をきかされて辟易するけれども、バーのスタッフの説明には飽きない。単にこちらが未知のお酒に興味を抱くから、という理由からだけだろうか。共感があるからだろう。共鳴するトライアングルは小さなサウンドでもよく響きこだましあう。銀座には古くから、また新しくてもそのような雰囲気が自然に醸し出されるお店が多い。でも今日は六本木だ。

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河童「最近の噂によると、サントリーホールから六本木へ、河童にはちょっときつい坂道をのぼる六本木通りの中腹にカスクの品数がわりとそろってるお店があるようだ。」

静かな悪友S「そうですか。はいはい、じゃぁここらあたりでタクシーを降りて歩きましょうか。お河童さま。おいしいお酒を飲ませてくれるならなんでも言うことを聞きますから。」

「そうだな、酒を飲むときだけは無駄な抵抗はしないようだな。さすがモリ君の後輩だけのことはある。なぜ政治家にならなかったんだい。」

「それは別の予感があったから。でも今日はお酒でしょ。はやく行きましょう。」

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「まぁ、まって、ゆっくりと河童ペースで歩こう。右側に高い建物が見えるだろう。あすこは昔の防衛庁だったね。」

「そういえばそうだね。」

「外資に吸われたみたいだ。」

「六本木でもストロー現象があるのかね。」

「そうだね。この狭い地域でも、サントリーホールのあるアークは薄暗くなってしまい、ヒルズに盛りがついた。でも最近は陰りがあるらしい。旧防衛庁跡にできる外資系のまわりにはこれからどんなストーリーが待っているのか。でもストローというよりも気まぐれな移ろいのようでもあるね。都会の人間の気の変わりようは光のようにはやく線香花火のようにむなしい。」

「ところでお河童様は生まれた時からここらあたりをハイカイしていたのかね。」

「生まれた時は河童でも赤ちゃんだからね。1842年生まれとはいえここらあたりを徘徊し始めたのは、泡と消えた山●証券の別の某悪友とだったから、始まりはたかだか20年ぐらい前だと思うよ。」

「ほうおもしろそうだな。その話はいつきかせてくれるんだい。」

「夜な夜な六本木界隈を徘徊して歩いていたな。飲む前に防衛庁の正門に向かって君が代を一発ぶちかましたかどうか記憶は定かでないけれども、あすこのコーナーの公衆トイレの隣におでん屋台があって、あるとき、河童好物の〆サバならぬシソ巻きを全部食ってしまったことがあった。16串ぐらいだろうか。商売あがったり、ってよろこんでいた初老の元気オヤジの彼女はまだ20代とかいう噂が広まっていたね。こんな長たらしい話つまらないだろう。山●との話は国外までさかのぼるし。またいつか話してあげるよ。」

「そうだな。今日の目的は別だ。」

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「ほら、そこのブラックホールのような入口があるだろう。」

「おおっ。本当だ。光さえ吸い込んでしまいそうなところだな。なるほど六本木だ。サントリーホールの演奏会の後いつもいくおばんざいは反対側の通りだから、近くて遠いっていう感じだね。」

「そうだね。でもブラックホールに河童好物の〆サバはないと思うよ。」

「そこまでは求めない。はやく入ろう。ちょっと待った。お店の名前を確認しておこう。」

CASK

S「樽、か。いい名前だ。はやく飲もう。」

「急がば回れ。」

「善は急げ。」

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1 カスクをカクス

2006-12-11 00:01:00 | 六本木にて

1_66

静かな悪友S「カスクってぇのはどういう意味なんだい。」

河童「樽らしい。」

「木樽かい。」

「そうだね。ドラム缶じゃない。」

「その木樽でお酒が寝てるのかい。」

「そうらしい。」

「木の効果は?」

「僕は思うんだ。木は気に通じるんだ。空気の気、大気、雰囲気、気配、色気。。

大地に根をはやした木は地上の全ての気を吸い、呼吸しているんだ。その深い呼吸がしみこんだ木で作られた樽でお酒が寝てるんだ。ある意味良いウィスキーが出来上がるのはむしろ当然ではないのかな。」

「なるほど。でも多けりゃいいってもんでもないだろ。」

「どういう意味?」

S「森林さんって知ってるかい。もりばやしさんって。」

河童「わからん。」

「気が多い人間をもりばやさんっていうんだ。この漢字、見てごらん。木が5本もある。」

「森森さんだと6本だな。」

「気が多すぎるのも問題だ。じゃぁ、うどの大木(たいぼく)って知ってるかい。」

「役立たずのことかい。」

「うどの大森(たいもり)ってのは?」

「それならよく知ってるよ。IT革命を、イト革命って読んだ亡国の首相だろう。木が3本の。」

「よく知ってるね。」

「そりゃそうさ。君、学校の後輩だろうが。」

「すまん。かえり血だね。」

.

S「それでその熟成なんだが、ホワイトオークの樽で寝てるだけでいい酒ができるのかね。」

河童「僕は思うんだ。使用済みの樽もいいけど、まっさらな樽を使って欲しいときもあるね。」

「たとえば?」

「そうだね。真新しい樽に寝かせながら、音楽を鳴らし続けるというのはどうかな。1年でも2年でも10年でも。」

「蒸留所で音楽をね。でも生演奏を10年も続けるわけにはいかんな。」

「そうさ。本当はグラスゴーのスコティッシュ・ナショナル管弦楽団のような透徹した透明感のあるサウンドでも鳴らし続けたいところだが、そうもいくまい。

今はオートチェンジャーのCDプレーヤーがあるから停電でもない限り鳴らし続けることができるわけさ。」

「いい考えだ。で、誰の曲を?」

「それなんだ、問題は。どんな周波数の波長を流せば、樽にどのような振動をもたらし、それがお酒にどのような効果があるのか。これって誰も何も今まで検証してないよね。ときが長いだけに実地検証は無理だ。」

「じゃ、想像してみよう。」

「まず、ベートーヴェンはだめだね。特に中期のドツキの音楽はお酒に悪い。音楽の浮き沈みが激しすぎて、寝かせるというよりもお酒を起こしてしまう。」

「モーツァルトなんかはあまりにもつきなみで面白みがない。新しいのになめらか過ぎるみたいな。」

「そうだな。ショスタコーヴィッチあたりの音楽も少しすっぱ過ぎるしね。」

S「困った。」

河童「僕のイメージはあるよ。それはマルティヌーだね。」

「へぇ、マルティヌーね。」

「そう、ミニマル風に繰り返すさざ波。満ちては引く無限感。ときにビートで目覚め、あるときは予定調和的な美しいハーモニーを奏でる。いい音楽だ。」

「この音楽で埋め尽くされたウィスキーを一度飲んでみたい。」

「そうだね。」

「じゃぁ、どうしてもこの一曲を選べって言われたらどうする。」

「それもあるよ。それはウェーベルンの‘夏の風の中で’だね。さわやかだけど全てがストーン・ペイヴメントで敷き詰められたような。ポットスチルが3個書いてあった絵のかつての‘バラの岸’がこの曲で満たされていたらどんなにうまかったことか。締まった軽さというか、加水時の空気感とウェーベルンの初期傑作の周波数が同時にマチュアしていい感じだったと思うよ。」

「よだれが出そうだ。つまみはなんだ。」

「指揮棒とオーケストラ。」

「さて、今晩のお話もだいぶ酔っぱらってきたね。」

「最初から酔ってる。」

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S「ところで、カクスってぇのはどういう意味なんだい。」

河童「カクスってぇのは、隠すっていうこじゃないか。」

「何を。」

「そうだね。探されてもいないのに隠す。当たった2億円のロトシックスみたいなものだな。だまってりゃ誰にもわからないのに、何故か隠したくなる。だれも探してるわけじゃないのに隠したくなる。ここにあるよって、自分から意思表示してるようなもんだ。」

「だから酒飲みはみんな論理が飛ぶのか。」

「そうともいえる。良く言えば飛躍的にね。」

「手がつけられんな。それでなにか隠したいものでもあるのかね。」

「しゃべってしまったら隠したことにならないじゃないか。」

「そうれはそうだが、秘密は告白のためのプレリュードとも言う。」

「なかなかいいこと言うじゃないか。モリ君の後輩とは思えん。君もそろそろ酔いがまわってきたな。」

「いいから、それで?」

「最近、六本木にいいお酒を飲ませてくれるお店があるらしい。」

「おっ、河童バーだな。」

「いやいや、河童は余計だぁ。」

「じゃぁ、バーなんとか?」

「河童もバーもつかない名前だったと思うよ。これからちょっと行ってみようか。」

「おっ、今晩もお河童さまのお供が出来るってわけだ。今日はどこに連れってくれるんだろう。」

「今日もハシゴだね。六本木の夜は長いし。」

「はいはい。」

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Webern  Im SommerWnid (1904)

ウェーベルン作曲

夏の風の中で (1904年作曲)

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0140- ブライデン・トムソン ボフスラフ・マルティヌー

2006-12-10 11:44:38 | 音楽

 

 

 
スコットランドに生まれたブライデン・トムソンが、グラスゴーのスコティッシュ・ナショナル管弦楽団の常任指揮者になったのは、亡くなる直前のほんの2シーズンだけであった。
アーノルド・バックス、ボーン・ウィリアムズなど、噛めば噛むほどいい味がでる曲に取り組んでいたが、これはあまり知られていない。
マルティヌー作曲
交響曲第1,2,3,4,5,6番
ブライデン・トムソン指揮
スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
1989-1990年の演奏。
このオーケストラ独特の暗く透徹した透明な響きが、マルティヌーの音楽をクリアに表現している。

最近、ヴァツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィルによるマルティヌーの交響曲全集がリマスタリングで出たが、残念ながら目のさめるようないい音、にはなっていない。ドロンとしていてもうすこしザラッとした音が欲しい。曲ごとにばらつきもある。もちろん貴重なものであることにかわりはないが。
ノイマンのものではウィーン・フィルを指揮した交響曲第6番(1988.8.11NHK-FM)が絶妙。

歌もので印象に残っているのはこれ。6番も同じ日に演奏された。
1994.12.14
ニッポナリ
メッゾ、ドグマール・ベッコーヴァ
イルジー・ビエロフラベーク 指揮 N響
このニッポナリ、なかなかCDを見かけない。
美しいスキニー・ラインの珠玉の曲だ。



モートン・グールド SACD 交響曲第3番オリジナル・バージョン -3-

2006-12-09 17:55:09 | 音楽

交響曲第3番 オリジナル・バージョン

モートン・グールドは4つの交響曲を作った。第1(Victory Ode)1943年、第2(Symphony on Marching Tune)1944年、両方とも第二次世界大戦に触発されたもの。

1952年からの第4番は最後の交響曲で、やはり戦争のことを扱っている。このコンサート・バンドのためのWest Point Symphonyは有名な軍隊学校により委嘱さあたものである。

3交響曲は異なる。ダラス交響楽団のために作曲されたこの曲は1946年後半から19471月にかけて書かれた。それは彼の最初の子供が生まれる頃であった。第3交響曲は彼の最も個人的な交響的な言葉である。この曲は彼が熱望した、野望的、シリアスな交響的作品である。第3番で、グールドは全てのアメリカの交響曲作曲家が熱望する核に到達した。彼は’Great American Symphony’を書いた。

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グールドはこの作品を両親にささげた。そして両親にあて「私は今まであなたがたに何も捧げたことがなかった。あなた方は私の人生で最も大切な人。それゆえ、私の新作第3交響曲を捧げるにふさわしいと考えている。この第3番はいままでの作品のなかで最良の作品と思っている。」

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1楽章は、トランペットによる苦悩の3連符、楽章を貫くリズミックな装飾音、にbuiklする突き刺すような5連符のモチーフで始まる。容赦ない異常なマーチで締めくくる前に短い激情が2回にわたり、その後おさまる。(2/4拍子と3/8拍子を交互に使い変則拍子を楽しんでいる。)

1楽章の容赦ない激しさにコントラストをなすように、第2楽章はかなり内省的で、くつろいだぼやけてジャズ風な夢想である。それにもかかわらず緊張感的なセンスは決してなくなることはなく、ピッチカートのベースラインの八分音符の鼓動や、ヴァイオリンによる積極的なカデンツァのようなパッセージや、繊細な第1ヴァイオリンのハーモニーにより、むしろ暗示的でさえある。

そして嵐がブレークする。‘嘲笑的ユーモア’で演奏されるべきことを意味している華麗なジャズ・スケルツオ。

最初のニューヨーク公演における評論家でさえ、この楽章は何か特別であると感じた。

ニューヨーク・タイムズのハワード・トーブマンは、この楽章の‘抑えがたい勢い’について書いている。グールド氏は自分の作曲技法を通して、100人の高度に訓練された演奏者の技巧を使って、まるでジャズの手法を作っているようである。彼ら演奏者は、指揮者たちは仲間からこのようなことは聞いたことも学んだこともないと思っている。熱く演奏できるその仲間は、グールド氏の交響曲の第3楽章を聴くために昨晩ここにいるべきであった。グールドは二つのかみ合うフレーズ -駆け上がる、下る-を並べ絡ませる。それはこの曲を渦巻くようにし続け、ますます勢いづかせ、トルネードがその中心点に触れるもの全てを吸い上げるようにしている。嵐は木管と弦の柔らかな音でだんだん弱まり、スネアドラムの軽い音で締めくくられ、ベースから引き離され叩かれる。この輝かしい効果は、ヨーロッパ人が真似することができたかどうか疑うところである。奇妙な行進曲風トリオのあと、オープニングの短い再現が、ケトルドラムによるフォルテッシモの爆発によってクライマックスに導く。ついていくにはものすごくタフな楽章がドアを閉めるように熱狂的なコーダで閉じる。

ニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者であるディミトリ・ミトロプーロスとグールドの最も熱心な支持者たちは、快活なフィナーレをスローで深刻なものに置き換えるようグールドに迫った、というのがおそらくこの楽章の純粋な輝かしさの理由であった。フィルハーモニックの契約の誘惑により、グールドは第4楽章を全て破棄し、新鮮な‘パッサカリアとフーガ’に置き換えた。ミトロプーロスは予定通り、この改訂版第3交響曲を19481028日に公のものとした。評はおおむね好評であったが、作品の全体のまとまりの印象が薄い。新たなエンディングが誇れるものではあるけれども、グールド自身でさえこう認めている。‘この楽章は一部の聴衆からはポジティブな反応を受けているとはいえない。’

デイヴィット・アラン・ミラー(このSACDの指揮者)はこのレコーディングの準備を始めたとき、この曲の初期バージョンのことについて何も知らなかった。彼は、フィナーレの日付が、スコアにある第1,2,3楽章の日付よりかなり後であり、また別の用紙に書かれていたことを発見しそれらのことに興味をいだいた。フィナーレの音楽は、第1,2,3楽章の性格、イディオムと奇妙に調和していないようにも見える。彼はグールドの伝記を書いているピーター・グードマンに助言を求めた。グードマンはフィナーレの初期バージョンに言及し、シャーマー音楽出版社のライブラリアンにコンタクトをとった。シャーマーは、50数年の間触れられていなかった、棚高くにあるオリジナル曲を発見した。二つのフィナーレを比較して、ミラー氏はあとのものよりも最初のバージョンのほうが作品の自然性においてより真実性があり、結果的に極めて成功していると感じた。このレコーディングは‘オリジナル’フィナーレであり、それゆえこの作品をもとの形に復元したものである。

おわり

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モートン・グールド SACD 交響曲第3番 -2-

2006-12-08 00:08:00 | 音楽

モートン・グールド

モートン・グールドは、私がスコアを見ることさえしなくても新作を受け入れられる唯一の作曲家です。私は、その最初の一小節を見る前から良い作品であることを知っている。

- ディミトリ・ミトロプーロス -

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モートン・グールドは1913年、ニューヨーク・クイーンズで生まれた。彼はピアノの天才児であり、はやくから作曲を始めていた。16才までに、自分の作風「超現代的」を宣言した。

世界大恐慌の間、ラジオ・シティ・ミュージック・ホールのピットの音楽家としてスタートした悲しい目をした一匹狼はNBCWORCBSのための膨大な作業において、ラジオを通して指揮、作曲、アレンジで活躍した。それはバレエ、ブロードウェイ、コンサート・ホール、映画、果てはテレビにまで挑戦するといったもの。

彼は疲れを知らなかった。彼はどこにでも現れた。そして、ジョージ・ガーシュウィンのように、通りで人が実際に笛を吹くことができる身近な音楽を書いた。(ガーシュウィンの説明をした方がよいかもしれない。彼はインテリ仲間や評論家に冷遇されていた。許容することが懇願されていたけれども、決して受け入れられたわけではなかった。)

自分自身の曲や他の人の曲の多彩な音楽翻訳家であるグールドは、数えきれないほどのライブ・コンサートやレコーディング・セッションで国際的なメジャー・オーケストラを指揮した。グラミー賞への多数のノミネートを受け、1966年にはシカゴ交響楽団を指揮したチャールズ・アイヴスの交響曲第1番のRCAアルバムでグラミー賞をとった。

1986年に演奏権利団体ASCAPの会長になり、オリジナルな印象的な作品をプロデュースした。それらはオーケストラル・ワークと呼ばれるユニークなものにおよんだ。アメリカン・コンチェルテッテ、アメリカン・シンフォネッテ、ラテン・アメリカン・シンフォネッテ、交響曲や協奏曲や合唱曲へのショーピース、ブロードウェイのミュージカル「ビリオン・ダラー・ベイビー」から豪華な「ストリング・ミュージック」まで。この「ストリング・ミュージック」では、グールドも驚く、1995年ピューリッツア賞を獲得した。

翌年、心臓発作で亡くなった。

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モートン・グールド SACD 交響曲第3番 -1-

2006-12-07 00:01:00 | 音楽

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モートン・グールドは一般に、編曲や日本風に言うところの軽音楽、などにその器用さを発揮した、ということぐらいしか知られていない。

そんななか、こんなCDが出た。

SACDハイブリッド盤である。

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モートン・グールド作曲

交響曲第3

デイヴィッド・アラン・ミラー指揮

オルバニー交響楽団

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世界初録音

ALBANY RECORDS

TROY515

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グールドは数多の作曲をしているが、交響曲は4つある。

この第3番、実にすばらしい曲。

滑るような弦、迫力ある打楽器。

薄いブルーが透明に淀んだような。

物理的機械的なサウンドのなかに漂うグールドの音楽観。

派手なパーカッション、イルミネーション。

4楽章40分におよぶ本格的なサウンド交響曲である。

詳細は後日に譲るとして、まずは是非このサウンドを聴いてほしい。

幾何学模様のオーケストラ・サウンドや音楽表現が何とも言えず、ヨーロッパを遠いものにしているが、グールドの音楽歴をトレースすると必然性がある。

彼は自分の身を置いた音楽環境をフルに活用した音楽を構築した。その現場にいなければ作ることができないようなサウンド。魅力的である。

オーケストラの切れ味は一流どころにはかなわないが、線が細いなりにアメリカ音楽への日常的な取り組みを感じさせる。

指揮も劇的なものより響きそのものを意識した譜の読みであるようだ。

SACDであるが、ホール感はあまり感じないものの、音場が安定している。

分解度は格別に高いわけではない。

ヴォリュームを上げて聴くと前面に音が拡がる。

カップリングされているハリスも魅力的。

ロイさんについては、またいつかふれることができると思う。

つづく

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MET5回目のホヴァンシチーナ ‐3‐

2006-12-06 00:01:00 | 音楽

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19851014()19()の上演が過ぎ、

同じシーズンの翌年2月に、

今度は恒例のマチネー・生放送中継の日がやってきた。

マチネーはこんな感じで中継された。

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198621()マチネー

ムソルグスキー作曲

ショスタコーヴィッチ・オーケストレーション

歌劇「ホヴァンシチーナ」全3

アウグスト・エヴァーディンク新演出

ネーメ・ヤルヴィ指揮

メトロポリタン・オペラ

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1014日から数えて何回目かの上演。

放送中継も長丁場だ。

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この日の中継をエア・チェックしてみた。

使ったマシンは、TEAC X2000R

いわゆるオープン・リール・テープデッキ。

速度9.5センチで180テープで片側3時間15分ぐらい収録できるが、

上演時間が4時間ぐらいあるため、河童の棲家にいてじっと待ち、切りのいいところで、マニュアル・リバースをするか、

それとも不在なら、

オートリバースのフォイルをセットして、あとは運を天にまかせてオート・リバースするか、どちらで試みたか記憶にない。

でもテープは残っている。

といっても、オープン・テープは高価なため、当時、完全に機が熟し、超高品質となったカセット・テープに後日編集をした。

今思うにこのころのカセット・テープはこれ以上ないぐらいの高品質性を追った結果、今でも全く問題なく動作する。

そして、時は過ぎ、

カセット・テープからデジタル・オーディオ・テープ(DAT)へのデジタル・コピーをあるとき敢行。

スタンダード・モードで初期DATデッキでコピー。

(ノーガードでデジタル・コピー何度でも可)

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これでオープンから、都合2回コピーを行ったわけだが、そもそもメトの生放送のFM音質はダイナミックレンジが狭く、いい音とはいいかねる。2


MET5回目のホヴァンシチーナ ‐2‐

2006-12-05 00:01:00 | 音楽

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ドナル・ヘナハンは1014日の初日のあと、夜中までの上演で疲れてしまったのか、一日おいて16日にニューヨーク・タイムに評を載せた。

というよりも、夜中までの公演であった為、翌日朝刊に評を載せるのは現実問題、困難である。

あいかわらず、ヘナハンの文章はわかりずらい。

35年ぶりの上演らしいが、そんなことはタイトルに掲げただけで、文中では一言も触れることなく、淡々と内容についてだけ評をしている。

さすがつわものヘナハン。

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THE NEW YORK TIMES

WEDNESDAY,OCTOBER 16, 1985

Opera ‘Khovanshchina’

At Met After 35 Years

BY DONAL HENAHAN

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ムソルグスキーの‘ホヴァンシチーナ’は‘ボリス・ゴドゥノフ’に比べて音響的な豪華さが欠けている。しかし、この国でもっと知られるべき作品である。

‘ボリス’のような作品は、作曲者の劇場ニーズに応じいたるところ意欲的に取り組まれており、ロシアの歴史の中で現実的な出来事として扱われている。

プロットはロシア・オペラにとってさえ極めて複雑である。現代レバノンのベイルートで見つけるようなものと同じぐらい混乱したようなもつれ絡まった政治的協力関係や、十文字模様の個人的な忠誠をもってして。

しかし、イマジネーションに作用出来るのはスコアである。アウグスト・エヴァーディンクによる月曜日のメトロポリタン・オペラのように、想像力豊かに舞台化されるとき、‘ホヴァンシチーナ’は全ての障害を克服する。

ほとんどの聴衆が、

帝国ロシア皇帝ツァー(敵たちを殺したピョートル大帝として知られていた)に対して陰謀者の間で、争いのはじめの段階を把握するにたるロシア人たちのこと、

を理解したと考えるぐらいわかりにくいものであった。

しかし、的確な指示演出が演技をわかりやすくする方向に持っていった。エヴァーディンク氏は、プロダクションの巨大な群衆を、オペラの舞台で普段出会うようにではなく手際よくドラマティックな効果をもって巧みに動かした。

気高きドシフェイ(マルティ・タルヴェラ)に導かれた熱狂的な宗派オールド・ビリーバーが、ツァーの軍隊に降伏するより、自分自身を生贄として殺すよう説得されるとき、エヴァーディンク氏は、その最後のシーンで正真正銘の、クーデーターではなくクーデーシアーターを成し遂げた。

まわりの脇役より1フィートか、さらに高くそびえたつタルヴェラ氏は、とても大きな喜びをもって、残忍なboyarの役にはいっていった同じような同類の巨大な人間でライヴァルにあたいするイワン・ホヴァンスキー役のアーゲ・ホーグランドに対峙した。特に、ペルシャの踊り子と一緒に、驚嘆すべき運動選手のような酔っぱらったバカ騒ぎの部分では。

この二人のバスが顔を突き合わせるとき、成層圏のなかに導かれるようで、教会と国家間の議論が実際のところ高次元であった。(高い場所にあった。)

ネーメ・ヤルヴィはスコアにある特別なデリカシーのために鋭敏な耳で指揮をした。

それはメトロポリタンにより使用され、老練で不規則に広がったドラマのペースが保たれたショスタコーヴィッチのオーケストレーションで消されていない(オリジナル5幕ものがこのプロダクションでは3幕に短縮されている)

ミン・チョー・リーのセットは、イワン・ホヴァンスキーのダイニング・ルーム、-がっしりしたboyarがおこなった装飾が残忍な味を見せることをおそらくは意味している血のように真っ赤な目障りな建物-、のなかの地味で醜い経済的なものとは明確に異なる。

また別の異なったもので奇妙なものもある。西欧化された政治家となったワシリー・ゴリツシン(ヴィースラウ・オックマン)の客間であった。彼の調度品は、ゴリツシンが普段ワインを置くテーブルとして使って、また、魔女マルファとともに彼の占星術にとってある種の祭壇としても使っていた椅子、二つのテーブル、ハープシコード、であった。

なにかほかに悪いロシアの趣味の例はあるか。

マルファ役でメトロポリタン・デビューをしたかつてのソプラノ、ヘルガ・デルネッシュは有無を言わせない演技をし、甲高いメゾに十分な歌の能力をもってこなした。彼女は終幕で力が尽きたように見えたが、持ち直した。あまり重要でない役、お見事な王子アンドレイとしてデニス・グヤスは良好。

しゃべりたてる公的な筆記者役としてアンドレア・ヴェリス。

シャクロヴィティとしてアラン・モンク。

乙女エンマとしてナタリア・ローム。

このプロダクションにはいくつかの奇妙なところがある。本来の弓矢にかわってライフルを運ぶ民兵、ナイフではなくピストルでホヴァンスキーを殺す、アンドレイがマルファを突き刺す時マルファは武器がないままである(彼女は自身の短刀で彼を撃退しようとしたと想像される。それは、この勝気な婦人にとって完全にふさわしいものだ。)

この夜はデイヴィット・スティヴェンダーの壮大な合唱全体がヒーローであった。完全に本物のサウンドであるためにはもう少し深遠なバスが必要だけれども、しかしそれにもかかわらず自分たちの任務を見事に成し遂げた。

おわり

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MET5回目のホヴァンシチーナ ‐1‐

2006-12-04 00:01:00 | 音楽

1_65

メトのプログラムには、

このオペラ上演はメト通算何回目か、

というのが印刷されている。

1985年に通算5回目(!)となるホヴァンシチーナが上演された。

35年ぶりだそうである。

アウグスト・エヴァーディンク(!)の演出による初日はこのような感じであった。

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19851014()

20:00-23:55

メトロポリタン・オペラ・ハウス

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新演出・初日

ムソルグスキー作曲

ショスタコーヴィッチによるオーケストレーション

歌劇「ホヴァンシチーナ」全3

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アウグスト・エヴァーディンク演出

ネーメ・ヤルヴィ指揮

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コウズカ:カーク・レッドマン

シャクロヴィティ:アラン・モンク

イワン・ホヴァンスキー:アーゲ・ホーグランド

エンマ:ナタリア・ローム

アンドレイ・ホヴァンスキー:デニス・グヤス

ドシフェイ:マルティ・タルヴェラ

ゴルツィム:ヴィースラフ・オックマン

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全配役

Kouzka, Kirk Redmann

First Strelet, Morley Meredith

Second Strelet, William Fleck

A Public Scribe, Andrea Velis

Shaklovity, Allan Monk

Ivan Khovansky, Aage Haugland

Emma, Natalia Rom

Andrei Khovansky, Denes Gulyas

Dosifei, Martti Talvela

Vasily Golitsym, Wieslaw Ochman

Varsonofiev, Andrij Dobriansky

Servant, John Bills

Streshnev, Robert Nagy

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5幕ものではなく、3幕版である。

前奏曲

1

2幕第1場、第2

3幕第1場、第2場、第3

となっている。

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メトで5回目というのはかなりの少なさ。


0133- 超・絶不調 大地の歌 トルボルク

2006-12-03 13:50:17 | NYP




大地の歌と言えば、古いものですが、
それなりに名盤と言われている、
ワルター指揮ウィーン・フィル
ケルスティン・トルボルク
チャールズ・クルマン
というのがあります。

しかし、
トルボルクの隠れ絶不調盤というのがあります。

マーラー/大地の歌
アルトゥール・ロジンスキー指揮
ニューヨーク・フィル
コントラルト、ケルスティン・トルボルク
テノール、チャールズ・クルマン
1944年11月19日(air live take)

トルボルクのピッチは耳を覆うばかり。
よくぞ残っていてくれた。
カーネギー・ホールの放送録音。

歌い手は歌いながら持ち直す努力をするしかない。
音楽は進んでいってしまうわけだし。
でもなかなか戻らない。
もう一度、最初から歌いなおした方がいいのでは?
河童は昔、そんな現場をみたことがある。
歌ではないけれど、
NHK交響楽団による現代音楽。
棒は秋山さん。
クラリネットさんが、
ボキャボキャ、
とやってしまい、
みんな糸こんにゃくになり、
秋山さんがストップをかけて聴衆に振り向き、
一礼。
そして最初から演奏しなおした。
全日本吹奏楽コンクールではこうはいかないな。


ということで、いくらオケがニューヨーク・フィルとはいえ、
こんななかでバック・オーケストラに耳を傾けるのは至難の業。
それにロジンスキーも指揮どころではなかっただろう。
自分が代りに歌うわけにもいかないし。

でも、このASdiscのシリーズ。
なんか、音源が貴重で、つい、聴き返してしまうんですよね。
.ロジンスキーものはもちろんのこと、
カンテルリものとか、ワルターものとか、
ついつい、いつくしんじゃうんですよね。
化学調味料ゼロの世界というか。

おわり

追記 2021.1.8
ニューヨーク・フィルハーモニック、当初のperformance historyがさらに偉大になり今は、digital archivesとして巨大にして偉大。偉大な過去がこれによってもうかがい知れる。
Fig1


おわり