うまいお酒を飲むために無駄な努力というものはない。どこでどんなお酒を飲めるのか。
全ての努力をして、やれることはやって、そうやって得たリアリティーな体験を血肉としてまた新所名跡を探し当てるのである。この醍醐味感。何とも言えずいい。
しかしその一本気な努力が、他のことについても出来ていたなら、それはそれで別の素晴らしさが開けていただろう、というのは言葉のあやだ。なぜなら一つのことをまともに出来ない人間や河童に、二つのことを出来るわけがない。まず最初に一つあるべきなのだ。でもこれも言葉のイリュージョンだ。
一つのことをすることが、ほかのことをおこなう誘因になることさえある。人生の充実感というのはそういうことだ。そのようなときもあったかもしれない。でもその疾風怒涛のなかに我が身があるとき、えてしてそのことには気がつかないものだ。
お酒を飲むと話がショートする、というより、飛ぶ。
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お酒で体も筋肉も癒され、脳みそも癒される。ときにはあいた傷口もふさいでくれる。決してその反対のことがおこらないのがバー。しかし、もしそうなら、別の意味で飲む方もその姿勢を正さなければならない。緊張感をもって癒される。酔いながら酔わない。そのような場だ。
アトモスフィアも大切だ。静かに飲む。これに尽きる。
でも、昔と違いいろいろなお酒を飲むことが出来るようになった。わからないことはお店の人に訊きながらよく教えてもらう。有楽町のビックカメラの店員からは商業主義的な説明をきかされて辟易するけれども、バーのスタッフの説明には飽きない。単にこちらが未知のお酒に興味を抱くから、という理由からだけだろうか。共感があるからだろう。共鳴するトライアングルは小さなサウンドでもよく響きこだましあう。銀座には古くから、また新しくてもそのような雰囲気が自然に醸し出されるお店が多い。でも今日は六本木だ。
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河童「最近の噂によると、サントリーホールから六本木へ、河童にはちょっときつい坂道をのぼる六本木通りの中腹にカスクの品数がわりとそろってるお店があるようだ。」
静かな悪友S「そうですか。はいはい、じゃぁここらあたりでタクシーを降りて歩きましょうか。お河童さま。おいしいお酒を飲ませてくれるならなんでも言うことを聞きますから。」
「そうだな、酒を飲むときだけは無駄な抵抗はしないようだな。さすがモリ君の後輩だけのことはある。なぜ政治家にならなかったんだい。」
「それは別の予感があったから。でも今日はお酒でしょ。はやく行きましょう。」
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「まぁ、まって、ゆっくりと河童ペースで歩こう。右側に高い建物が見えるだろう。あすこは昔の防衛庁だったね。」
「そういえばそうだね。」
「外資に吸われたみたいだ。」
「六本木でもストロー現象があるのかね。」
「そうだね。この狭い地域でも、サントリーホールのあるアークは薄暗くなってしまい、ヒルズに盛りがついた。でも最近は陰りがあるらしい。旧防衛庁跡にできる外資系のまわりにはこれからどんなストーリーが待っているのか。でもストローというよりも気まぐれな移ろいのようでもあるね。都会の人間の気の変わりようは光のようにはやく線香花火のようにむなしい。」
「ところでお河童様は生まれた時からここらあたりをハイカイしていたのかね。」
「生まれた時は河童でも赤ちゃんだからね。1842年生まれとはいえここらあたりを徘徊し始めたのは、泡と消えた山●証券の別の某悪友とだったから、始まりはたかだか20年ぐらい前だと思うよ。」
「ほうおもしろそうだな。その話はいつきかせてくれるんだい。」
「夜な夜な六本木界隈を徘徊して歩いていたな。飲む前に防衛庁の正門に向かって君が代を一発ぶちかましたかどうか記憶は定かでないけれども、あすこのコーナーの公衆トイレの隣におでん屋台があって、あるとき、河童好物の〆サバならぬシソ巻きを全部食ってしまったことがあった。16串ぐらいだろうか。商売あがったり、ってよろこんでいた初老の元気オヤジの彼女はまだ20代とかいう噂が広まっていたね。こんな長たらしい話つまらないだろう。山●との話は国外までさかのぼるし。またいつか話してあげるよ。」
「そうだな。今日の目的は別だ。」
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「ほら、そこのブラックホールのような入口があるだろう。」
「おおっ。本当だ。光さえ吸い込んでしまいそうなところだな。なるほど六本木だ。サントリーホールの演奏会の後いつもいくおばんざいは反対側の通りだから、近くて遠いっていう感じだね。」
「そうだね。でもブラックホールに河童好物の〆サバはないと思うよ。」
「そこまでは求めない。はやく入ろう。ちょっと待った。お店の名前を確認しておこう。」
S「樽、か。いい名前だ。はやく飲もう。」
「急がば回れ。」
「善は急げ。」
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