1959-1960シーズンにニューヨーク・フィルはマーラー・フェスティヴァルを開催した。
日本だと、マーラーの、マの字、の頃。
当地では、
マーラー生誕100周年
と、
マーラーがニューヨーク・フィルの音楽監督になってから50周年記念
という両方の意味でのフェスティヴァルをおこなっていた。
直前のワルターを引っぱり出し、なんとも名状し難い素晴らしい演奏を行った。
フェスティヴァルの〆はこれ。
1960年4月15、16、21、24日
カーネギー・ホール
シューベルト/未完成交響曲
マーラー/大地の歌
モーリン・フォレスター
リチャード・ルイス
ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
未完成と永遠が対になったプログラム。
4月16日(土)夜の大地の歌の演奏は今でも聴くことができる。
COLUMBIA 30C37-7916
M&A 4206
雑音が多いながら音楽は明晰に聴こえてくる。
また、楽章間のカットがなく咳ばらいやザワザワ感がダイレクトに伝わってきて雰囲気が出ている。
歌は、フォレスターとルイスのガチンコ勝負とはいかない。
フォレスターはいまだ30才頃。
ルイスは42才頃。
日本でいうとひとまわり違う。
この人たち、うまどしかな。
ウノボン(宇野本)ではフォレスターよりも、同じタイミングで商業録音していたミラーのほうに軍配をあげている。
因みに商業録音のほうは4.15と4.18ということであり、微妙に演奏会の間をくぐりぬけている。商業録音のソリストはミラーとヘフリガー。
モーリン・フォレスターは、一言で言うと、度胸で勝負。
根性がすわっているというか、男勝りというか、ルイスの上をいく肝っ玉のような感じだ。
それでいてごつごつした感じはせず、うまく音楽にのっている。
その日の調子がどうであれ、最善を尽くす姿勢が見事だ。
他の三日間の調子はわからない。
15、16のあとは21,24と日が離れているので微調整はしてくるだろうが、喉の開き具合は、その間歌っていなければ、もとからやり直しっぽい感じだ。
長大な第6楽章が終わった残り火状態で聴衆全員拍手してしまうため、共感が殺がれる部分があるが、録音があるだけで良しとしよう。
この夜の聴きものはもうひとつ。オーケストラの音。
日常の演奏ではあるが、この分解された単旋律の塊のような、裸旋律のような、困難なスコアをかくも見事に自信満々と奏するオーケストラはやはりすごい。
ワルターの確信に満ちた指示、それまでの実績バックボーン、などお互いの信頼感が生まれる土壌がすべて整っているところでの水際立った演奏。
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マーラー・フェスティヴァルにふさわしい演奏といえる。
おわり