書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

王之春著/趙春晨點校 『清朝柔遠記』 から

2009年09月28日 | 抜き書き
 清朝末期の海防派の一人・沈保の部下であった王之春のいまひとつの著作。光緒五(1879)年執筆、光緒六(1880年)出版。本書は光緒十七(1891)年広雅書局本を底本に、北京図書館蔵抄本や光緒二十二(1896)年湖北書局刻本などによって校勘したもの(東方書店の解題より)

 康煕十五(1676年)年条にロシア初出。

 俄羅斯人来る。其の国の察罕汗に書を貽(おく)る。 (「巻二」 本書30頁)

 とある。1676年のロシアはモスクワ・ツァーリ国の時代(ロマノフ朝第二代のアレクセイ帝の即位第2年目)である。
 ツァーリを察罕汗(チャガン・ハーン)と呼んでいる。ロシア人について、このくだりの後に、「俄羅斯(オロス)人はいにしえは匈奴に属していた。唐代のキルギスである。人体は大体において紅毛碧眼だが目が黒い者もいる。それは李陵の子孫だと言われている。元の臣下だったがその滅んだのに乗じて族長が自立して汗となった」云々という注釈が続く。完全にモンゴル族やトルコ族の一派扱いである。
 以降、勿論朝貢国扱いで、たとえば康煕三十三年(1694)では「俄羅斯、使を遣わして入貢す」(「巻三」本書43頁)といった調子である。
 さらに、同治十年(1871年)条では、「夏五月、俄羅斯、伊犁に入寇す」と、まるで『春秋』に出てくるような古典的な夷狄の描かれ方をされている(「巻十七」本書329頁)。
 しかし当時の伊犁(イリ)は、それどころか新疆(東トルキスタン)全域は、ヤークーブ・ベクの乱の真最中で、新疆は清の支配から離脱して独立国状態になっていた。ロシアは混乱に乗じてイリ地方を軍事占領し、既成事実を作りあげてあわよくば併合するつもりで軍隊を侵入させてきていたのである。とうてい「入寇」などという、遊牧民の小集団が略奪目的で来襲してきたような語彙で形容できるものではなかったのだが。

(中華書局 2008年4月)

「民族融和と団結、中国が白書で強調」 を読んで

2009年09月28日 | 思考の断片
▲「YOMIURI ONLINE 読売新聞」2009年9月27日23時00分。 (部分)
 〈http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090927-OYT1T00791.htm

 【北京=佐伯聡士】中国政府は27日、「中国の民族政策と各民族の共同繁栄発展」と題する白書を発表した。〔略〕白書は「国家はいかなる形式の民族差別にも断固反対する」「民族の平等団結を破壊する言行は違法だ」と強調。少数民族地域の貧困人口の減少や少数民族の幹部の増加などを例に挙げて、民族政策を自賛した。

 原文を読んでみたが、文化大革命の起こっていないパラレルワールドの中国の話だった。
 もっとも御伽噺でも参考になるところはあった。

  中国少数民族聚居区大都地广人稀,资源富集。民族地区的草原面积,森林和水力资源蕴藏量,以及天然气等基础储量,均超过或接近全国的一半。全国2.2万多公里陆地边界线中的1.9万公里在民族地区。 (「一、统一的多民族国家和中华民族的多元一体」)

 少数民族居住地域は天然資源の宝庫であるという、前後の文脈から見てやや唐突な記述(このあとの、さらにとってつけたような、少数民族地域における自然保護区の存在を述べる文章とあわせての一段落)は、だから絶対に手放すわけにはいかないのだという中国政府の本音の、意図的な開示であろうか。

  中国各民族形成和发展的情况虽然各不相同,但总的方向是发展成为统一的多民族国家,汇聚成为统一稳固的中华民族。今天中国的疆域和版图,是中华大家庭中各民族在长期的历史发展中共同开发形成的。汉族的祖先最先开发了黄河流域和中原地区,藏、羌族最先开发了青藏高原,彝、白等民族最先开发了西南地区,满、锡伯、鄂温克、鄂伦春等民族的祖先最先开发了东北地区,匈奴、突厥、蒙古等民族先后开发了蒙古草原,黎族最先开发了海南岛,台湾少数民族的先民最先开发了台湾岛…… (「一、统一的多民族国家和中华民族的多元一体」)

 「中華民族は黄帝の子孫、黄河流域は中華文明発祥の地」といった、ひところの、少数民族への配慮も何もない無神経な言説がここでは影を潜めている。これだけでも“巨大な成就”であろう。皮肉ではなく。