書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

岡田英弘 「韓国史をどう見るか 日本にとっての朝鮮半島とは何か」 から

2009年09月16日 | 抜き書き
 岡田英弘 『日本人のための歴史学 こうして世界史は創られた!』 (ワック 2007年5月)所収。本文末尾にもと「月曜評論」1985年11月4日掲載との但し書き。

 朝鮮王朝は中国化を食い止めて民族文化を開発しようと努力し、モンゴルの置き土産のパクパ文字に基づいてハングルを創造し、国語文字の基礎を置いた。十五世紀のことである。しかし一方において中国の巨大な市場経済に巻き込まれないためと、中国の政治軍事介入を避けるため、商工業の発達を極力抑えねばならなかった。最も警戒すべき相手は中国だったのである。 (本書344頁。太字は引用者)

 こんな見方もあるのか。たしかに、朝鮮よりもおそらくは商工業を発達させ、中国とも朝貢の名を借りた活発な貿易活動を行っていた同時期のベトナムは、明にも清にも攻められた。明の時代には永楽帝に攻められて15世紀の初頭、最終的には逐い出したが、国土を20年にわたって明軍に占領され、中国の内地同様の直轄支配の下に置かれた。嘉靖帝にもあやうく侵攻されるところだった(16世紀前半)。清の時代になると、18世紀末、乾隆帝に“征伐”される目にあった(もっともただちに撃退した)。これらのすべてが、王位簒奪という、本来ベトナムの内政問題である事案を干渉の理由にされている。それだけベトナムと中国の関係が、より地理的に近接する朝鮮よりもある意味密であったということである。
 なるほど朝鮮にはそんな事態は絶えて起こっていない。14世紀の末、李成桂が高麗の王位を奪って李氏朝鮮を創めたときも、明の太祖洪武帝は「東の夷のことなど知らぬ」とほとんど無視した。明代(16世紀末)の明軍進駐は豊臣秀吉の朝鮮侵攻にさらされた朝鮮側がみずから招請した結果であるし、清初(17世紀前半・正確にはまだ後金時代)の満洲軍の侵入は、明と戦ううえで朝鮮を押さえておくことが戦略的に必要という、まったく次元の異なる事情によるものだった。

「中国、国連人権高等弁務官の報告書に遺憾の意」 から

2009年09月16日 | 抜き書き
▲「CRI Online(日本語)」2009-09-15 22:06:20、翻訳:Yan、田中。 (部分)
 〈http://jp1.chinabroadcast.cn/881/2009/09/15/1s146956.htm

 ジュネーブで15日に開かれた国際連合人権理事会第12回会議において、ナヴィ・ピレー国連人権高等弁務官が中国の新疆とチベット問題に過度な注目を寄せたことに対して、中国代表団は「新疆およびチベットの問題は人権問題ではない」と遺憾の意を表しました。

 なぜなら新疆とチベットにヒトは住んでいないからである。

 李大使はまた、「事実からも分かるように、中国政府が実施している民族自治の政策は全く以って正しいものである。新疆『7・5』事件、およびチベット『3・14』事件は、国内外の分裂勢力が国家の安定を破壊するために画策した由々しき犯罪事件であり、人権問題では決してない」と強調しました。

 Address the Spanish Inquisition!