恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

番外:よかったと思います。

2015年12月28日 | 日記
 異例ではありますが、書いておきます。

 本日午後、日韓両国の外相が、いわゆる「従軍慰安婦」問題について、日本政府が当時の旧日本軍の関与を認めた上で「責任を痛感する」と言明して、「最終的かつ不可逆的に」解決されたと表明しました。私は大変結構な結論に至ったと思います(もちろん、今後の成り行きは予断を許しませんが)。

 特に、しばしばナショナリスティックな言動が目立つ安倍政権において、政府が「責任」に言及して妥結したことは、それなりの「英断」ではないでしょうか(アメリカの圧力があったとしても、です)。

 私は現政権の政策には納得しかねるところが多々あるものですが、今回の件は、両国首脳と交渉担当者の努力を慶賀したいと思います。

 私事ながら、修行僧時代、私は道場における各国の仏教者との国際交流を10年以上担当していました。その中でも中国と韓国との交流は極めて比重が高く(まあ、当然なのですが)、国際会議や相互訪問などによって「友好親善」関係を結ぶことは、重要な仕事でした。

 当時、日中韓の仏教指導者層はほとんどが戦争経験世代でした。したがって、交流の現場に居合わせると、もちろん「友好親善」が前面に出るのですが、中国・韓国の個々の僧侶に接したとき、時として過去にたいする「わだかまり」とでも言うべきものが、影が差すように現れることがありました。

 私はその後も折に触れ、一番近い隣国との交流を妨げる「歴史認識」問題に注意を払ってきました。ここで「共通認識」が得られないと、「友好親善」の核心部分に空洞が生じると考えたからです。


 「歴史」に限らず物事は、それが起こった直後から、もう「客観的事実」それ自体などありません。あるのは「事実」として共有される認識なのです。とすれば、何事につけても、「事実」を問題にするなら、当事者が「認識」において「共有」を形成するしかありません。どれほど困難でも、そうする以外にないのです。

 今回の「解決」は、国際関係における対立する困難な問題について、「共通認識」の形成を遂げた例として、喜ばしいと思っています。

 仄聞するに、「従軍慰安婦」問題は韓国のみに限ったことではありません。今後政府が韓国以外の国々にも同様の取り組みを広げていくなら、それは結果的に、「戦時性暴力」を批判する国際的運動に、日本が「名誉ある地位」を占める足掛かりになることでしょう。これぞ「国益」であり「国家の品格」を実現するものではないでしょうか。

 日本と中国・韓国の間には、「歴史問題」で懸案がまだまだ多くあります。私は今回の「解決」を第一歩として、さらに問題解決が続いていくことを願ってやみません。

 暗いニュースの多かった一年の暮れに、コップ21パリ会議の協定合意に並んで、よいニュースを聞けたと思っています。