恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

月を見上げる

2015年12月30日 | 日記
彼は暗闇が怖い。でも、ときどき夜道を歩いて、月を見上げる。

背中と顎を伸ばして、目を見開き、少し口元が緩んで、

体いっぱいに光をあびるように、

そのまま飛び立っていくかのような姿で、

彼は月を見上げる。

歩き出す。10歩、20歩。

立ち止まり、足をそろえ、両手を左右のポケットの位置に定めて、

また月を見上げる。

そして、多くの言葉を知らない彼は、

「月、きれいだねえ」

と言う。


彼は争いを知らない。だから、争いになると、その場を離れる。

それが欲しいから、手を伸ばす。

そこに別の誰かが手を伸ばす。

彼は睨まれる。「これ僕の!」と大きな声で言われる。

驚いて、手を引っ込め、視線をあちこちに向けながら、

彼はそこから離れていく。

そして、次の居場所を決め、どうしたものかというように、

胸の前で両手を握りしめて、立っている。

好きな歌を小さな声で歌いながら。


彼は勉強も仕事も嫌いである。させようとすると、逃げる。

ただ、しなければならないと覚悟を決めると、耐える。

彼は理解が遅い。

彼はとても不器用だ。

でも、3時間、4時間、

叱られながら、呆れられながら、時々涙ぐみながら、

彼はそれを止めない。

そしてついに、教える人が、「もう、いいや! 今日はこれまで!」と言うと、

「今日はこれまで!」と大声でまぜっかえして、

信じがたいほど素早い身のこなしで逃げていく。


彼はひとから「かわいそう」と言われることもある。

誰も彼のようになりたくはないだろう。

しかし、彼は不幸ではない。

少なくとも、幸せと不幸せの区別が、彼にはない。


今年も当ブログをお読みいただき、ありがとうございました。

皆様の新年のご多幸を祈念申し上げます。