いまさら他人に聞きにくい長年の疑問。
その1
ドイツ人はジャガイモを、イタリア人はパスタを、本当に「主食」として食べているのか? それは日本人にとってのご飯のようなものなのか? するとパンとの関係は? 確か、ドイツ人もイタリア人もパンを「主食」らしく食べていたが? ひょっとすると、ジャガイモやパスタは日本人の場合の「麺類」にあたるのか? でも、日本人はそう頻繁にご飯と麺を一緒に食べないのではないか? まさか味噌汁と同じ、ということはないだろう?
その2
なぜ世間の特に男衆は、宴会の後、2次会・3次会が終わってから、「シメにラーメン!」と言うのか(「シメに牛丼」もあるらしい)? しかもそのラーメン屋で、なぜ「じゃあ、とりあえずギョウザとビール!」と言うのか? この場合、「シメ」とは何か? かりに「シメ」が飲酒のことなら、本当に、ラーメン屋の後は酒を飲まないのか? 一人で帰る途中でも、家に帰ってからも?
その3
そのとき特にお腹が空いているわけでもないのに、駅などで立ち食いソバ屋を見ると、なぜあれほど強烈に惹きつけられるのか? 食事時でもなく、もっと言うと、食事の前後にさえ、抗いがたい引力を感じるのは、私だけなのか? 母親から「その格好で立ち食いソバはヤメなさい」とよく叱られるが、やはり常識的にまずいだろうか? ところで、立ち食いソバは、はたして「食事」として認められるものなのか? ひょっとして「おやつ」か?
3.ファッションは関係ないと思います。
「仏教・私流」が次は9月ということで、
とても待ち遠しく思います。
いろいろなことがうまくいっている、自分は恵まれている、と感じた夜に、理由なくおそってくる死というイメージ、
そんなときに、なぜか、南さんが生きているじゃないか、という思いがわいてきて、次の会が待ち遠しいです。
出家がスター気取りで世間さまに笑われる。
あれらが昨日まで同じ釜のメシを食った仲間と思うと、情けないがな。
出家は出家の分をわきまえとれというんや。
禅僧に女房、子供は不要。
一番苦しかったのは、そばの大食いかなあ・・・((((;゜Д゜))))
目と鼻から、そばが飛び出した(*´д`*)
一般に雲水は麺が大の好物と言われます
ある檀家さんが接待に麺を出したところ、「馬が食うほど出したのに足りなくなった。」と言うと、「なぜ、雲水が食うほど湯でなかった?」と逸話があるほどです
ただし、雲水の中にはつらい思いをして嫌いになった者もいるかも?
そのくらい思いで深い一品である事には間違いありません。
夏は冷たく,冬は温かくして、大抵は、たらい麺、ずり出しでいただきます。
出し汁・・・昆布・干し椎茸でだしをとり、酒、みりんを入れて醤油で調味します。
薬味・・・すりごま・ねぎ・しょうが・大根おろし・刻みのり,しその葉、みょうが、細かく刻んだ納豆、唐辛子等々季節に合わせ用意。
いつ・・・朝食以外随時、とくに大作務・一日中作務の後、接心前・中日、そして明けの日は麺供養と呼ばれます。
食作法・・・僧堂での食作法は読経と鳴らしもの以外音はご法度ですが、麺となると別世界になります。
そうです、麺とはすするもの、食堂は途端にズーズズズズーと豪快で痛快な世界になります。
そして、最後の一本がなくなるまで箸を置いてはいけません。
これが最大のルールです
貴方は、禅宗の専門僧堂の修行に参加された事が無いのですね?
禅宗では、麺類は大きな音を立てて、とにかく大食いする事を風習としています。
これを、饂飩供養と呼んでいます。
一番苦しい修行でした・・・
人類の歴史は飢餓との戦いの歴史ですので、炭水化物なら麺類・デザート等の形を問わず、等しく本能的な「食の喜び」につながるのではないでしょうか。
なお、猫などは糖類の甘味を感じることが出来ないため、脂質を除いた炭水化物だけなら、麺類とデザートの区別は人間ほどは無さそうです。
ちなみに、関西では炭水化物づくし(ご飯と麺類、ご飯とお好み焼き)は普通にあります。
ごはんと天麩羅うどんを頼んで、うどんの天麩羅をご飯にのせて「たぬきうどん・天丼セット」を自作するという、裏技ならぬ「表技」を披露されたときには参りました。恐るべし、関西人!
その2について
子供の頃から、男は遊びのやめ時を知らないものです。だらだらと、際限なくつるんでいたいのが本音です(笑)
がっつりと食べる事で、「まあ、帰ろうかな」と心でなく身体側から説得してくれます。
宴会の際には、ほど良い頃に出席者に帰路についてもらうため、「がっつりとした〆の料理」を用意しておくのが主催者・幹事の心得です(笑)
それから私事ではございますが、こちらのブログに際限なく書き込んだり考え込んだりするよりも、まずは参禅などしてみて、「身体」から教えを身に沁み込ませることが一番重要ではないかと、最近、切実に思うようになりました。
また余談ですが、最近の一部に見られるバランスを欠いたヒステリックな社会運動を見ていると、「暴走している観念」に「身体」を追いつかせようとしている人が多いのではないかと思えてなりません。身体活動により「観念のリアリティ化」や「心身のバランス」を図っているのでしょうか。
これはかえってフラストレーションを増大させたり、観念が強固になり柔軟性を欠くことにつながり、あまり良いことにはならないように思われます。
どの様な結論であっても良いのですが、一度、万事を休息させてみて、冷静になってから再考してみてもいいのではないかと思っております。
その3について
それは方丈様だけではないでしょうか(笑)
ところで疑問に対して、疑問が生じてしまいました。
たしか禅の食事作法によれば、音を立てずにいただく事とされていたかと思われますが、禅僧は音を立てないでお蕎麦をいただくのでしょうか?
僧形のまま音もたてずお蕎麦をすすっていたら、駅のホームや街の喧騒の中にあっても、緊張感漂う異様な無音空間が生じてしまいそうです。少なくとも立ち食いそばでは、ほどほどに音を立てていただければ、私達はありがたいです(笑)
他との関係において成り立つさま。
また、他との比較の上に成り立つさま。
「―な価値」「物事を―に見る」⇔絶対的。
他の何物ともくらべようもない状態・存在であるさま。
「―な信頼を得る」「―に有利な立場」⇔相対的。
人間は、つい物事を相対的・対立的にみてしまいます。
自己と他者を比較しがちです。
そして、自己中心的な発想を追及し始めたとき、人間は他者に対して不寛容となり、争いの種を自らの心の中につくり出していくのであります。
仏教では、この世に存在するものは、重々無尽の因縁、縁起によって成り立っており、すべてのものが、相互に関係し合い、依存し合っていると教えています。
一人の人間、一つの民族、一つの国家は、世界全体の中の一つの構成要素にすぎません。
物事を相対的・対立的にみるのではなく、絶対的な一つとみる。
これが二千五百年もの前に釈尊が悟られた法なのであります。
そして、このことは、つきつめていけば、すべての宗教の根源をなす共通の真理ではないかと思うのであります。
仏教で申せば、すでに二千五百年も前に示されていた人間にとってもっとも根本的な生き方を、われわれが本当の意味で成し遂げてきたのか。
この世界で実現しているのか。
不寛容や争いを許してきたのは、
宗教者の説かざる罪
、努力不足ではなかったか。
このことをわれわれが、深く反省し合うことから始めなければならないと信ずるのであります。
私たちは、一つの大いなるいのちに生かされている親戚同士、いや兄弟姉妹なのであります。
どうでも良いだろうが。
家人いわく、ポテトはメインの料理の時に食べるもので、朝にポテトは食べないと話していました。
加害児童たちの、遊びのつもりだった、そんなことがまかりとおるなら暴行恐喝など世の中の犯罪も遊びですまされることになる。
命が失われてからじゃ遅すぎる。
教師が、学校が、まともな対処をしないと生徒にとっては学校が世界のすべてになってしまうのだから。
学校が世界のすべてではないのに。
死ぬという選択だけはしないでほしい。
絶対に、生きる価値がいっぱいいっぱい未来にはある。
いじめをする下らないやつの人生よりよっぽど幸せな未来が待っているから。
隠蔽を許してはいけない。
ありのままの真実を。
そして命を追い詰めたことの重さを。
自殺は毎日、考えている。
近所の友人・知人も3人自殺した。
自殺の理由は様々だろう。
窃盗で逮捕され公務員を免職された者、夢やぶれ都から下ってきた者、農業に失敗し借金まみれになった者、様々だ。
私だって、そうだ。
とても、他人に言えない苦悩が有る。
社会にとって危険な事件に巻き込まれ、逮捕され何ケ月も代用監獄に放り込まれ、起訴された。
躁鬱の症状に苦しめられ、どんな職業に就いても続けられず、辞めてきた。
私は、何の為に生まれてきたのか。
新宗教団体にも所属してきたが、履歴を話した時から精神的虐待を受け、ノイローゼになり退会した。
私にとって、新宗教団体が最後の砦であった。
勿論、菩提寺の同年代の和尚とも友人になり、相談し、出家したが僧堂で精神病に陥り、下山し、還俗となった。
私は、還俗するつもりはなかったが、師僧に除籍願に印鑑、署名させられた。
師僧を恨んでしまった。
そして、不思議なことに師僧は檀家に排斥され、寺を追い出され、今は他県の田舎で静かに暮らしている。
私は、再び、出家しようと思っている。
理由は、結婚するつもりも無いし、子供を持つつもりも無いからである。
異性は好きだし、性的な事も好きだ。
しかし、私の遺伝子を受け継がせる事に迷いが有る。
そもそも、生まれてこなければ、苦悩は無いのだ。
何故、この世の生まれさせねばならないのだ。
私は何故か異性にモテる。
しかし、その異性を幸せには出来ないだろう。
考え方が違いすぎる。
私は、死にたいんじゃない。生きて行きたくないんだ。
そして、我が子にこんな思いはさせたくない。
だから結婚もしたくなければ、子もいらないのだ。
意外と? 食や性という一次元的欲求には、脆い?貧弱? なのかな?
奥方のみぞ知る。 となりますかね。
数年前の記事「一言で言うと」を読みました。学ぶことが多く、納得出来るものでした。思い込みでものを言うことの多い人間なので、自戒しました。
現行の原子力発電の利点として、以下の諸点が主張されている。
環境汚染が少ない 発電時に地球温暖化の原因とされる二酸化炭素を排出しない。
酸性雨や光化学スモッグなど大気汚染の原因とされる窒素酸化物や硫黄酸化物を排出しない。
コストが安い 発電コストに占める燃料費の割合が他の発電方法に比べ極めて低いため、燃料価格が上昇してもトータルの発電コストが上昇しにくい。
燃料のエネルギー密度が高く、備蓄及び輸送が容易。
燃料を一度装填すると一年程度は交換する必要がないこと。
発電量当りの単価が安いため、経済性が高い。
原料の安定供給 中東に大きく依存するガスや石油と違い、ウラン供給国は政情の安定した国が多い。
核燃料物質の国際的な入手ルート・価格がほぼ確立し安定している為に、化石燃料型の発電に比べて相対的に安定した電力供給が期待できる。
技術の国際的アピール 優秀な原発技術を国外へ売り込むことができる。
実用化できれば有利となる条件 比較的少量の核燃料を繰り返し使用する核燃料サイクルの確立できれば、化石燃料資源の乏しい国でも核燃料物質の入手に関わる制約を緩和できる。
海水からのウラン採取が実現すれば燃料はさらに豊富となる。技術自体は既に存在している
地元の経済効果 日本では、原子力発電所ができると地元には一定の雇用が期待できるほか、電源立地地域対策交付金などの電源三法交付金、固定資産税、法人税などの税収も確保できる。
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-62.html
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「木田節子さん、58歳。原発立地町の富岡町で暮らしていた。息子さんは原発作業員として働いている。原発事故後、警戒区域にされたために、家に帰ることができず、茨城県水戸市で避難生活を送る。
木田さんは、家と故郷を失ったショックと避難生活の中で、引き籠りになっていた。その木田さんが、ひとつの講演をきっかけに、「原発は間違い」と確信し、再稼働に反対する行動を始めた。つい5カ月ほど前のことだ。
帰れなくなっている故郷への強い思い、原発の是非をめぐって意見の合わない息子さんとの葛藤、いままで真実を知らされてこなかったことへの悔しさ。原発立地地域から、声をあげ始めた人の言葉は、聞く者の心を揺さぶる。
私は、福島第二原発のある富岡町に住んでいました。
岩手から嫁に来ました。34年前です。最初は原町(現在の南相馬市原町区)に住みました。その後、夫の転勤でいわき市に移り、それから富岡に家を建てました。それが、20年前。
20年間住んだ家は、いま警戒区域になっています。
夫の勤務が水戸で、夫と私と娘は、水戸に避難して、昨年4月から会社の社宅に入りました。息子は、富岡から、川内村、三春町、磐梯熱海、そして原発繋がりで柏崎まで避難しました。
震災のとき、私は東京にいた娘のアパートに来ていて、富岡の家にいませんでした。地震の後も風呂に入ったし、ご飯も普通に食べていました。だから、なんか自分ばかりが、安全なところにいて、避難場所を転々とした夫や息子に申し訳ない。「あのときになんで富岡にいなかったんだろう」と、ずっと後悔をしています。
岩手県の釜石に親戚がいますから、親戚もたくさん亡くなっているだろうと思いました。南三陸町の友だちは、お母さんを亡くしていました。
でも、震災以降、引き籠りになっていて、行きたくても行けませんでした。
「ああ、うちは家族4人、何とか命があるんだから、家はもうあきらめるしかないかな」とも思うようにしました。
それで、何とか前に進もうと思って、宮城県でガレキ撤去のボランティアに、夫と参加してみたり、いろいろなことに挑戦してみました。だけどやっぱり、何かね、できないんですよね。長続きしない。
夜、布団の中で目を閉じると、「ああ、家に帰りたいなあ」と思って、そのうち、妄想の中で、車を運転するんです。
避難している水戸から富岡までは遠いいんです。いわき中央インターまで高速で行って、それから慣れ親しんだ6号線を走ると、四倉港が右手に見える。次に、お仲人さんが住んでいる久之浜の街。津波に流された光景が右手に見える。そして、広野から楢葉に向かう途中に焼き餅屋さんがあって、「お世話になったな」とか。それからトンネルと坂を越えて、富岡の街に入って、自分の家の玄関に着いた。
そしたら、鍵を忘れたことに気づくんですね。
でも、幽体離脱というか、入れるんじゃないかと思って、すっとはいったら、入れた。夢の中ですから。
1階から2階と、グルグルとさまよい歩いて、息子の部屋を見て、「いま息子はどこにいるんだろうか」とか、そんなことを考えているうちに、ふと目を開けると、そこには、避難している水戸の家の天井がありました。
涙が出て仕方がありませんでした。
そんなことが続いて、引き籠りになっていたんです。
知らないことが多すぎたのです。本当に、都会の人も、原発のことを知らなかった。申し訳ありませんが、私も、富岡に20年住んでいて、知りませんでした。
バスガイドをしていましたので、東電の仕事もしましたよ。東電の仕事でバスに乗務すれば、一所懸命、おべんちゃらもいいます。
ただ、いろんな疑問は持ったりしていました。
六ヶ所村にもガイドでいきました。先祖代々の土地を二束三文で売ってしまい、入ったお金も使ってしまって、最後は家族は離散。そういう人の話もあるんです。六ヶ所村の人たちがみんなものすごいお金持ちと思われていますが、そうとは限らない。ガイドでいったとき、乗客にそんな話もしてきました。
でも、自分が住んでいる富岡近辺の原発については、考えることはなかった。反省というか、申し訳ないという気持ちです。
震災以降ずっと引き籠っていましたが、その間、広瀬隆さんや鎌田慧さんや小出助教の本などをたくさん読みました。
そんなとき、今年2月、避難先の水戸から16キロのところにある東海第二原発を再稼働させようという動きが始まっていたんですね。
娘が「行ってみたら」というので、2月12日、東海村の村長さんの講演を聴き、福島大学の先生のお話を聞きました。
それからです。「あなたは、あなたの大切な夫、息子に、原発で働けと言えますか。私は言えません。原発作業員の母より」と書いたプラカードを掲げて、デモに参加したりするようになりました。いまは、もう、首相官邸前でマイクなんかもったりしています。大飯町にも、福島の女性たちといっしょに訴えに行ってきました。
私の息子は、いま30歳。原発の作業に入ったのは、19歳から。もう10年です。
息子は、現在、福島第二原発の近くに事務所のある原発関連会社に勤めています。そこに勤めて2年です。
その前は、4次請けか5次請けの会社です。時々、息子の部屋の掃除をしているときに給料明細が出てきたんですけど、8年間勤めて、28歳なのに給料は17万円ぐらいでしたね。
その後、最初の会社を辞めてから、源泉徴収票が送られて来ました。それを見た息子が、「俺、ボーナスなんかもらってないのに、ここに8万円って書いてある」って。そういうもんなんですね。
もう少し給料のいいところをということで、今の会社に移りました。その会社は、勤めて2か月で、ボーナス10万円をもらいました。給料も、そこそこになったのではないかなと思います。
息子からは、原発のことをいろいろ聞きました。
一昨年、「トラブル発生で、今日は帰れません」ってメールが来ました。翌日、帰ってきたとき、「どうしたの?」ってきいたら、「いやあ、危なかったよ。やっと止まった」って。原発が「危なかった」とか、「やっと止まった」ってどういうことですか。〔※〕
それから、原子炉の中に、ペンチだとか、何かが落ちるそうですね。東電の社員に、「水の中にあんなにいろいろ落ちていて、いいんですか?」っていったら、「余計なことを言うな」って、怒られたそうです。
そして、そういった落ちたものを、人間が拾ってくるんですって。「どんな格好して入るの?」って聞いたら、「潜水夫みたいな恰好。一人では被れない鉛の帽子で。それから何十キロもある鉛のスーツを着て。そうやってあの高線量の(原子炉水の)中に入る」って。日本人は(線量が高すぎて、法律上)できないので、外国人が日本に来て、一回潜っただけで100万とか200万とかと稼いでいくそうです。
震災後、息子は、東電に出向です。
東電に出向というと聞こえはいいですが、警戒区域の線量計測、スクリーニングの立ち会い、やがては福島第一原発のガレキ撤去とか…。
東電は、社員を被ばくから守るために、協力企業に要員を出させる。それを断ると、「仕事を回さないぞ」と言われるので出すしかない。それでうちの息子が行くことになった。こんな構図だそうです。
震災後しばらくの間、息子が水戸に来たときには、好きなものを食べさせてあげて、酒も飲んで、楽しく過ごしていました。
だけど、今年の正月明け、全国の原発の再稼働の話が出たとき、「全く、この国は懲りない国だよね。福島でこんなことをしておきながら、再稼働だって」と、息子がご飯を食べているそばで言ったら、息子が、「それでも、この国は資源がないから、原発がないとだめなんだよ。お母さん」って言うんですね。
私は、震災後、広瀬隆さんとかの本をたくさん読んでましたから、「だから、お前はバカなんだ」って言いました。それで、息子のマインドコントロールを解きたくて、原発がいかに間違っているかということをこんこんと話しました。そして、「読め」って言って、本も買って持たせてやったんです。
だけど、たぶん、読んでない。読んでいれば、原発作業員が、政治家や電力会社や学者に利用されているということが、わかったはずですよ。
でも、息子は、原発問題について、勉強をしないんです。何で勉強しないか。怖いからですよ。怖いから勉強をしないんですよ。
だから、いまでも、思いは通じないんですよね。
私の話がうるさくなったのか、息子は、避難先に来なくなりました。
日本の原発というのは、60年ぐらい前に、政治家と科学者と電力会社がもうかるように最初からつくられた構図だったんですね。でも、問題は、原発の末端の労働で被ばくすること。そこで、政治家や電力会社の幹部たちは、「田舎に原発をつくって、地元で雇用して、そいつらにやらせればいいじゃないか」って言ったというのですね。本で読みました。
「被ばくする作業は、こいつらにさせればいいじゃないか」って言われている。そんな風に言われていることも知らないで、息子は10年も原発で働いている。しかも、原発が爆発して自分の住むところも追われている状態なのに、「日本には原発が必要だ」なんて、息子は言っている。
そういうのが、とっても悔しいのです。
その後、私がデモや集会に参加するようになって、発言などをして、それがネットなどで紹介されているのを息子が知って、「何でお母さんが、首相官邸前でマイクなんかもって、しゃべっているんだよ」って、娘のところに電話してきたそうです。娘は、「お兄ちゃんが、原発で働いているからだよ。お母さんは、息子を取り返したいって思って、やっているんだよ」って。
でも、私と息子は、今も分かりあっていません。対立したままです。でも、あきらめず対話を続けて行くつもりです。私の活動は、息子を取り戻すためにやっているんです。それまであきらめずに続けて行きます。
息子は、中学2年のときに、悪性のリンパ腫を発症しました。1年間、東京・築地のがんセンター(国立がん研究センター中央病院)で治療して助かりました。
「10年経ったら、大丈夫。普通に子どもはできるから」と言われて、25歳のときに結婚したんですけれど、残念ながら、子どもには恵まれませんでした。
その後、「どうしても子どもがほしい」という奥さんと気持ちが合わなくて、結局、離婚してしまいました。息子の奥さんのことを、私は大好きだったので、とても悲しかったんですけど、うちの息子と別れて他の人と結婚して幸せになれるんだったら、「仕様がないよ。別れるしかないね」ということで、認めたんですね。
うちの息子は悪性リンパ腫でしたが、実は他にも、そういう話があります。
今年の1月か2月、娘の友だちが水戸に遊びに来たんです。その子に、「あれー、お兄ちゃんいたよね。お兄ちゃん元気?」って聞いたら、「死んじゃったよ」って。白血病で亡くなったそうです。その子のお兄ちゃんはたぶんうちの息子と同じくらいの年。
それから、娘が同級生の人たちと仮設住宅でボランティアをやっているんですが、その一人の男の子も白血病で、いま再発中。
さらに、うちの息子が退院して、2年ぐらいあとに、50メートル先の家の子が、白血病になった。
その3年か4年以内に、同じ小学校の子が、心臓疾患で外国に行って移植手術を受けています。
富岡町のそれも半径3キロぐらいの狭い範囲で、3人の子どもが白血病、うちの息子が悪性リンパ腫で、1人が心臓疾患。これはどういうことでしょうか?
58年の人生で、57年間、原発の問題に気が付かず、去年の3・11まで、考えなかったことは、申し訳なかったと思います。でも、いろいろわかってきたら、黙っていられないんですね。
娘は、「お母さん、そんなに頑張ったって、どうせこの国は原発を再稼働するんだよ。お母さんが頑張っても通じないよ」と言いながら、応援してくれています。友人は、「ど
2.沖縄人のシメはステーキ。
3.こちら北海道のド田舎には立ち食いそばなどない!!極めて都会の考え方ですね。
ヨーロッパでは主食は「肉」や「魚」であって、そこに添えられる野菜としてジャガイモやマメやコメがあると言った感じでしょうか。
パスタだけはわかりません。イタリアでは前菜のあと、パスタ食べて、次に肉や魚が来るのでどうなんでしょうねえ。
あと、パンはなおさら主食ではないと思います。私の生活体験では、日本でいう箸休めに近いのではないかと思います。しいて言えば漬物か(笑)
私の素朴な疑問をどなたかに教えていただきたくて、書き込みしました。
このところずっと疑問に思っているのですが、「お金」ってなんでしょう。
「金の切れ目が縁の切れ目」とも言います。お金の話になったら、人格変わってしまう方もいらっしゃいます。「お金」の正体はいったいなんなのか、、知りたいです。
ご無礼承知でここに質問しました。
削除していただいても構いません。
でももし、気に留めていただけたなら、いつになっても構いません。教えていただきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
その1
イタリア人にとって、本来パスタは
肉や魚料理に先立つ前菜のようなものだと
聞いたことがございます。
フランス料理でいう、パンのような位置付けでしょうか。
その2
ギョーザ、ビール、ラーメン等々の一連を引っくるめて
ラーメンと呼んでいるように思います。
あくまで 外で人と共に飲食する行為はラストだという意思表示であって、
帰途や帰宅後に飲むケースは 何も珍しくありません。
その3
軽食という位置付けをする人もいるかも知れません。
サラリーマンの方々が立ち食い蕎麦を朝食としているのを見かけます。
箸を使う摂食は、おやつ とは捉えがたいような…。
とはいえ、お汁粉なんてものもあるし。どうなのでしょうね。
26歳 女性の考えでした。
でも「問い」を「問い」のままに大事に抱いて生きていく事が、人生を充実させることになるものだと思うんですよ。(眼光鋭く、時折うなずきながら)
・・・大変、失礼いたしました。
いつか、座禅の御指導をいただける僥倖がございましたら、姿勢の悪さやブログでの数々の無礼ゆえの警策を頂きたく存じます。何卒、ご海容のほどを...(泣笑)
追伸
1~3について、すぐに事実等に基づいて、説得力がありそうな「仮説」を立ててしまいました。
私にはこういう風になんでも埋めたがる性格があるなぁと、改めて思い知った次第でございます。
「答えが無い状態を忍耐できるか否かが、仏教徒でありえるか、ありえないかの分かれ目になる」ということを、改めて肝に銘じたいと思います。(勿論、本来の文脈の意味で申しております)
陽ざしが増し、夏の到来を感じます。
どうぞご自愛下さいますよう心よりお祈り申し上げます。