いまさら名乗るのも何か恥ずかしい話ですが、私の名前は南直哉(みなみじきさい)と言います。出家前には、直哉は「なおや」と読んでいて、師匠が得度の際に読み方を変えたわです。特に珍しい名前だとも思わないのですが、出家前に同名の人は、それこそ志賀直哉の他には、一人しか知りませんでした。
ところが、修行道場に入門してから、たて続けに3人、同名で同じ読みの坊さんがいることを知り、びっくりしました。意外と僧侶に多い名前なのでしょうか。
しかし、それでも、同姓同名という人物には、その道場で40を過ぎるまで、会いも知りもしませんでした。その40歳を過ぎたある日、当時私が所属していた部署に、一本の電話がかかってきました。
部下の修行僧「あの・・・、南さんいるか、という電話なんですが・・・」
私「誰だ?」
修行僧「ナントカジャーナルって言ってるんですが、そのう・・・〇〇電力の社長がそこで修行しているだろうって・・・」
私は、また妄想癖のある者が妙な電話をかけてきたのだろうと思い、強い口調で電話に出ました。
私「南は私ですが、何のことですか!?」
電話の主「いやあ、社長、さすが修行のせいですか、声がすごく若くなりましたねえ!」
私「アンタはいったい、何を言ってるんだ!!」
電話の主「えっ、社長でしょ?」
私の剣幕に驚いた相手はようやくおかしいと気づき、「失礼しました」を連発しながら、実は同姓同名の人物がいることを教えてくれたのです。それが、当時最大規模の電力会社の社長で、現在も多くの企業の取締役や、政府の委員会に名を連ねている人だったのでした。名前の読み方は「なおや」とは違うようですが、まさしく同姓同名です。
私が同じ名前では、相手の社長さんに申し訳ない気がしますが、それにしても「ナントカジャーナル」は、同姓同名の別人物かもしれないと、まったく疑わなかったのでしょうか。なんであれ、「思い込み」と「先入観」には気をつけないといけません。仏教に説く「無常」「無我」の初歩の実践として、この二つを捨てる努力をしてみるとよいだろうと思う次第です。
追記:次回「仏教・私流」は6月28日(月)午後6時半より、東京赤坂・豊川稲荷別院にて、行います。