恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

ギャップの問題

2010年05月31日 | インポート

 ある経営者:

「和尚、私は昭和ヒトケタの生まれです。ですから、子供の頃は軍国教育の真っ只中で、大人になったら、天皇陛下のために死ぬのが当たり前だと思っていました。

 ところが、敗戦でいきなり世の中が一変して、大人の言うことがほとんど一夜にして180度違ってしまいました。天皇陛下の言うこと、兵隊さんの言うこと、先生の言うこと、親の言うことに絶対服従するべしと叩き込まれてきたのに、突然、これからは自由と平等でやっていけと、大人は言い出したのです。

 私はわけがわからなくなりました。大人の変節のいい加減さにはもちろん驚きましたが、それよりも、『自由』と『平等』ということが、実感としてよくわらなかったのです。それは教える先生も同じだったと思います。何か、自信無げでした。

 先生は、民主主義という制度についてはそれなりの説明をしていましたが、その根拠であるはずの『自由』と『平等』についての話になると、けっして軍国教育時代に戦争や天皇陛下を語るときの熱意も歯切れよさも、ありませんでした。

 大人の話を聞いた結果、結局、私が思ったのは、『自由』と言うのは、人に迷惑をかけない限り、好きなことをしてもよい、ということであり、『平等』というのは、その『自由』は人間である限り、誰もが持っている権利なのだろう、ということでした。

 その後、私は、昭和ヒトケタの人たちが皆そうであるように、戦後の焼け野原から今まで、豊かな生活を目指して、それなりの努力をしてきました。私も小さいながら会社を興し、息子に引き継ぐこともできました。まあまあの人生だったと思います。

 そういう人生の終わり近くになって、あらためて『自由』と『平等』のことを考えると、私は経営者という立場では、『自由』は、ルールを破らない限り、何をして儲けてもよい、ということであり、『平等』とは、儲けるチャンスは誰にでもある、と考えていたとしか言えません。

 和尚、私は自分の考えを間違っているとは思いません。しかし、その一方で、本当にそれだけのことかと、ずっと思ってきました。私が商売の世界で考えたこととは別の考えがあるに違いないと思うのです。どうです、仏教の世界では、『自由』と『平等』をどう考えるのか、教えてもらえませんか?」

 戦後生まれの禅僧:

「せっかくですが、『仏教』の直接の教えとして、『自由』と『平等』を説明することはできません。もちろん、たとえば『自由』とは、自ら仏の教えに帰依して、それを拠り所にして正しい道を生きていくことであり、『平等』とは、人間には誰にでも仏の教えを悟る力がそなわっていることだ、と説明する僧侶もいます。ただ、私は、それがリアルには聞こえないのです。

 直接あなたの質問の答えにならないかもしれませんが、私が出家以来、様々に考えてきた中で、一つの大きな課題は、人間が『自由』であり『平等』であるとするなら、その根拠は何か、ということです。それをお話します。ただ、私の考えは必ずしも仏教ではないでしょう。が、私は仏教を学ぶ中で、こう考えるようになったのです。

 私は、人間が『自由』である根拠は、根源的に自らの生と死を選択できる、ということにあると思います。もっと端的に言えば、自殺可能性を確保していることが、それだと思っています。

 たとえどれほど過酷な運命にあろうと、死をもってそれを拒否する能力があるというところに、私は『自由』の最終的な根拠を見ています。

 ということはつまり、もはや選択の余地無く、死ぬ以外に道はない、あるいは生き続けざるをえない、という状況にある人が、ある意味、もっとも苦しい生の在り様だろうと考えます。

 『平等』と言われて私が実感としてあるのは、人は誰でも、生まれたいように生まれては来ない、ということです。すなわち、そのような『私』であることに、根拠が欠けているということです。

 どれほど恵まれた人生を送る人であっても、非常に苦しい立場にある人であっても、彼らがそうであることには、畢竟じて、その根源において、権利も責任もないはずだということ、それが私における『平等』という観念の意味なのです」

 禅僧の話を聞き終わった経営者は、そのまま黙り込んでしまいました。私の話の意味がわからなかったのではないでしょう。自分が「自由」と「平等」の、いわば社会的「意味」を質問したのに、禅僧の答えは、いきなり「根拠」の話になった、その発想の飛び方とギャップに戸惑ったのだと思います。私が他人と話をすると、時として、こういう始末になってしまうことがあります。あしからず。

追記:次回の「仏教・私流」は、6月28日(月)午後6時半より、東京赤坂・豊川稲荷別院にて、行います。