恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

開山しました

2010年05月10日 | インポート

F1010030_2  5月1日、恐山は今年も開山の日を迎えました。旧い携帯電話の撮影で、画像が見えにくく恐縮ですが、写真は上から、恐山街道の様子、総門脇の六地蔵、地蔵殿です。

 開山日の数日前、連休の人出が始まる前のもので、低温と強風がまだ続いていた頃です。それでも、地蔵殿の裏山は、木々の芽吹きのせいか、うっすらピンク色に染まり、連休後半には好天に恵まれ、境内唯一の桜もほころび始めていました。

 以下は、今年最初の法要後の挨拶です。

 皆様、本日はようこそお参り下さいました。今年は全国的に気候がさだまらず、体にも暮らしにも支障が出かねない毎日が続いておりますが、にもかかわらず、本日この恐山までお出かけいただき、ご本尊・延命地蔵菩薩様にご縁をお結びいただきましたことは、まことにありがたく、尊いことと存じます。

 院代といたしましては、今年も去年と同様に開山の日を迎えることができ、まずはほっとしております。本日お参りの皆様方も、それぞれにご事情はおありでしょうが、なにはともあれ、ご自身ご家族に大きな変わりが無かったがゆえに、本日お参りいただけたことと思います。F1010032_2

 そう言えば、日本語には、「お変わりなく」という挨拶がございますし、とりあえず無事にすごしていることを、「相変わらずです」と伝えることもあります。

 しかし、よく考えてみると、「お変わりなく」「相変わらず」であることは、そう簡単なことではないでしょう。我々の眼には、物事の変化は目についきやすいものです。その変化を起こす力にも気づくことは多いでしょう。

 F1010031 しかし、「相変わらず」であることを支える力には、そう簡単には気がつきません。ですが、それがあるからこそ、無事な日々はあるのです。そのことを常に意識して暮らしているわけでないにしろ、我々はそういう日々の貴重さを知っているからこそ、「お変わりなく」と挨拶するのでしょう。

 私は、この「相変わらず」の日々を支えている力の根底に、我々をめぐる人の縁があると思います。その縁の深さと広さが、決して単純でも簡単でもない人生を「変わりなく」生きることを可能にしているのでしょう。

 大きな変化は、一見「相変わらず」の日常の中で、ひっそりと始まるものです。その変化がいつの日か突如、「相変わらず」の日常を打ち破ったとしても、その変化を受け入れて、再び日常を再建するのも、人の縁の力ではないでしょうか。

 どうか、今日、お地蔵様に結んでいただいたご縁をお持ち帰り下さり、皆様の周囲の方々のご縁と重ねていただいて、さらにお変わりない、よい毎日をこれからもお過ごし下さいますよう、心よりお祈り申し上げます。本日はお参りお疲れ様でございました。