草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

日本を甘く見ている中共は必ず尖閣に武力侵攻をしてくる!

2021年02月18日 | 安全保障

尖閣諸島が風雲急を告げている。連日のように中共の海警が領海侵犯を繰り返し、一昨日にも海警の2隻が我が国の領海に侵入し、日本の漁船を追い回している。海警とはいっても、実際は人民解放軍の所属である。海上保安庁の巡視船では割って入るのが精一杯である。日本政府は遺憾の意を口にするだけで、危機意識が皆無のように思えてならない。日中の間で、この一線が超えないとの了解事項があるのではないか。それを信じて日本政府は高を括っているのではないだろうか▼中共は自国領であることを主張し、武器の使用すらもほのめかしている。それを正当化する海警法も今月から施行されている。今日中共が武力侵攻してきても不思議ではない。とくにアメリカがバイデン政権になって、対中政策での弱腰が目立ってきている。アメリカ頼みであってはならない。中共の民兵が尖閣諸島に上陸するような事態になり、その保護の名目で巡視船を攻撃してきた場合には、我が国としては重大な決断を迫られることになるだろう▼憲法によって交戦権が奪われてしまっている我が国としては、いくら自衛隊があっても、正当防衛権をもってしか、反撃する手立てがないのである。中共は虚を衝いてくるのはくるのは明らかであり、そのとき大騒ぎするのではなく、今から覚悟して置くべきなのである。

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「国難に気づかない太平楽こそが国難だ」と述べた後藤新平!

2021年02月17日 | 思想家

「真に恐るべきは、目に見える敵国・外患ではない。国難を国難として気づかず、漫然と太平楽を歌っている国民的神経衰弱こそ、もっとも恐るべき国難である」。後藤新平の『国難来』の一節である。大正11年9月1日に関東大震災が起きているが、その半年後の大正12年3月5日に後藤が東北帝国大学で講演したものを、翌月私家版の小冊子として世に出した。この小冊子の現代語訳が鈴木一策編解説として一昨年8月に出版されており、誰でも読むことができる▼関東大震災について後藤は「この大国難を通して厳粛な天の啓示だと受け取り、劫火の洗礼によって、ただれた心身を鍛え直すならば、この国難は国家復興の機縁となり、いわゆるわざわい転じて福となす」と国民に奮起を呼びかけた▼後藤はロシア革命にも言及しているが、一大実験場として注目していたのであり、どのような結末を辿ったかは周知の事実である。世の中が大変動期であった時代に、「赤化」を恐れることなく、後藤は「わが国体の精華を明確に認識せよ」と述べた。それは「わが大家族主義の文明」に立脚することであった▼後藤の弁は今の日本にこそあてはまる。新型コロナウイルスの感染拡大や尖閣諸島への中共の侵略の危機に直面して、私たちは今国難に対処することを迫られている。「国民的神経衰弱」から脱却して、国家として身構えなければならないのである。

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北一輝の女性観は「婦人ハ家庭ノ光ニシテ人生ノ花ナリ」!

2021年02月16日 | 思想家

自民党のなかにも悪乗りする女性国会議員がいる。稲田朋美前幹事長代行らが昨日、二階俊博幹事長と党本部で面会し、党の要職や役員に女性議員を登用する緊急提言を申し入れた。東京オリンピック・パラリンピックの森喜朗会長が辞任したことを受けて、女性をもっと活用することを直談判したのである。何も女性を武器にしなくても、実力があれば頭角を現すのに、駄々をこねているのである▼若き日に与謝野鉄幹の明星派の影響下にあった北一輝は、女性を崇高な対象と見ていた。女性が男と同じような労働に服することに反対した。北は『日本改造法案大綱』においてそのことを明確に述べている。「婦人ハ家庭ノ光ニシテ人生ノ花ナリ。婦人ガ妻タリ母タル労働ノミトナラバ、夫タル労働者ノ品性ヲ向上セシメ、次代ノ国民タル子女ヲ益々優秀ナラシメ、各家庭ノ集合タル国家ハ百花爛漫春光駘蕩(たいとう)タルベシ」▼北は女性の社会的進出を嫌ったのではない。肉体を酷使する労働というよりも「音楽美術文藝教育學術」の分野での活躍を期待したのである。女性参政権に対して否定的であったのは「妻タリ母タル」女性が政争に巻き込まれるのを嫌ったからである。今の時代に北の意見が通用するとは思わないが、女性だからというのではなく、政治家としての資質を磨くべきではないだろうか。保守派であるのならば、なおさら肝に銘じるべきだと思うのだが。

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マスコミに踊らされ口真似をすることの非を説いた柳田国男!

2021年02月15日 | 思想家

我が国が混乱期であればあるほど、必ずや日本人は、精神的な拠り所を求めるようになる。柳田民俗学が注目されるのは、まさしくそんなときである。ともすれば私たちが耳障りのいい言葉を口にしてしまうのは、ある意味では人間としての弱さでもある。柳田国男はこの点についても『国語の将来』で触れている▼「心にもない雄弁美辞を陳列するのは、よくない事だということは当人が誰よりもよく意識している。しかしも果たしてその通りのことを実際に考えているのかと問いつめられたときに、実は口真似でしたと白状することは、中々できぬのが人情である。そのためについに言葉の方へわが心を殉じてしまって、逆な悲しい結果を生じた者も折々はあったのである」▼今回の東京オリパラの森喜朗会長辞任劇は、まさしく日本人が集団ヒステリー化したような現象を呈した。大方の人は、マスコミの報道に踊らされて「口真似」をしたのだと思う。「口真似」がもたらす悲劇に柳田は心を痛めたのだ。言葉の危うさを誰よりも知っていたのである。だからこそ、活字にも残されていない、無意識に日本人が受け継いできたものに目を向けたのだった。この世を去った先祖が子孫の生業を見守っているとの確信は、そこから生まれたのである。取り戻すべき日本民族の信仰とはまさしくそれなのであり、マスコミに踊らされて付和雷同してはならないのである。

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森喜朗をリンチしたマスコミを嗤う 10句

2021年02月14日 | 川柳

マスコミがリンチしたのに嘘を吐き

池上と同じ部類が闊歩する

朝日とかNHkが騒ぎ立て

ネットでは議論もあって水差して

団塊の弱者騙すが仕事なり

森さんをかばったネット取り上げず

活動家テレビ支配ししたり顔

ネットでは声なき声が国憂う

新聞もテレビも見ない人多し

ネットでの汚い工作サヨクかな

 

 

 

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リベラルが白人至上主義を批判するなら日本への戦争犯罪も!

2021年02月14日 | アメリカ

米国のリベラルが白人至上主義を批判するのであれば、もう一歩踏み込んで、大東亜戦争における米国の戦争犯罪も糾弾すべきだ。広島、長崎への原爆投下で約21万4000人が虐殺された。その多くは無辜の民であった。白人のナチスドイツではなく、有色人種の日本に使われたのである▼東京裁判では、平和に対する罪という事後法によってA級戦犯が裁かれたばかりか、B級は通例の戦争犯罪人として、横浜やマニラなど49か所で軍事法廷が開かれ、被告人約5700人に達し、約1000人が処刑された。濡れ衣を着せられた者も含まれていた▼日系アメリカ人は、財産を没収され、収容所に送られたことも異常である。それはナチスよりも先に実施されたのであった。これに対する米国政府の謝罪は、レーガン大統領が1988年に「市民自由法」(日系アメリカ人補償法)に署名したことでようやく実現した。レーガン大統領は「「日系アメリカ人の市民としての基本的自由と憲法で保障された権利を侵害したことに対して、連邦議会は国を代表して謝罪する」と述べたのである▼1776年に建国した米国は今大きな岐路に立っている。米国が近代化を達成するにあたって、植民地支配や人種差別を容認して来たことは否定しがたい事実であり、それへの反発が高まっているのだ。大東亜戦争もその観点から論じられるべきなのである。

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集団ヒステリー化した民衆を今覚醒させなければ日本は亡ぶ!

2021年02月13日 | 祖国日本を救う運動

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗氏の会長辞任劇は、マスコミによる集団リンチの恐ろしさをまざまざと見せつけられた。いくらネットで反論しても、今の時点では、マスコミの影響力が圧倒的である。騙されて大騒ぎしてしまう情報弱者が多いのである▼森氏が発言した一部分を取り上げて騒ぎ立てることで、東京オリパラを中止させたいだけなのである。まず朝日新聞が第一報を伝え、それに国内や海外メディアが後追いで伝え、森氏を辞めざるをえなくしたのである。徐々に真相が明らかになってくるとしても、一時的な熱狂が恐ろしいのである▼集団ヒステリー化した民衆の前に立ちふさがる勇気があるかどうかが、私たちに今問われているのだ。三島由紀夫の『反革命宣言』の言葉が思い出されてならない。「千万人といえども我征かんの気概を以て、革命大衆の醜虜に当たらなければならむ。民衆の罵詈讒謗、嘲弄、挑発、をももともせず、かれらの蝕まれた日本精神を覚醒させるべく、一死以てこれにあたらねばならぬ」▼我が国を貶めようとする勢力を阻止すべく、私たちは防波堤とならなければならない。救いは若者やネット民が冷静であることだ。祖国日本を守り抜くためにも、勇気をもって声を上げ、行動を起こさなければならないのである。

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声なき声が結束し「#森喜朗さんありがとう」トレンド入り!

2021年02月12日 | 政局

日本を守り抜くための声なき声を信じたいと思う。東京オリンピック・パラリンピックの森喜朗会長の辞任のニュースが伝わると、自然発生的に「#森喜朗さんありがとう」のツイートがあっという間に2万を超え、現在では5万を突破した▼サヨクのような組織的なものではなく、個々人が自発的にツイートをしたのである。有本香さんの呼びかけて応じた人たちもいたが、マスコミの煽り報道に振り回されない人たちがいるのを再確認した▼当初からマスコミが女性への差別的発言ということを強調したために、その時点で思考停止して、森会長を批判する人が多かった。それに影響されることなく、自らの意思を表明するネット民がいるのは、心強い限りである。何度でもいうが、今回の騒動は政局に利用したい者たちの嫌がらせでしかなく、何としてでも、東京オリンピック・パラリンピックを阻止したいだけなのである▼日本でも来月からは本格的なワクチンの接種が始まる。感染拡大もピークアウトしてから久しい。東京オリンピック・パラリンピックが成功すれば、世界に向かって新型コロナウイルスを克服した大会として、その名をとどめることになるのだ。今こそ日本国民が団結して一丸となるときだ。マスコミや一部野党の妨害工作に踊らされてはならないのである。

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記紀にもとづく建国記念の日を祝うのは日本人として当然だ!

2021年02月11日 | 歴史

今日は建国記念の日である。本来であれば国を挙げて祝うべきであるにもかかわらず、それがまったく行われていないのは、まことに残念でならない。我が国が大東亜戦争に敗れたことで、紀元節は占領軍の圧力によって廃止されていたのが、多くの国民の支持によって昭和41年に復活したのである。その当時は戦中派と言われた人たちがまだ健在で、奪われた我が国の歴史を取り戻そうとしたのである。マスコミを始めとした戦後レジームを擁護する勢力は、祝うどころか建国記念の日を無視してきたのである▼田中卓は「われらの日本国家が、皇室を中心として、およそ2千年前に成立した。その時の統治者をカムヤマイワレヒコのミコト(又はヒコホホデミのミコト)と申し上げたのであり、その御方の、漢風のおくり名が神武天皇に他ならない。すなわち、国家建設という画期的な基礎を開かれた君主を、われらは神武天皇と尊称して仰ぐのであるが、もし神武天皇を否定するならば、日本国家に創業の君主なしとしなければならぬ」(日本国家の成立と神武天皇)と書いている▼日本書記では、その即位式を「辛酉(かのととり)の年、春正月庚辰(かのえたつ)の朔(さく)、天皇、橿原の宮に帝位しめしたまふ」と記している。正月元旦は、明治6年の太陽暦の採用によって2月11日となった経過がある。それを否定ことは、日本人の文化と歴史を否定することにほかならないのである。

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政治家を低能扱いにするマスコミに苦言呈した田中美知太郎!

2021年02月10日 | 思想家

マスコミの劣化はとどまるところを知らない。信用がガタ落ちになっているのに、それに気付かないのだから最悪である。東京オリンピック・パラリンピック委員会の森喜朗会長へのバッシングも常軌を逸していた。マスコミはこぞって批判し、あたかも集団リンチの様相を呈した▼田中美知太郎は『直言、そして考察—今日の政治的関心』において「わが国では政治家を低能あつかいにすることが、ジャーナリズムの上では定石になっている」と書いた。「現代日本の風刺の精神」を論じながら、風刺の前提としては知的優位性というものがなければならない。ジャーナリズムの側にそれがあるかどうか、田中は疑問を呈したのである▼マスコミはそれなりに情報を握って、多くの人の影響を及ぼすことはできるが、知的優位となるとはなはだ心もとないからである。田中は「むしろかれらの愚かしさこそわが国の最も憂うべき事態であると言わなければならないのではないか」との見方を示したのだ▼田中が力説したかったのは「真の知的優越は、情報をつたえる人にあるのではなくて、他によって代えられないような創造的知性の人、オリジナルな人にあると言わなければならない」ということであった。私たちが本物かどうかを見極めることができれば、マスコミに振り回されて、大騒ぎすることもなくなるのである。

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