草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

右であれ左であれ商売の言論人に惑わされるなかれ!

2014年12月23日 | 思想家

右であれ左であれ、ほとんどの言論人はいい加減である。それを肝に銘じて接するべきだろう。真理がどうであるかよりも、自らの虚栄心を満足させてくれるかどうかなのである。エリック・ホッファーは『大衆運動』(高根正昭訳)において「若いカール・マルクスが、称号と政府の重要な職を授与されていたら、おそらく彼はプロシアの世界にひき入れられていただろう」と書いている。さらに、右のエドモンド・バークをも俎上に乗せ「王侯貴族に後援されたバークのような人は、『豚のような民衆』について語り、貧乏人に『忍耐、労働、禁酒、節約そして宗教』を勧めた」と言い切った。ナチス・ドイツやボルシェヴィキ・ロシアにおいても、言論人の多くは口をつぐんだのである。言論人は額に汗をする労働にいそしんでいるわけではない。不安定な生活を強いられており、手を差しのべてくれる勢力があれば、ついついそこに加担することになるのだ。言論人によりかかるのは間違いなのである。大手のマスコミ関係者と話をしてビックリしたことがあった。民主党政権が誕生する直前であったが、政権交代の意義を説くとともに、「駄目だったら戻せばいいんですから」と他人事であった。自分たちは自由自在に世の中を操れると勘違いしているのだ。土民大衆である私たちは、言論人の主張を鵜呑みにするのではなく、疑ってかかる必要がある。とくに今の世にあっては言論活動は商売でしかなく、儲かるか儲からないかなのである。

 

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天皇を中心とする君主国体が日本の真の姿だ!

2014年12月23日 | 思想家

三島由紀夫ではないが、保守が最後の拠り所とするのは天皇である。それ以外はたいした問題ではない。国民とともにおられる天皇は、日本の建国以来、一貫してその中心にあられた。あくまでも公平無私な祭祀者であった。明治になって日本が危機に直面すると、大元帥となって帝国陸海軍を閲兵されたが、それは例外中の例外であった。しかし、それもまた国民の願いであったのであり、それに応えられただけなのである。個人の命は限られている。日本の文化的連続性と同一性を維持し、将来に向かって前進するには核となるべきものがなければならない。今日は天皇誕生日である。国民がこぞって御祝いをする日である。しかし、せいぜいニュースになるのは一般参賀である。敗戦によって大日本帝国憲法は改正され、「天皇主権」が「国民主権」になったといわれる。そのときを境にして日本人は、大切なものを失ってしまったのである。大石義雄が『増補法学概論』で「わが国が万世一系の天皇を統治権の総攬者とする君主国体であることはきわめて明らかである。ひとり憲法の成分形式のみならず、成文憲法を生きた憲法たらしめる社会意識そのものが鞏固にこれを裏付けていたのである。だから、わが国体は名実ともに万世一系の君主国体だったのである」と書いている。それを無理に変えようとしたことが混乱を招いたのである。社会意識を否定し、日本の国体に立脚しない憲法は無効であり、即刻改正されるべきだ。それを再認識するのが天皇誕生日なのである。

 

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