草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

先祖を祭ることの大切さを説いたのが柳田民俗学だ!

2015年12月04日 | 思想家

また今年も12月8日の日米開戦の日がやってくる。柳田国男は『先祖の話』のなかで「この曠古の大時局に当面して目ざましく発露した国民の精神力、殊に生死を超越した殉国の至情」を高く評価し、特攻隊のように私を捨てて国のために散った若者に敬意の念を表した。柳田自身が「年久しく培い育てて来た社会性、わけても常民の常識と名づくべきものが、隠れて大きな働きをしている」と書いていることから、中村哲は戦争そのものの賛否よりも「家族共同態の一人として自我を没する共同体規制の心情に注意を向けている」(「先祖崇拝と新国学」)と解説している▼逃れられない運命を引受けた若者を評価しつつも、その一方で柳田は、日本人にとって重大な試練であることを見抜いていた。若い人たちが次々と戦死してしまい、先祖を祭ることができなくなれば、祭る者のない霊が国土に溢れてしまい、それが災いを招くと考えたのである。柳田にとって死者は、現世にとどまって子孫の生業を見守っている存在なのであり、生きている者の務めとは、死者の思いをどれだけ汲み取るかであった▼昨今の世相では、先祖とのつながりを無視する風潮が高まってきている。やたらと個人が重視され、「家」という観念がなくなってきている。大東亜戦争においては、先祖を祭るべき若者がいなくなることが大問題であった。それが現在では、先祖の一員であり、死後はそこに加わるとの素朴な信仰が廃れつつあるのだ。日本人は一体どこに向かうのだろう。

 

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