サヨクの方が国民を監視したがるし、あらゆる手を使って国民を押さえつけるのが普通である。だからこそ、旧ソ連や中共には言論の自由などは存在しないのである。サヨクだからリベラルだというのは、真っ赤な嘘だ。自民党政権時代は、それでもマスコミが目を光らせていたから、思いのままにはならなかった。しかし、菅直人政権になっては、テレビも新聞も、国家の意のままになってきている。それは小沢支持派が主張するように、米国の属国で官僚と結託しているからではない。合法的な暴力装置である警察や軍隊を、自分たちのコントロール化に置きたがるのがサヨクなのである。ミッシェル・フーコーがスターリン主義に異を唱えたのは、その危険性を熟知していたからだ。サヨクに牛耳られた政権は、法秩序を維持するという名目で、刑務所をいっぱいにしたがるのである。フーコーの警察組織に対しての抵抗活動は、それこそ学生運動が華やであった1970年前後のことであったが、今の方がより深刻になっているのではなかろうか。保守・民族派の運動は、スローガン的に攘夷を叫んではいても、外国人を排斥しているわけではない。デモにしても、整然と行進しているだけだ。それでも目の仇にするのは、批判を恐れるサヨクの特徴なのである。
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