草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

明日を思い煩わない老人の知恵

2024年08月05日 | エッセイ
 若い頃と違って、かかりつけの医院に行くのも億劫ではなくなった。同病相哀れむの同年代の人たちと顔を合わせるからだ。同じように齢を重ねて行くのであり、それである意味救われるのである。
 パスカルは「われわれは自分自身をほとんど知らないので、多くの人は建康であるとき、死にはしないかと考え、死にかけているとき、健康であると思う。熱がでそうになっていても、瘍ができかけていても気がつかない」(『パンセ』由木康訳)と書いている。
 パスカルの言葉は真実であるが、何も知らないで、能天気に生きた方が、人間は幸福かもしれない。病気であると告げられた瞬間に、人間は病人となってしまうからである。気晴らしをして、現実に差し迫っている限界状況に打ち震えているよりも、無知であれば心配せずにすむからだ。
 老いた身を引きずって医師通いをしていると、色々な不安が頭をよぎってならないが、今日やるべきことをするしかない。その積み重ねに明日があるかどうかは、神のみが知ることであり、私たちにはどうにもならないことなのだから。

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