草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

滋賀県にきて大津の予科練にいた若き日の父を思う!

2019年05月09日 | 祖国日本を救う運動

今滋賀県の草津のホテルに滞在している。近くの大津の予科練にいたといわれる父のことを考えると、涙がこみあげてならない。出撃ならず、会津に帰ってきた父は、一年間は何もできず、釣りばかりしていたという▼その父は36歳でこの世を去った。酒の飲み過ぎであった。いくら普通の暮らしをしようとしても、極限を生きた者の悲しみから、抜け出すことができなかったのだ。まだ幼かった私は、父の予科練時代の話を聞くことはできなかった。どこで何をしていたかは、まったく分からない。かすかに記憶に残っているのは、琵琶湖の近くにいたということと、飛行帽と刀をもって、夏の暑いなか、東海道を帰ってきたというだけである。年齢から推測すると、甲飛12期生か甲飛13生であった可能性が強い▼予科練に入学を許されても、飛行機乗りになるのは難しかった、とも語っていた。その難関を突破して、赤トンボでの訓練が終わり、いよいよ特攻に飛び立つ寸前でに敗戦になったのである。新米であっても、海面すれすれに飛べばよいと指導されたのだった▼予科練の若者の死をせせら笑う人たちがいる。彼らが飛び立っていく姿を何度も目の当たりにした父は、自分も後に続こうとした。祖国を守りぬこうとした使命感を、誰が笑うことができるだろう。

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