文民統制という言葉が急にクローズアップされてきたが、あまりにも制服組を背広組が監督するという意味合いが強いのではないだろうか。できるだけ対等にしなくては自衛隊員の現場の士気にもかかわる。軍事の専門家と行政官に、一定の線引きをして役割を明確化する。それは絶対に必要であり、「背広組」は防衛大臣を補佐することで、文民統制のタガは緩むことはないと思う。政府が昨日、防衛省設置法改正案を閣議決定したことは、法律を整備するという意味では理にかなっている。部隊の運用業務を統合幕僚監部に一元化するのは、それこそ世界の常識ではないだろうか。一々背広組の了解を取る必要があれば、緊急事態には対応できない。総理大臣が最高指揮官であり、そこへの助言を防衛大臣を通じて背広組も行うことができるし、制服組は国家安全保障会議などの内閣の指示に従うわけで、文民統制のタガが緩むわけではまったくない。さらに今後は、第一線に展開する自衛隊が敵から攻撃された場合に、どこまで反撃できるかの基準も明確にしなくてはならない。マニュアルをつくっておかなければ、犠牲者が続出する。あくまでも正当防衛の範囲とするのか、領空や領海を侵犯し攻撃しようとする戦闘機や艦船、さらにはミサイルに対して毅然と対応をするのか、そこらも法的に整備すべきである。そうでなくても想定外のことが起きるのが危機である。大規模な戦争にはならないとしても、偶発的な戦闘を阻止するために、日本の防衛の在り方を決め、それによって抑止力を働かせなくてはならない。戦後の日本のお花畑は、軍事については思考停止し、自衛隊の存在そのものもあやふやにしてきた。そんなことでは日本の国民の生命を守ることはできないのである。
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