原発をめぐっては、何ら改善されていないような気がする。日本という国家は、今なお危機を脱していないのである。放射能物質に汚染された福島県で、目下危惧されているのは、内部被曝の問題である。とくに、子供たちのことが心配でならない。外部被曝の放射線量を計測することは簡単にできるが、内部被曝については、放置されているからだ。そこで気になるのは、学校給食である。前々から地産地消ということがあって、県内の野菜や牛乳を使っていたはずだが、一体、現状はどうなっているのだろう。暫定基準値をオーバーしているものを、間違っても食べさせるべきではないし、できるだけ、絶対安全だと太鼓判をおされた食材のみを使うべきだろう。風評被害を心配するあまり、将来に禍根を残すようなことがあってはならない。農産物を市場に出すために、3回の検査で基準値を下回ればということで、わざわざ洗ったり、それをクリアすることを自己目的化するのは、本末転倒である。会津地方でも、年間に浴びる放射線量が2ミリシーベルトを超える可能性が出てきた。どれだけ内部被曝を減らせるかが課題になっているのだ。武谷三男は「放射能被害は他の害に比べて、全く新しい型のものであり、直接感覚的なものではないので検出も専門家を要し、その影響があらわれたときは取り返しがつかないのです」(『科学入門』)と書いているが、その言葉を今こそ噛みしめるべきだろう。
自分たちの非を認めず、少しでも攻撃されると必死になって反撃する。それはまさしく、鉄パイプで暴力的に学内を支配した極左の特徴である。菅直人首相、枝野幸男官房長官、海江田万里経済産業相、仙石由人副官房長官らは、いずれも活動家であったわけで、他人の批判を許容する度量は持ち合わせていない。そして、権力を手にすると、それこそ横暴な振る舞いに及ぶのだ。70年安保騒動の後、内ゲバが血みどろのものになったのも、それこそカール・シュミット流の「敵は殺せ」の論理が働いていたからだ。とくに、酷かったのは、今も枝野が懇意にしている革マル派である。機関紙の「解放」において、中核派をウジ虫、黒ヘルをゴキブリなどと、徹底して罵倒したのである。何が何でも権力を手放したくないという民主党政権を担っているのは、そうしたことをやってきた連中の残党なのである。学園紛争が収束し、行き場を失った彼らは、弁護士になったり、市民運動家になったりして、それから政治家になったのだ。しかも、極左のなかでも、連合などへのもぐりこみ戦術をとった、革マル派やフロントの残党が中心であり、かなり巧妙である。政権交代という言葉に騙されて、国民はとんでもない連中を権力の中枢に据えてしまったのである。