ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

なぜ中国製ガイガーカウンターの種類が多いか

2011年09月30日 | 原発震災・原発問題

どうしてガイガー市場は日本製が少なく中国製が席巻しているのが不思議だった。放射線測定器を持参して中国旅行から帰国した人の話を聞くと、意外に中国国内の放射線量が高いのに驚いたという。中国には原子力発電所が27基ある。保有数では世界第7位。

放射線測定器の大衆市場では、中国製がその種類では圧倒しているがアメリカ製、ロシア製、ウクライナ製も目立つ。原発保有ではアメリカ104基(世界1位)、ロシア27基(4位)、ウクライナ17基(10位)・・。どうやら原発の数と無関係ではないように思えてきた。日本は例外、非常識。54基(3位)の原発立国であるのに同市場での種類は少なく福島原発事故前は、国民への普及は皆無に等しいほどであった。

中国製が多品種で数も多いのは、輸出ばかりでなく中国国内需要も高かったからではないだろうか。いずこも国策原発に関してはお上の発表はまゆつばもので信用ならない。そこで人々は健康面の自衛からも放射線測定器を活用し事実を自分の目で確かめていたのでは・・・。

石原伸晃発言は市民蔑視

石原伸晃議員(自民党幹事長)は「4~5万円の線量計は数値がまちまち。市民に線量計を測らせないようにしなければならない」と発言した。私はそれには同意できない。たとえ安価で精密度に欠ける線量計でも持っていたほうが自衛になる。このことは原発事故直後、福島県浪江町の避難例が物語る。

浪江町赤宇木の集会所には多くの人が集まって来た。「ここは自分が居た所よりも原発から27キロ離れているので避難する場所としては安心だと思った」。ところが、専門家の木村真三さんが測定したなら屋内で20ミリSv/時、屋外は80ミリSv/時と目が飛び出るような値を示した。つまり「逆避難」をしてしまったということに。(NHK・ETV特集)

もし避難した人の内で、誰か一人でも石原議員が嘲笑するような安物測定器でも所持して測っていたら、木村真三さんのかけつける前に別の行動なり、自主再避難をしていたかもしれないのだ。

私たちは熱が出た時に体温計を用いる。普通の人はこの体温計に正確性を求めるだろうか。仮に37度2であっても37度6であっても気にはならない。熱が有るか無いかの目安として体温計を使っているからだ。そのため病院は病院でまた測り直している。医療機関にとって精密さは必要でも、民間個人レベルでは、体温計にシビアな数値を期待する人はいないはず。それと同じことが放射線測定器にも当てはまると思う。

安くて劣る中国製ガイガーでも、無いよりは断然マシ!

中国は核保有国でもある。原発や使用済み核の管理等は果たして万全なのだろうか。放射線測定器が発達した裏側には、口に出せない民衆の不安が鬱積しているようにも思えてならない。

一方、日本は日本で国内に54基の原発がありながら、その立地周辺地域に住む人たちへの放射線測定器普及は決定的に遅れていた。情けない。「原発安全神話」がここでも害をもたらせていた。

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放射汚染の帯、鶴舞う群馬も

2011年09月29日 | 原発震災・原発問題

セシウム飛散、250キロ以遠にも 群馬の汚染地図公表(asahi.com)

文科省のセシウム汚染マップが公表された。
自然の恵みの豊かな、わがふる里、上州の山河がジワリジワリと蝕まれていくことはなんとも哀しい。

180キロ離れた群馬県みどり市や桐生市の山間部の一部で、1平方メートル当たり10万~30万ベクレルのセシウム137(半減期30年)が測定された。

現在の法律では1平方メートル当たり4万ベクレルは管理地域に相当し、その範囲にあるにある物は、むやみに持ち出しを禁止されている。

「チェルノブイリでは3万7千ベクレルの地域は汚染地域に指定された。しかし今でもその地域に565万人が住み続けています。日本の国の場合もそれに近いことになりますね」(小出裕章氏:たね蒔ジャーナル9/28)
このことは、みどり市、桐生市の山間部はチェルノブイリ汚染指定値の3倍以上になってしまっているということになります。なんということだろうか。

群馬大学の早川由紀夫教授の「4訂版放射能汚染地図」が出されました。その一部=写真。これを見ますと、群馬の場合は平野部を除いて、山間部が相当深刻に汚染されていることが伺えます。これまで太田市にまで及んでいた帯状は、新版では消えています。

しかしこの国は、総理大臣が国連で反省の弁もなく強気な発言をしていた。東京電力は「冷温停止」の進行をまるで戦果が出たように伝え、一方マスコミはそれを無批判に報じている。戦況好転に期待を持たせ真相を語ることのない姿勢は、まさに先の大戦の「大本営発表」と酷似している。

私たちは、現実に1F(福島第一原発)は今なお一向に収束していないということを忘れてはなりません。毎日200億ベクレル以上の放射能が放出されているわけです。汚染の帯は、これで終わりではないのです。さらにどう変化するか、気が抜けません。降り注いだ放射能は、移動することはあってもすぐには減らない。半減期は長い。

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改革派官僚を放出した狭量

2011年09月28日 | 経済

経済産業省を今週月曜日、26日に古賀茂明氏が退職した。

古賀氏と同じように「霞が関」改革を旗印に政権交代を果たした民主党政権が、こともあろうに同氏のような改革派官僚を内包しきれず弾き出したとは、なんと度量のないことだろう。

年収2千万円の官僚が住む都心の高級官舎3LDK、家賃4万円が茶の間の話題になったが、さらに朝霞に宿舎着工。財政難はどこ吹く風。まだまだそれ以外にも手を付けなければならない無駄、無用が多数ある。官僚改革は、真の政治浄化には欠かせないもの。

古賀氏の主張は、消費税増税によらない財政再建、公務員改革、TPP参加・・政治的には新自由主義=みんなの党に近いものと思われる。TPP問題では当方と必ずしも見解が一致しないのは残念ですが、氏の真摯な改革への情熱と姿勢は理解できる。

電力政策については、発電会社と送電会社を分離し競争原理を導入する「発送電分離論」。 
巨大電力企業が政官財を支配している現状を痛烈に批判している。こういう真っ当な意見を述べる改革派官僚を退職に追いやるようでは経産省も現政権も、ますます国民の不信感を増大させ、大切な支持を失っていることの危機感をもっと知るべきだと思う。

2011.6.13 (退職前)古賀茂明氏が語る日本中枢の崩壊

 

もう一つ参考動画古賀氏、「電力会社が政官財支配」と批判2011.6.22

 

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独シーメンス社、原発から完全撤退

2011年09月26日 | 経済

ドイツの総合製造大手、シーメンスが原子力発電事業から撤退する。同国では、メルケル政権が東京電力福島第一原発事故を受けて2022年までに再生可能エネルギー占有率35%を目標に原発全廃する決定をしている。同社は最有力企業としてその方針に応えたもの。世界の主要メーカーとしては初めての脱原発表明となった。

ドイツでは、これまで総発電量の23%を原子力発電が占めていた。日本とよく似た割合。現存する17基の原発建設には、すべてシーメンスが関わってきた。日本でいえばさしずめ東芝、日立、三菱のような企業だ。

「ガンジーが7つの社会的罪の一つに『道徳なき商業』を挙げている。(隠ぺい体質の)東京電力などはこれに当てはまる」(小出裕章氏の国会でのレクチャー)。今回のシーメンスの取った決断は、ビジネス道徳心に回帰する現われとして評価したい。

わが家にはざっと見渡してもシーメンスの製品は見当たらないが、シーメンスと日本の結びつきは強い。

1847年設立のシーメンスは、1861年ドイツ外交使節が江戸幕府へシーメンス製電信機を献上したという。世界で初めて電車を製造、営業運転した会社。1887年に東京事務所設置。戦前では、日本陸、海軍に無線電信、搬送装置などを供給。ミュンヘン市に本社を置く多国籍企業で従業員数は世界40万人超、うちエネルギー部門8万8千人。

ドイツ政府、そしてシーメンスの英断に、日本政府および日本企業も早く気付いてほしい。

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独企業 原発事業から完全撤退

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ミュラー・リヤー図形に想う

2011年09月25日 | 教育・文化
昨日の関東短期大学の公開講座は、『心のしくみについて知る』。講師は同短大のこども学科、濱田祥子講師。心理系の講義で、発見の多い良い内容でした。
こころに写る世界では、外界を目や耳だけで知るのではない。私たちの判断はいつも正確だろうか?その例の一つとしてミュラー・リヤー図形が紹介されました=写真図。
上と下の中心線はともに同じ長さなのに、、左右の2本の補助線の異なる形の誘導で、上の中心線の方が短くみえます。これは「錯覚」、「錯視」なのです。
雑念の多い私は、「変わる子育て」講義の時には亡き母を思い出したが、今回は新総理の国連での情けない「原発の推進・輸出」演説のことが思い浮んだ。
2年前に政権交代した2つの政党は、きっとミュラー・リヤー図の2本の線のような感じだったのかもしれない・・・
参考動画9.19の6万デモを新首相の国連演説にも触れて報道する豪州ABC
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不可解なこと多い原発状況

2011年09月20日 | 原発震災・原発問題

新聞1面トップは「原発冷温停止 年内に IAEA総会で細野氏 前倒し」の文字。

当初来年1月中旬予定が前倒しとは、これは結構なニュースだと誰もが思う。新聞だけを目にした私達国民はまた引っかかってしまう。

「原子炉自身がメルトダウンし、圧力容器の底が抜けていることは政府も東電も認めていること。すでに核燃料がないところで、『冷温停止』をするということは、テクニカルターム(専門用語)としては、すでに意味がない」と小出裕章先生。こんな調子で日本の原発大臣がIAEAで演説したという。IAEAはどう思ったろう。素人集団ならともかく、お恥ずかしい限りだ。何もわかっていない日本の大臣と心底では嘲笑を買ったかもしれない。

2号機、3号機の実態は今なお、まったく情報不足でわからない、人が中に入ることができず手付かずの状態がつづいている。一向に収束していない原発事故を抱えたまま、国連では、わが国の新しい総理が「技術水準を高め原発を維持する」発言をする予定。あらあら、原発大臣につづき首相までが世界の舞台で・・。

日本原子力学会は、「原発を過信」「安全の取り組みを避けた」とようやく反省するまでには至ったものの、事故原因は津波にあったとし、それを回避できれば・・と依然、懲りない議論をしている。小出氏は「事故の原因は津波、地震にもあるがプラント内部にもある、すべて津波のせいにしてはいけない」と。

昨日、東京での脱原発6万人集会はさまざまな人たちが心をひとつに結集できた。それぞれの人が、それぞれの持ち場、分野で脱原発の意思表示をしてエネルギー政策を転換していくことが重要と私も小出氏と同じように感じた。

「それぞれの人ができることを」 京都大学原子炉実験所 小出裕章助教

動画中高生も原発の問題は大きい、と制服向上委員会(行進が始まり手ぶれで失礼)

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さようなら原発 ドイツにつづけ!

2011年09月19日 | 原発震災・原発問題

山本太郎さんら脱原発訴え 都心で6万人参加デモ(朝日新聞) - goo ニュース

きょうは、東京新宿・千駄ヶ谷明治公園の集会に参加してきました。

台風接近の予報にもかかわらず開催中は雨は降らず、太陽も脱原発を支持してくれたかのよう。パフォーマンスをこらした個人参加者も目立ち、党派を超え広範な人々が結集しました。

横にいた年配のご夫妻が「これは60年安保以来の盛り上がりだ」とやや上気した表情で話されていました。

連帯のスピーチは福島の人たちとドイツのFoE(環境団体ネットワーク)のフーベルトヴァイガー氏(ミュンヘン大学)など多数。

【写真】集会の渦の中には制服向上委員会のメンバーの姿も。 

 

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原発事故はなぜくりかえすのか

2011年09月15日 | 研究・書籍

自己検証をしないのが原子力産業の特徴

どの事故も徹底調査、究明をしない。安全神話が先行しているだけに各発電所相互に「過失」はタブー。それゆえ失敗事例を共有化することがなかった。事故(失態)により国からの補助金カットを恐れる。そこでなりふり構わない隠ぺいから挙句の果ては改ざんまで行う・・。

高木仁三郎の著書『原発事故はなぜくりかえすのか』は題名の問いに、きちんと答えが読み取れる内容でした。良い本です。

タイトルと内容に不一致な本、たとえば以前読んだ『パナソニックがSANYOを買収する本当の理由』などは、核心の「理由」が見当たらずがっかりさせられましたが、本書はちがいます。まったく期待に反しないものでした。

放射能を知らない原子力屋さん。JCOの時は、測定器もつけずバケツでウランを運ぶ。ウランが強い放射線を出している意識がない。放射線に対しては「物理屋さん」と「化学屋さん」では、対応が異なるらしい。

高木仁三郎の聡明さは、原発推進学者からも一目も二目も置かれた存在でしたが、逆に高木仁三郎が推進派で評価したのが飛岡利明(原子力研) 。安全を技術的な視点からとらえ重要視した人だからのようです。 

1990年代の事故の小年表が挿入されていましたが、JCO事故をはじめ、各地で原発のトラブルが多発していたことが伺われる。その都度、事故隠し、過小評価してうやむやにしてきたのが、政府であり電力会社でした。

原発事故はなぜくりかえすのか
高木仁三郎著
岩波書店

 

参考動画高木仁三郎:今、注目..."反原発のカリスマ"と呼ばれた学者

 

 

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グレイノマドのクルマ旅

2011年09月13日 | 研究・書籍

当広場に紹介コメントをいただいた旧知のジャーナリスト、長谷川英一氏の新刊『クルマ旅大全』。今年3月15日初版。hontoからも電子ブックが用意されていますが、じっくり目を通すには、画面より紙が落ち着きますので普通書籍で読みました。

「リタイアしたら完全な自由が得られる・・」これは「高校に入れば、大学にさえ合格すれば・・」と何度も抱いてきた幻想と同じものだ・・と著者。リタイア後を「幻想」で終わらせることなくアクティブに生きるライフスタイルを著者は「グレイノマド」に見出されたようだ。

グレイマドとはGray haired Nomads、「銀髪の放浪者」の意味。リタイア後の長い長いバカンスをクルマの旅で過ごす・・。

自らもグレイノマドの著者は北の国を旅する15人にインタビュー。それぞれの定年観、リタイアする年齢についての考えもさまざまでおもしろい。私自身は、自分のライフサイクルを推定し60歳を区切りとしてきましたが、55歳に置く人、それより早く40代でリタイアした人、60過ぎでの引退者、人さまざま。ただ共通していることは、どの“旅人”もリタイア後、幻想に埋没することなく人生のステージを換え自由にエンジョイしていることです。

当の私はグレイノマドの醍醐味をまだ理解しきっていません。しかし、もしこれから先、旅心が芽生えたら、その時はクルマ選び、旅先選び、必携ツール、メンテなどの指南書として大いに役立つものと思われます。

今回は本書を読んだことで、グレイノマドのマド(窓)を少しだけ開いた感じです。

 

クルマ旅大全―グレイノマドが日本を救う (カーネルBooks)
長谷川英一著
地球丸
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放射線測定公表の大泉町紙に好感

2011年09月11日 | 地域・一般

群馬県大泉町は広報紙で、町内の公園、幼保育園、小中学校など公共施設の放射線量を測定し公表しました。測定場所、地表、地表50㎝、1mの3位置点。使用した測定器も明示、日本製(堀場製作所)の定評のある線量計。

38場所のうち、3位置点のうちいずれかでも年間1ミリシーベルトを超えたところは15場所。年間1ミリシーベルトは、人工放射線からの公衆被曝の線量限度、日常生活を除いて人が浴びる上限のこと(ICRP基準)。

今回の公表結果は、私が2つの測定器で自己流ランダムに測った数値とそう大差はなく十分に信頼できます。

広報紙の見出し、「結果は基準値以下でした」にいつわりは有りません。「基準を大きく下回った」の記述も正しい。しかしそもそも現在、国の定めている線量低減策を実施する基準値「毎時1.0マイクロSV」自体がかなり甘い。年間に換算すれば8.76ミリSVにもなる。チェルノブイリ事故では年間5.0ミリSVで避難勧告区域指定であったことを思うと・・。

それでも今、住民が不安に抱いている放射能汚染の影響について、38施設等(各3地点)にも渡って丁寧に測定したことは高く評価できます。近隣でもここまで細部にわたって測定結果を示した自治体は少ないと思う。

「広報紙」の役割である「PR(パブリックリレーションズ)の力(ちから)」は住民との結びつき、相互理解、信頼建設にあります。このことはすべてのメディアにも通じること。大新聞が、大衆受けを狙って“ただちに健康に被害はない”論調の気休め・安心記事ばかりで埋め尽くしているのはPRの精神に沿ったものではありません。企業広報では、厳しいリストラの記事を事前に、正確に社員に知らせることにより労使の一層の信頼関係が保たれます。このことは国家と国民の間でも言えることです。

真実の情報は、それが一瞬過酷な内容であっても素早く報知することで、情報を得た国民が適切な次善のアクション(行動)をとることにつながり、結果的に必ず有益なものとなります。その反対に重要情報の公開を渋ったことで被害が拡大してしまったことは、今回の大震災原発災害でも残念ながら露呈されてしまった。

「尖閣ビデオ」を公開した勇気ある元海上保安官の一色正春氏の言葉を思い出します。先の大戦で「もし大本営(国)が国民に迅速に正確な戦況を報じていたら果たして広島、長崎の悲劇はあっただろうか・・」と情報独裁による国家的なマイナス面を指摘されていた。

話が飛びましたが、町民の一人として数値をきめ細かく公表した大泉町紙「おおいずみ」の広報姿勢には拍手を送ります。

参考測ってガイガー(大泉町周辺)

【写真】「おおいずみ」2011.9.10号表紙

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ラガースピリッツ「前へ!」

2011年09月09日 | 私のスナップ

男子トイレの定番標語。

「前へ!」

明大ラグビー部の北島訓「前へ!」とカケていて面白い。

グランドでもトイレでも、そして人生でも前へ!

(明治大学生田校舎で)

 

 

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市民科学者、高木仁三郎に学ぶ

2011年09月07日 | 研究・書籍

高木仁三郎については当広場では、2011年5月10日に一度紹介させていただいた。

晩年、1999年の作、『市民科学者として生きる』は、先見的な原子力への警鐘の他に自身の人生の総決算的な死生観もあり興味深い。「来世の生まれ変わりは信じないから、自分から打って出て、私の命を次の世代へとつないでいくことができるのではないか。“生前葬”という考えがあり実行している人はいるが、もっと積極的に考えているつもりだ。」

「高木学校」や「原子力資料情報室」を設置し、後進の育成に力をそそぎ、現世において研究のみならず実践的な生き方を果たしたのは見事です。

「原風景」は7歳の時の前橋空襲だったと言う。疎開先から見た前橋の空はまるで「花火のよう」だった。私も旧富士見村に住んでいたという義母から空襲は「花火のよう」の話を聞いていた。国民学校(前橋中川小)1年生の高木少年は、空襲の他に終戦のこの年、夏休みの前と後では教育内容がガラッと変わった教師の言葉に接した。同じ教師の口から「日本は神国、英米は鬼畜と教えられていたのが、夏休み明けには「あの戦争は軍人が仕組んだ野蛮な戦争だった。これからは民主主義、米軍は解放軍」・・

大人たちが嘘っぽく、卑屈に見えた。軍人たちの潔い切腹もなかった。国家やお上は信用できないという認識は天童だった仁三郎君にはするどく感じ取れたようだ。

宮内庁からも問い合わせ

現在も活躍している高木仁三郎が主宰の原子力資料情報室。チェルノブイリ原発事故(1986年)時の日本の科学技術庁や厚生省は、今とまったく同じで「安全」をただ繰り返すばかりでデーターは公表しない。同情報室だけが公共的な役割を果たしていたという。そんなある日、宮内庁から食品汚染の問い合わせがあったという。

なぜ緑の党的な市民政党が伸びないのか

日本で緑の党的な市民政党が育たない理由を、高木仁三郎は日本の市民運動家が一匹狼主義、小異にこだわってしまい大きくまとまりながらもそれぞれの個性を維持することができない、自らのアイデンティを大切にすると結局まとまることを止めてしまう・・

とても紹介しきれないほど本書の高木仁三郎の言葉は重い。前橋出身者には、戦後当時の郷土前橋の情景描写にあふれ、懐かしさもひとしお感じることができます。ぜひご一読を。(敬称略)

おすすめ動画反原発 市民科学者高木仁三郎

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市民科学者として生きる (岩波新書)
高木仁三郎著
岩波書店
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再婚話を子に相談した母

2011年09月04日 | 教育・文化

今年も関東短期大学の公開講座を受講しています。早いもので4年目。昨日の講義は『変る子育て、孫育て』、良い内容でした。講師は同短大のこども学科、木村たか子准教授。

「これからの就学前教育を考える」のところで「子どもの権利条約」の説明がありました。1989年国際連合採択、1994年に日本も批准。同条約の背景には、2回の世界大戦で子どもたちが大きな犠牲を受けた。このようなことが、もう起きないようにとポーランドが草案を提出。その精神的基盤はヤヌス・コルチャック先生の子どもを愛する実践から・・

同条約3条では「子どもの最善の利益を守ろう」・・講義を聞きながら私は、ふと亡母との会話を思い出していた。私が小学校低学年の頃、母に再婚話が2回あった。いずれも私の気持ちを問うた母。私は即座に「お父さんなんか要らない!そんなの不良だイ!」と強く拒んだ。。

性についても目覚めた18歳を過ぎたころ頃、私は母に謝った。「せっかくの再婚の話をボクがいつも反対してごめんね」。母は「なんせ“不良だ!”って言われたからね(笑)。でもお母さんもそれほど気乗りはしていなかったんだよ」

「不良だ!」の言葉は母も私も長く覚えていました。その後、母は再婚せず「妻」より「親」に徹した生き方を選択し、私を育ててくれた。もし母が再婚していたら私は、おそらく「新しいお父さん」には、なつかなかったかもしれない。ただ何よりもうれしかったは母が子どもの私に、一人前扱いして相談してくれたことなのです。いきなり再婚して「お父さんだ」と言われたらどうだったろうか。

実は母に引き取られる前、4~5歳の私は、父親と一時同居していた時期があります。ある日、父は若い女性を連れて来て新しいお母さんだと告げ「今日からお母さんと言いなさい」と命じた。しかし私は決してお母さんとは呼ばなかった。それには父が大いに立腹したのを覚えています。

精神面での「子どもの権利」を尊重してくれた母、対照的にそうではなかった父・・

そんなことを思いめぐらしながら教室を後にしました。

【写真】1950年代、前橋市内の写真館で。

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「いい国つくろう、何度でも」

2011年09月02日 | 経済

今日の新聞広告、見開き全二面。主要全国6紙に。

勢いのある宝島社ならではの高額、奇抜な広告。

朝、新聞を開いておどろいた。

マッカーサー元帥が厚木基地に到着した1945年8月30日の歴史的な写真。

「いい国つくろう、何度でも」のコピーと宝島社の社名だけ。

3・11の国家的な大災害を受けた今年。新内閣誕生のタイミング。

わが家では、最年少の末っ子が「マッカーサー」の名をかろうじて思い出した。

戦争遂行と同じように国策で乱造・推進していた原子力発電。

起こらなかった“神風神話”・・つづいて破綻した原発の“安全神話”。

「第二の敗戦」を経験した今年、この広告の意味するところはよく分かる。

おすすめ曲 Free From Nuclear Power Plant / Seihuku Kojyo Iinkai 歌詞がGood!!

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再生エネ法、現実化まで注視を

2011年09月01日 | 経済

当広場6/18「アヒル歩き菅政権の“再生可能”Z策」から2カ月強、考えによっては菅直人首相、よく持ちこたえたと思います。

太陽光、風力などの再生可能エネルギーで作った電気を固定した価格で電力会社が買い取ることを義務付けた「再生可能エネルギー買い取り法」案が可決されました。(正式名:「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」=菅直人さんの“置き土産”

買い取り費用は1キロW/時あたり0.5円とされ、その費用は電気料金に転嫁される仕組みになっているのは残念。いっそのこと原発の乱発につながった電源3法廃止まで踏み込み電源開発促進税などの経費(1キロ/時0.73円)を買い取り費用に充てれば、料金値上げは抑制できるのですが、まだそこまでの成文化はされませんでした。

当広場の読者、I氏から、法案実施化までは油断しないようにとの指摘をいただきました。以下斜線部。

再生可能な自然エネルギー推進の第一歩はなんとか前進することができました。
残された課題もあり、今後の運用が重要となります。しかし今後、この「再生エネ買取法」によって作られる固定価格買取制度が、真の効果を発揮するためには、
検討・解決していかなければならない、「運用上の課題」もいくつか認められます。
WWFの記者発表資料 
http://www.wwf.or.jp/activities/2011/08/1009226.html によると、
 
①賦課金上限の設定によって効果を限定しないこと
②買取義務や優先接続義務に関する例外規定の乱用を防ぐこと
③電力系統強化・スマートグリッド確立を同時並行で進める必要があること
④適切な買取価格(調達価格)を決めること
⑤再生可能エネルギーを推進するための周辺の制度・規制の整備を進めること
⑥産業向けの負担軽減措置の悪用を防ぐこと
 
特に、②や④は電力会社の都合によって決められる可能性が大きく、まだまだ予断は許しません。法律の条文で解決しきれなかったこうした問題を、実際の運用の中で解決してゆかなければせっかくの制度もその意味と、本来的な意義を失ってしまうことになります。

再生可能エネルギー買い取り制度は、1978年(スリーマイル島原発事故前)に米国で初導入、1990年にはドイツが、そして現在では欧州中心に60カ国で実施されている。日本はこの面でも遅れをとっていました。

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当広場8/16号にコメントをいただいたサラエボさんが、若い人の原発意識の低さを心配されていましたので、「制服向上委員会」の曲を紹介いたします、大丈夫!!原子力問題でもカウンターカルチャー(対抗の文化)は確実に芽を吹き出しています。
『ダッ!ダッ!脱・原発』 制服向上委員会

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