ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

やめるべき!ふるさと納税

2023年08月26日 | 経済
ふるさと納税寄付額
一位 宮崎県都城市 195億9300万円 (人気返礼)宮崎牛、焼酎
二位 北海道紋別市 194億3300万円  毛ガニ、ホタテ
三位 北海道根室市 176億1300万円  ウニ、イクラ

ふるさと納税で流出した住民税が多い自治体
一位 横浜市   272億4200万円
二位 名古屋市  159億2600万円
三位 大阪市   148億5300万円

2022年度のふるさと納税は過去最高9654億円だといいます。
ことばの響きからして「ふるさと納税」とは、自分の生まれ育った故郷への郷愁と過疎地応援の意味での寄付金だと思っていました。少なくとも寄付先の自治体とは、なんらかのご縁があるものかと。

実態は縁もゆかりも関係なし、返礼品目当ての「お得な獲得合戦」になってしまっています。

ちなみに群馬県では最も高額だったのが邑楽郡千代田町、30億7853万円、前年度比は67%増。返礼品はビール。同町には大手ビール工場がある。

ふるさと納税は寄付金の奪い合い、めぼしい返礼品のない自治体は不利。「競争の過熱を心配していたら制度の生みの親とされる菅義偉前総理は講演で(寄付額)2兆円を目標に、と語った」
(毎日新聞8/26余禄)という。まだまだやる気なのだろうか。困った御人だ。

ふるさと納税は、地方を助ける目的の制度、寄付の50%はその地域のために使う。「しかし多くの寄付を集めようと、豪華返礼品を用意したりPRしたりする経費に、寄付の50%以上を使ってしまう自治体も出てきている」
(読売KODOMO新聞)

ふるさと納税は制度目的がずれている、やめるべきです。



【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔


税の流出で“マイナス収支”の自治体も 『ふるさと納税』を考える(解説マン)
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南無そのまんま 十色の生き方

2023年08月11日 | 研究・書籍
14歳から28歳まで引きこもりだった青年に「きみね、苦しくなったら、南無そのまんま、そのまんま。南無そのまんま、そのまんま、南無そのまんま、そのまんまと三度お唱えをしなさい」とひろさちやさん。

“南無”という言葉は、インドのサンスクリット語で「おまかせします」の意味。欠点は個性、仲良く付き合おう・・。

ひろさちや『「がんばらない」人生相談』(河出書房新社 2014年)を読みました。
ひろさちや(本名:増原 良彦)1936年(昭和11年)7月27日 - 2022年(令和4年)4月7日)は、日本の宗教評論家。

ゼミ恩師が薦めた「ひろさちや」

私に、ひろさちやの書を読むように薦められたのは、学生時代のゼミの先生からでした。
ひろさちやと聞いても氏について当時、何の情報も持ち合わせていなかったので何冊か著書を読んではみました。が、難解でチンプンカンプン。退屈な宗教書の印象しかありませんでした。
あれから何年経つだろう。ひろさちやも、薦めてくださった恩師も亡くなりました。

今回、図書館の少年少女コーナーで、河出書房の「14歳の世渡り術」シリーズで本書を手に取りました。

「おとなの言うことは信用できない」の節では、「1945年8月15日、日本は戦争に負けました。そうすると学校の先生は、われわれに向かって、天皇のために死ね、から平和国家の建設に役立つ人間になりなさい、に変わった。でも少年は純情でした。教わったままを信じていました。「人間は何のために生きているのだろうか?」と考えるようになったのは、著者が高校2年生、17歳の時だったという。どことなく戦後の劇変のありさまの語りは、恩師の声と重なってきました。

著者は、「人生の目的も意味もありません。天皇のため、国家のため、世の中に役立つため、働くため、といったような答えはすべてまちがい。本当の答えを知ったのは大学生になってニーチェやヤスパース、サルトルの本を読んでから、さらに仏教の思想も本当の答えを導いてくれた」と。

「目的にあわせて造られたもの」と「何の目的もなく、ただ造られたもの」がある。だれからも命令されない自分の生き方、きみ自身の目的を設定してください、がひろ哲。
みんなちがって、みんないい(金子みすゞ)
草いろいろおのおの花の手柄かな(松尾芭蕉)

そういえば、はぐれ学生の私たちにも、どこまでも優しかった亡き恩師。授業中でも「『十人十色』So many men, so many minds 」を、しばしば発せられていた。

分かりやすい中学生向きの本書を通して、ひろさちやさんの魅力をなんとか理解することができたように思います。ゼミの恩師に「ひろさちや哲学」の感想報告がやっとできそう。南無そのまんま(合掌)



【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔



 
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無着成恭さん、ご逝去

2023年08月10日 | 研究・書籍
無着成恭(むちゃく・せいきょう)さん(教育者、僧侶)先月7月、25日にお亡くなりになりました。敗血症性ショック、96歳。

ここポポロ通信舎でも氏のことは何度か話題にさせていただいています。

1948年(昭和23年)に教師として赴任した山形県内の中学校で、生徒に生活の「なぜ」を考えさせる「生活つづり方運動」に取り組み、クラス文集をまとめた「山びこ学校」を51年出版。大きな反響を呼び、映画化もされた。〔共同〕

無着成恭と言ってもご存じない方が多くなっていますね。TBSラジオ『全国子ども電話相談室』の回答者を1964-1989年の25年間、回答者をされていた良い子たちの「せんせい」です。わたしも布団のなかで無着成恭せんせいのラジオに耳を傾けていた記憶があります。

さらに時を経て、三島由紀夫と同じように氏が群馬県大泉町の中島飛行機小泉製作所(現在のパナソニック・三洋電機)に戦時中、学徒動員で働いていたことを会社訪問の来客様から知りました。

著書『無着成恭 ぼくの青春時代』(日本図書センター)も読んでみました。

その一節です。
西小泉駅で下車。下車したとたんに空をあおいでフーッと呼吸をした。空には練習機がとんでいる。めずらしくてたまらない。駅前の小泉荘というところで朝飯を食べる。もちろん、家から持ってきたおにぎりだ。・・・会社のバスが迎えに来た。それで中島高林寮に向かった。途中、右手に飛行機がずらりと並んでいるのが、ちらっと見えた。すごいなあと思った」すでに敗色漂う昭和19年8月7日、山形中学(現山形東高)5年生、無着成恭17歳でした。

終戦の年の4月、無着成恭ら卒業学年生は高林寮を去って山形に引き上げる。帰路、福島県白河に着いたら東京は大空襲を受けている、と駅員が言った。誰かが「今、高林寮が直撃弾を受けて全滅だそうだ」と、どなった。ほかの学校の生徒はどうしただろう。酒田中学など全滅したんでないかな。沼田中学はどうだろう今の話デマであればよいなと思った、と生々しい記憶の記述が残されています。

学徒動員のイメージからか、何
んとなく今のような暑さの厳しい時期、「夏」を連想します。
無着せんせいのご冥福をお祈りいたします。


(参考:過去ポポロブログ ↓↓ クリックを)
中島飛行機と学徒動員2011年10月30日
無着成恭と中島小泉製作所2021年8月23日



(敬称略)【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔

 

👇動画23分ごろから無着成恭さんについて
【全国こども】【無着成恭】さんのバトン【相談チャンネル】
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