ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

『渡良瀬通信』5月号

2010年04月29日 | 研究・書籍
70年代に、全国各地で竹の子のように誕生したタウン誌(ミニコミ誌)。
その背景には、「地方の時代の到来」が叫ばれていました。

足利の郵便番号「326」から因んで命名した「みにむ」が生まれたのもその頃です。
その後、誌名の「みにむ」を現在の「渡良瀬通信」に変えましたが、タウン誌にとっては厳しい冬の時代を見事に生き抜いてきました。「渡良瀬川沿川の生活文化情報誌」とうたっているように、両毛地域にとっては、今では欠かせない文化情報誌です。劣化しない誌面の品格が、多くのファンを育てたのかもしれません。

当方が、270回スナップ連載を担当した太田の「マイリトルタウン」誌が休刊しすでに4年。ほぼ同時期に発刊されたこの「渡良瀬通信」は、とうに「35才」以上ではないかと思います。群馬県内、両毛地域でも、老舗のタウン誌はこの「渡良瀬通信」を残し、ほとんど姿を消しました。今、有るのは「プリーペーパー」と呼ばれる無料の丸ごと広告誌だけです。

今月号は、健康生活が特集。北関東自動車道、岩舟JC~佐野田沼IC開通の記事の他、「プライベート・アイ」(人物紹介)欄には、娘婿のフォトグラファー(商業写真家)の田口大輔が紹介されています。
あらあら、“芸術作品”の中には、当家の鈍犬の姿までが・・(笑)

「渡良瀬通信」のご健闘を祈ります。

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Oldies(5) 「ロンリー・ギター」 (ザ・サウンズ)

2010年04月26日 | 愛しのオールディーズ
少年時代、私はビートルズやベンチャーズよりもヨーロッパ、とりわけ北欧のあっさりしたソフトロックのバンドが好みでした。中でもフィンランドのザ・サウンズには魅せられました。

ちょうどその頃、世界史か地理の教科書で、「フィンランドは東方の人種も混じっている“人口島”」という記述がありました。確かにザ・サウンズのレコードジャケットの青年たちを見るとアジア的な顔つきの人もいるな、と思い親しみを感じました。しかしこの「人口島」は今では死語。Web検索でもありませんね。大半のウラル・アルタイ系フィン人が多様だったのを「人口島」と一時期、称したのだと推測されます。
同じく「ザ・サウンズ」の名も、さすがのYou Tubeでも一曲しか見つかりませんでした。お目当てのヒットナンバー「ロンリー・ギター」は無し。You Tubeの大海でも・・。参考までに「ロンリー・ギター」と似た感じの「さすらいのギター」をアップしておきます。

「ロンリー・ギター」は、三洋男子寮暮らしの時、同室のクラシックファンのE君がこの曲を聴き、「う~ん。。ロックも良いですね」と言わせしめた曲。
さすらいの旅を行く若者の気持ちをさみしいギターの旋律が独身時代の私たちのこころをとらえたものでした。

余談ですが、フィンランドという国は面白い歴史を持っていますね。どうも電気通信メーカーのノキアのイメージが最近では強いですが(笑)
帝政ロシアが革命で倒れた1917年にロシアから独立。第二次大戦中には、なんと枢軸国側に付きソ連を相手に戦い破れ、戦後はやむを得ずソ連に寄りながらもワルシャワ条約機構には加わらず、非同盟中立政策を採ってきました。今はEU、ユーロ加盟国。興味の尽きない国のひとつです。


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さすらいのギター (ザ・サウンズ)


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年齢早見表

2010年04月23日 | Weblog
今年は手元に手帳が3冊あります。
「三洋電機」「群馬県民手帳」そして「シルバー人材センター会員手帳」。

いずれも巻末に「年齢、元号、西暦早見表」が付いています。
三洋の手帳は、最高齢が91歳(大正8年、1919年)まで。シルバーは101歳(明治42年、1909年)だ。さすがシルバーと思って、さいごに県民手帳を見ましたら、なんと104歳(明治39年、1906年)までありました(笑)

手帳は、「電子」より「手書き」の方が使い易い。さっと取り出し書き込む速度は、手書きに軍配でしょう。

80年代、一時、「システム手帳」が流行りました。私も立派な黒皮のシステム手帳に三洋のマイクロカセットレコーダーを入れて持ち歩きましたが、1年限りで元の手書きの手帳に戻りました。
手帳はやっぱり手書きのアナログでしょうね。

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ろうあ連盟記念映画『ゆずり葉』

2010年04月19日 | 映画・芸能
良い映画を観ました。

聴覚障害者が公的資格を取るのにさまざまな制限がありました。ろうあ運動がそれら一つひとつ撤廃してきた歴史があったのです。映画の中では、薬剤師の国家試験に挑戦するのにも大変な苦労があったことが描かれています。また、ろう者と健聴者との結婚問題にも周囲の理解は薄いものでした。
映画『ゆずり葉』は全日本ろうあ連盟の創立60周年記念の作品だといいます。
こうした団体があったことを初めて知りました。

題名のゆずり葉の木とは、若い葉が育ってから古い葉がおちること、己の代を次の代にゆずる親心を表し新旧交代、“相ゆずる”という意味。ドラマの中でも世代と世代をつなぐ愛の伝承を感じさせてくれました。

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定年後の8万時間

2010年04月13日 | 研究・書籍
定年後の8万時間に挑む (文春新書)
加藤 仁
文藝春秋

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本書の著者は、私と同年代ということもあり親しみを感じて読みました。
全国750万人の団塊世代。著者は同世代取材を進める中で40ケースを紹介しています。

団塊世代は、戦争が終わって生まれましたが、幼い頃から貧しい生活を送り、親たちの苦労する姿を見ていました。「いざとなれば生活を最低限まで切り詰められる最後の世代」であると著者はいう。

現役引退までは、無理してでも(妥協し)自分の「足」を「靴」に合わせてきた面がありますが、これからは自分の足に合った靴を履く、カスタマイズ(最適化)した生き方をしなければと思います。

8万時間という数字は60~80歳までの一日の自由時間11時間×365日×20年という計算。この長い時間をどのように過ごすか、ということ。
ただこれはあくまでも試算。この先何年、元気に充実して暮らせるかは個人、個人異なります。誰しもいずれ死ぬことは確かですが、その「いずれ」までの時間は予測し切れません。

各種アンケート結果から団塊世代の高い関心は「自然」と「社会貢献」であると。

著者は、「大切なのは自分にとっての“第一義とは何か”を知ること」という。
確かにその通りだと思います。

雇用延長に乗じて働き続ける人、それとも職場を去り別な生き方を求める人。
定年に関係なく同一仕事を続けている会社・団体役員、政治家、自営業の方々もいらっしゃいます。

仕事を第一義に置くのも「生き方」です。自営業、事業家の方で、余りにもお粗末な社会保障の前に、仕事をつづけなければなら場合もありましょう。健康度によっても行動は制約されます。「健康」を第一義にすることも然りです。病魔は、突然襲ってくるからです。十分、これまで活躍した身体をいたわってやることを一義とすることも肯けます。何が第一義かは、それぞれその人の人生観、価値判断によるものと思います。

太田高校の卒業生20人が地域活性化の「溜まり場」づくり、NPO法人「よろずや余之助」も一例に挙げられていました。参考になる「8万時間」はたくさんありました。

さて自分自身を省みますと。。

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女一代 【桂 宏美】

2010年04月08日 | 音楽
2年前にリリースしたアルバム「Dear My Friends」の中で、一曲お愛嬌に演歌を入れたのが「女一代」。ところが意外にも、オリコンや一般チャートでも、この曲の試聴率が一番高いものでした。桂宏美本人が、群馬・大泉を飛び立つときの自身の決意を意気にした作品です。
先月、野田市のライブでも異色なこの唄を披露しました。

実は当日、風邪引きでノドが荒れている状態。コンデションの良くないときでも有休(キャンセル)は取れません。無名とはいえプロ歌手のたいへんさを思いました。

三十路女一代、“ここらで一花、咲さかせましょう♪”


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http://www.youtube.com/watch?v=Z1W6iLWMDRI
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『こんな部隊もあったか』

2010年04月06日 | 研究・書籍


部屋の整理をしていましたら岳父の遺品の中から、おもしろい一冊の本を見つけました。
『こんな部隊もあったか』と題した昭和52年の自主出版物。
著者は湯浅市之助氏。発行・印刷所は湯浅印刷有限会社で著者の住所(桐生市)と同じです。

1銭5厘の召集令状(赤紙)で誰もが、兵隊にならざる得ない時代、著者も支那事変の始まった昭和12年突然、高崎の部隊に入隊される。

この本が傑作だと思いましたのは、これまでも数々の戦記を読みましたが、郷土の兵卒の人が飾ることなくここまで赤裸々に、戦争体験を素直に語っているのは初めてです。本書は、おそらく知人の戦友たちに限定して配ったものなのでしょう。ネット検索しても書名も著者名も手がかりがありません。

高崎に今も「君が代橋」という橋がありますが、あの橋の上で小学生たちが小旗を振って「兵隊さん、萬歳!萬歳!」の声援に送られて部隊に向かった、という。橋の名の由来もこれで見当がつきました。

著者の部隊は、軍人としての訓練も不十分で、素人集団の第二建設輪卒部隊、いわば大工職人さんが中心の特務隊チーム。群馬県内の出身者が多く、知っている県内の地名ばかりが出てきて読んでいて親近感がもてます。

現地で作業に夢中になり、つい戦闘帽の上に粋な?ねじり鉢巻姿、それを見て驚いた将校から叱られた者がいた。また歩哨の兵士が三度呼んでも応えない影を、すっかり敵と間違え騒いだら、ただの大きな犬だった、などとんまな失敗談がつづく。

上海に到着後、「あの飛行機はおれの部で造った翼らしいな」と中島飛行機で働いていたものが自慢して眺めていたら飛行機が急降下、襲われた。なんと敵機を友軍機と早合点。

ある日、部隊が民間の銭湯に入る。入浴時間は10分間。要領のいいものは行進中に服のボタンを外して一目散に駆け込む。たちまち男湯は満杯。図々しいのがいて空いている女湯に入るものも。著者もその一人。そこに白魚の肌をした見事な肢体の女性と遭遇。しばらくして「集合!集合!」の声が。しかし威勢の良くなった男根をしずめるのに、女湯潜入組の著者たち何人かは、「手ぬぐいで前をかくして、すたこら逃げる姿は、あわれな敗残兵のようでなさけなかった」

敵襲があって、一時解散命が出る。どこまでも遠くに、と逃げ込み「助かった」と思ったら、そこはなんと最前線、あわてて舞い戻る。広い中国大陸、北も南も分からない。

上海に「まんじゅう屋」があった。そこに日本人好みの美しい17~8才の支那娘、クーニャンがいた。向こう横丁の「タバコ屋の看板娘」のように誰もが顔をみたくて、毎日まんじゅうを買いに行く。彼女は幼稚園の先生のように兵士たちに支那語を教えてくれた。そこには敵味方のない国際人の関係があった。その彼女が、ある晩三人組の兵隊に襲われて強姦された。彼女を慰めて欲しいと母親に頼まれ、娘から好意を持たれていた著者は、キャラメルを娘に与えたが、彼女はただただ泣くばかり。同じ兵隊のマナーにも天地の差があった。著者の部隊の兵士たちはみな、平和に努力していた純真な娘への蛮行事件にやりきれない感情であった。

著者は、慰安所、遊郭のことなど、性描写もはっきり包み隠すことなく記述しています。今の感覚からすると品も問われ、驚き呆れもされるところですが、当時の一般庶民の感覚はそのようなものであったのだと思われます。むしろ自叙伝は、美化しがちなものですが著者のあけっぴろげの素直さには乾杯したくなりました。

帰還命令の出る直前に上官に呼ばれ
「あと三カ月待って第二回目で帰ってくれないか。そうすれば下士官適任証を間違いなく出すから」
それに対して著者、湯浅市之助一等兵は
「厚意は本当にありがたいことです。しかし、一刻も早く故郷に帰りたいのは人情です。偽りのない本音の言葉です。社会人として一日も早くできることなら帰って日本の為につくすようにしたいと思っています」そして、
「軍隊の階級は、たとえ一等兵であろうとも生きて帰れば、星の一つや二つの違いでは問題にならない幸せ者であると俺は思っていた」と迷わず昇進より早期帰還を選びました。

著者は、戦後は桐生市で印刷業を営み
「平和は実に良いことである。今の日本こそ真の平和はないのではなかろうか。言論の自由も基本的人権の尊重も、憲法によって保障されている。今こそ日本の平和の尊さを誰もが味わい、これから進むべき道を民主的に選ばなければならない時である」とそして一方、現代を「自由なるが故に自由をはき違えている世相に映る」とも案じています。(1978年現在)

私たちの親の世代(戦争体験)は、戦時戦地の話を余り多く語りませんでした。最も多数の兵士群だったはずの兵卒の人達による手記はその割りに少ない。まして裏表隠さず、飾ることなく当時の様子を書かれた本は貴重。それだけに今回偶然、身近な一兵士の手記に触れることができたことは幸いでした。この本は限定本だけに、多くの人に読んでいただけないのが残念です。

東部38部隊(高崎市)入隊当時 後列中央が著者


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『老人力』

2010年04月02日 | 研究・書籍
本書が発刊されたのは1998年。
その頃、定年近く役職離任になったばかりの先輩社員が、
「これからは“老人力”だよ!」
と後輩の私と、ご自分自身にも言い聞かせるように話していたのを思い出します。
「本書を読んで、とても元気が出た」とも。

聞きなれない“老人力”という言葉は、赤瀬川原平の造語。
私の記憶では、どうもその頃から、それまでには用いなかった一般の名詞に
「力」を付けることが流行りだしたようにも感じます。
たとえば「就職力」「大学力」「オヤジ力」「婚活力」「病院力」「群馬力」など・・

その当時は、私自身がまだ「老人」の自覚はありませんでしたが、本書の
書名は気になり、本屋でパラパラと目を通した記憶があります。

すっかり老人の自覚が成った今、当時の先輩社員が感激していた本書を改めて
じっくり読んでみました。

「ライカは老人力のカメラとして有名である」
の言葉のように、随所に新語「老人力」は出てくるのですが、どうもつかみ
どころのない赤瀬川流の老人の力のみなもと論。
豊富な経験から柔軟でいて変幻自在?
つまるところ
「老人力とは、まるでうなぎをつかむが如き!」と感じました(笑)

つまり、老人力はつかみどころのない概念?なのだろう。赤瀬川さんは
「年齢的には若者だけど一気に趣味に走れるミーイズム、マイブームは、本来なら引退老人が口にすべき言葉である」と元気が良い。

本のヒットは、タイトルでかなりが売れ行きが決まるといわれますが、
「老人力」のインパクトは、充分に強かったと思います。

本書の異次元的な高級カメラ的老人論から目を転じ、現実を見つめなおした場合、
「老人力」を今、真摯に受け止めそのエネルギーに磨きをかけているのは、
実は各地の「シルバー人材センター」のような気がしてなりません。
赤瀬川さん、いかがでしょうか?

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老人力
赤瀬川 原平
筑摩書房

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