ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

ハンセン病検証も木村真三さん

2023年07月31日 | 研究・書籍
久しぶりに木村真三さんのお姿をを拝見しました=写真。

「患者解剖録分析へ ハンセン病検証 草津で記者会見」の新聞見出し。(毎日新聞7月26日群馬面)

現在、独協医科大学の准教授木村真三さんは、ハンセン病療養所に強制隔離された患者の解剖録を戦前、戦中、戦後と分けて詳細に調べ差別の歴史を知り多くの人に考えてもらいたい、と話す。そのために医学的なアプローチで明らかにしたい、と。

木村さんの真理を追究する姿勢、いまなお変わらず健在です(拍手)

当ポポロ通信舎は、2011年の原発震災の時に木村真三さんのお名前を知りました。
かつてない震災直後、正確な情報が伝わらない福島の現地に直接木村さんは、おもむき地元の農家の人たち、途方に暮れていた住民の皆さんに、急を要する厳しい放射線量の測定結果を直接知らせ回ってくださった。当時所属していた安全衛生研究所からは調査行動を慎むようにいわれたが、あえて退職して福島の被災地現場を訪れた。

当過去ブログご参照ください(クリック要👇)
2011年11月2日 なぜSPEEDIが公表されなかったか
2022年9月16日 困った原発脳の人たち

あの原発事故でお示しになった行動力、調査力が、今度はハンセン病研究に活かされている。木村さんの祖父の兄さんはハンセン病で施設に収容され55歳で死亡。それまでの解剖録やカルテがあることを知ったのもきっかけのよう。誤解され隔離され苦しまれた患者の方々のご無念が、追跡調査によってさらに真実が解明されることを願います。木村准教授の健闘を祈ります。

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熊谷空襲が原点 森村誠一氏逝く

2023年07月29日 | 教育・文化
森村誠一さん亡くなりました、90歳。

731部隊を追跡したノンフィクション『悪魔の飽食』など反戦の精神をもった作家としての強い印象があります。

氏は埼玉県熊谷市生まれ。県立熊谷商業高校卒業後、伯父の紹介で都内の自動車部品会社に勤めるが、商品を輸送中に神田駿河台の坂を車が登れず困っていたところを明治大学生に助けられ、大学生になるのもよいと考え、青山学院大学文学部英米文学科に進学。卒業後はホテルマンとして働く
(ウキペディア参照)

当通信舎でも
2021年1月9日「最後の空襲 熊谷」でも森村さんに触れています。

森村氏12歳の時、
日本で最後の空襲となった「熊谷空襲」を体験。
改めて熊谷空襲とは何だったのか。
戦争終結の玉音放送が流れるその前夜、8月14日深夜から15日までの約1時間、米軍機B29による埼玉県熊谷市内への空襲があった。市街地の3分の2が焼かれ266名が亡くなった。負傷者は3000人の悲劇。

当時国民学校生(小学生)だった氏は父親のとっさの判断に従って市内の星川から荒川に向かって逃げたといいます。自宅は全焼したがもし星川に留まっていたら命はなかった。翌朝、星川に浮かんだ死体の中には、森村少年が思いを寄せていた少女の姿が・・。
この空襲の体験が、ものを書く方面に進んだ原体験になったと氏は語る。

後日、この日に出撃した米軍機のパイロットの証言によればグアムから飛び立つ前に、ラジオでニューヨークがVJ(Victory Japan)を祝っていることを聞いていた。それなのに「我々は、なぜ熊谷に向かって出撃しなければならないのか」とする疑問を感じていたという。攻める側も、中止命令が出るのをひそかに待っていた飛行士たちもいたという・・。

晩年は、老人性うつ病を発症。その闘病生活をもノンフィクションにしてまとめる。
苦労のたたかいの人生であったように感じます。合掌。


訴え続けた『反戦と平和』 作家・森村誠一さん(90) 死去(2023年7月24日)

写真:『戦災者慰霊の女神』像(熊谷市内 星川沿い)
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小型武器よ、さらば!

2023年07月18日 | 研究・書籍
お暑うございます。

連日うだるような暑さが続いています。
ここ群馬も一昨日は桐生市で39.7度の全国最高を記録、とんでもない気温ですね。
これでも梅雨明けの声がいまだに聞こえてこない。

地元の図書館からのリサイクル図書を読ませていただきました。
『小型武器よ さらば』2004年12月初版発行、小学館。

「戦いに駆り出される児童兵士たち」の副題。

子どもでも扱える小銃、カラシニコフを手にした児童兵。対人地雷で片足を失った小学生の姿の写真が痛々しい。地雷の被害を受けた死傷者は、世界で毎年1万5千から2万人いるとの説明文。

今朝のニュースによると「露大統領、ウクライナ使用なら クラスター弾で対抗」の見出し。
クラスター弾は紛争後も不発弾が多くの民間人に被害を及ぼす。本書出版から約20年、世界は、なんの反省もなく愚かな戦いを繰り広げている。

世界の国旗には、剣や槍、銃などの武器が描かれているものがあります。武器が国のシンボル、守護神のように崇めたてられているかのようです。

ちょっと救われるのは、武器の削減と管理に成功した国が挙げられています。それはなんと日本。
日本は明治政府による廃刀令(1876年)、そして第二次大戦後1945年に完全武装解除。このことによって不法に武器を持つものがいないわけではないですが、治安の行き届いた社会をつくることができています。日本のこの経験を世界の人たちに示したいものです。

地雷についても日本は、2003年にそれまで保有していた100万個の地雷を破砕し地雷ゼロの国になっています。
「地雷ゼロ」と同じように「原子爆弾ゼロ」も実現し世界の常識を変えたい。

きびしい暑さも少しは涼しく感じられる美しい波(WAVE)のようなニュースを期待しています♬


 


【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔



TOM JOBIM & OSCAR PETERSON WAVE (1976 BBC & 1986 MONTREAL)
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