ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

中島飛行機の終戦

2024年02月25日 | 研究・書籍
『中島飛行機の終戦』(新葉館出版 2015年)を読んでみました。著者の西まさるは1945年東京生まれ。群馬出身でない中島研究者であるところに興味を持った。
本書は愛知県半田市にあった「中島飛行機半田製作所」の終戦時の業務資料を中心に調べている。当時オール中島で25万人、半田製作所にはその約一割2.6万人が働いていた=動画ご参考

創業者の中島知久平は、豪快な人物で社内は「自由闊達な雰囲気」だったようだ。どことなく三洋電機の創業者と中島飛行機小泉製作所のあとに進出した「自由闊達な社風」の東京三洋電機をも連想させられた。

中島知久平は、早くから軍艦中心を改め航空機に戦力を転換することを主張していた。「アメリカとの国力の差は段違い、戦争は無謀」「米軍の大型爆撃機が量産されれば、日本は焼け野原になる」の発言には憲兵隊が逮捕を検討したとも。今になれば彼の予言は的中していたということになる。

学徒動員と朝鮮人徴用工
本書の第4章「学徒動員と朝鮮人徴用工」は半田製作所の徴用工の記録から、今なお論争の絶えない徴用工問題を解く上でのヒントも得た。

朝鮮半島からの徴用工は「応徴士」(おうちょうし)と呼ばれ、手配師(募集業者)によって朝鮮半島から集められて来た人たちだ。作業内容は会社の指示によるが、直接の雇用関係はなく派遣社員というよりも、外注先、下請け先だ。中間には「組(親方)」が入る。手配者も組もまとめ役は、応徴士の尞の近くの民家に住む。いずれも朝鮮から同行した人たちだ。半田市内の国民学校(今の小学校)には412人の朝鮮人児童が在籍。親は中島飛行機や関連の清水組(清水建設)で働き子供たちは学校に通っていたという。学校でも地域でも庶民レベルでは大した違和感もなく生活していたと当時の住民は語る・・。


平成になり賃金の未払いと慰謝料を求める訴訟が出ているが、「組、親方」を通していたので「未払い」が生じるというシステムにはなっていなかった・・。

中島飛行機の創業者には、大空を仰いでのロマンがあった。いずこも一代目はスケールが大きい。本書では中島飛行機の戦後、苦悶の再建への歩みを記録している。
「中島飛行機」をもう一つ、別な角度から読ませていただき理解を深めることができた。(敬称略)



 


中島飛行機半田製作所
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ノーベル賞よりイグ・ノーベル賞?

2023年10月03日 | 研究・書籍
今年のノーベル生理学・医学賞にmRNAワクチンの開発で評価された米国のペンシルベニア大学のカリコさんとワイスマンさんの二人の教授が選ばれた。「世界中で130億回以上接種され何百万人の命を救った」ということですが、私はそう簡単に手放しでは喜べません。
とにかく異例つづきで懸念材料が多かったワクチン開発。それらを異常事態という御旗で成果を急ぎ短期間に製品化したmRNA。その評価は、まだまだ早いのではないでしょうか。mRNAへのこだわりが強く、とりわけ日本では他の製法を寄せつけないようにも見てとれました。そこにはかなり政治的なものを感じてしまっています。

そこへ行くとユーモアたっぷりのイグ・ノーベル賞の方はいい。「副反応」もなく、笑顔で安心して見ることができるからです。

イグ・ノーベル賞のイグ(Ig)は「反対の」意味。本家のノーベル賞に対してユニークな考えさせられる研究に贈られる。日本人は今年で17年連続の受賞。過去には犬の言葉が分かる翻訳機や股からのぞいてみた景色は小さく見えるなど。今年も日本人研究者が選ばれた。こちらも男女。明治大学教授の宮下芳明さん、東京大学特任准教授の中村裕美さん。
電気を流して塩味アップする。スプーンや箸に弱い電気を流し塩味の感じにするといもの。楽しいですね、魔法のスプーンでの味付け。

政治色の臭さ味を感じさせないイグ・ノーベル賞の方に一票を投じたいと思いました。


(読売KODOMO新聞9/28参照)



【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔



「イグ・ノーベル賞」に日本人研究者 電流で味覚変える
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新刊「どうせ死ぬんだから」

2023年09月22日 | 研究・書籍
最近書店で目に留まった新刊は『どうせ死ぬんだから』(SBクリエイティブ)。手に取ってぱらぱらと見る。
痛快なフレーズが今朝の全国紙の記事下広告欄にも載っていた。

「好きなことだけやって寿命を使い切る」「70代80代はわがままに自由に生きる」
5つの新提言は
(1)体にいいものよりラーメン週5
(2)金持ちより思い出持ち
(3)医者の言葉より自分の体の声を聴こう!
(4)就活なんかいらない
(5)死ぬときくらい迷惑かけよう

(5)の死ぬときくらいは迷惑かけよう、は気が楽ですな。著者の和田秀樹ファンの友人ともこの本のことを話題にしました「さすがにここまではついていけません」とのこと。
和田秀樹の本はベストセラーの『80歳の壁』や『70歳からは大学病院に行ってはいけない』などすでに何冊か購入して読み共感もしています。しかし今回は購入は控えました。

ところで和田先生、これまでどのくらい本を出していらっしゃるのだろう。ちょっと調べたら中高年向け健康本、受験の勉強に関するものなど昨年だけでも40冊以上!?。すごい発信力ですね。
それにしてもタイトルだけ見ているだけでも楽しい、魅力的、示唆に富んでいます。上手なキャッチはご本人以外にも、有能な編集スタッフにも恵まれているのでしょうね。

「財産を残すために人生を我慢しない」「一番怖いのは認知症よりうつ病」「孤独死=可哀想はメディアの刷り込み」・・・

一貫しているのは、今の医療の在り方、人々の病気・人生観を問い直しているところでしょうか。これからも自由なお立場でわたしたちを啓蒙していただきたいと思います。


(敬称略)【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔



『老いの品格』いい歳のとり方をして<魅力的な理想の老人>になるために
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統計史上125年で最も暑い夏

2023年09月04日 | 研究・書籍
日本列島、どこもかしこも異常な暑さに見舞われている今年の夏の気温です。

「昔からこんなに暑かった?」「昔の夏は、こんなに暑くなかったよ」。お父さんやお母さんが、そんなことをいうのを聞いたことはないでしょうか。
(読売KODOMO新聞)

さらにお爺さん、お婆さんの時代は、うちわと蚊帳(かや)、電気の扇風機がある家はまれ。電気冷蔵庫もありませんでした。氷を専門に扱う「氷屋さん」というお店がありました。

いったいどうなっちゃんたんでしょう、この暑さ。
40年前より平均2℃以上高い?


『夏はなぜ暑いのか』という本を、救いを求める気持ちで読んでみました。佐藤文隆著 2009年 岩波書店

本が出された頃の夏も、日本も世界も猛暑つづきであったようで、いま読んでも気象的背景に違和感はありません。

著者は日本の猛暑などは、かわいいもの。世界ではイラクのバスラで58.8℃、アフリカのリビア57.7℃、米カリフォルニアで56.7℃などと度肝を抜く、と動じない。

空気と太陽光線、空気の加熱、熱の最終処理、温室は温室効果で温まるのではない、蒸し暑い夜に分子遷移を思う・・と論は進む。

とてもついていけなくなりました(笑)

タイトルをもう一度みました。『夏はなぜ暑いのか』

そうか“解決本”や“救済本”の類ではないのだ。「暑さ」のメカニズムを解明している理論的な書でした。



(著者の佐藤文隆先生は1938年生まれ、ご専攻は宇宙物理学、一般相対論)


(敬称略)【木工さんと楽器ヴィオリラの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔


 

小野リサ "Summer Samba" Live at Java Jazz Festival 2007

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南無そのまんま 十色の生き方

2023年08月11日 | 研究・書籍
14歳から28歳まで引きこもりだった青年に「きみね、苦しくなったら、南無そのまんま、そのまんま。南無そのまんま、そのまんま、南無そのまんま、そのまんまと三度お唱えをしなさい」とひろさちやさん。

“南無”という言葉は、インドのサンスクリット語で「おまかせします」の意味。欠点は個性、仲良く付き合おう・・。

ひろさちや『「がんばらない」人生相談』(河出書房新社 2014年)を読みました。
ひろさちや(本名:増原 良彦)1936年(昭和11年)7月27日 - 2022年(令和4年)4月7日)は、日本の宗教評論家。

ゼミ恩師が薦めた「ひろさちや」

私に、ひろさちやの書を読むように薦められたのは、学生時代のゼミの先生からでした。
ひろさちやと聞いても氏について当時、何の情報も持ち合わせていなかったので何冊か著書を読んではみました。が、難解でチンプンカンプン。退屈な宗教書の印象しかありませんでした。
あれから何年経つだろう。ひろさちやも、薦めてくださった恩師も亡くなりました。

今回、図書館の少年少女コーナーで、河出書房の「14歳の世渡り術」シリーズで本書を手に取りました。

「おとなの言うことは信用できない」の節では、「1945年8月15日、日本は戦争に負けました。そうすると学校の先生は、われわれに向かって、天皇のために死ね、から平和国家の建設に役立つ人間になりなさい、に変わった。でも少年は純情でした。教わったままを信じていました。「人間は何のために生きているのだろうか?」と考えるようになったのは、著者が高校2年生、17歳の時だったという。どことなく戦後の劇変のありさまの語りは、恩師の声と重なってきました。

著者は、「人生の目的も意味もありません。天皇のため、国家のため、世の中に役立つため、働くため、といったような答えはすべてまちがい。本当の答えを知ったのは大学生になってニーチェやヤスパース、サルトルの本を読んでから、さらに仏教の思想も本当の答えを導いてくれた」と。

「目的にあわせて造られたもの」と「何の目的もなく、ただ造られたもの」がある。だれからも命令されない自分の生き方、きみ自身の目的を設定してください、がひろ哲。
みんなちがって、みんないい(金子みすゞ)
草いろいろおのおの花の手柄かな(松尾芭蕉)

そういえば、はぐれ学生の私たちにも、どこまでも優しかった亡き恩師。授業中でも「『十人十色』So many men, so many minds 」を、しばしば発せられていた。

分かりやすい中学生向きの本書を通して、ひろさちやさんの魅力をなんとか理解することができたように思います。ゼミの恩師に「ひろさちや哲学」の感想報告がやっとできそう。南無そのまんま(合掌)



【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔



 
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無着成恭さん、ご逝去

2023年08月10日 | 研究・書籍
無着成恭(むちゃく・せいきょう)さん(教育者、僧侶)先月7月、25日にお亡くなりになりました。敗血症性ショック、96歳。

ここポポロ通信舎でも氏のことは何度か話題にさせていただいています。

1948年(昭和23年)に教師として赴任した山形県内の中学校で、生徒に生活の「なぜ」を考えさせる「生活つづり方運動」に取り組み、クラス文集をまとめた「山びこ学校」を51年出版。大きな反響を呼び、映画化もされた。〔共同〕

無着成恭と言ってもご存じない方が多くなっていますね。TBSラジオ『全国子ども電話相談室』の回答者を1964-1989年の25年間、回答者をされていた良い子たちの「せんせい」です。わたしも布団のなかで無着成恭せんせいのラジオに耳を傾けていた記憶があります。

さらに時を経て、三島由紀夫と同じように氏が群馬県大泉町の中島飛行機小泉製作所(現在のパナソニック・三洋電機)に戦時中、学徒動員で働いていたことを会社訪問の来客様から知りました。

著書『無着成恭 ぼくの青春時代』(日本図書センター)も読んでみました。

その一節です。
西小泉駅で下車。下車したとたんに空をあおいでフーッと呼吸をした。空には練習機がとんでいる。めずらしくてたまらない。駅前の小泉荘というところで朝飯を食べる。もちろん、家から持ってきたおにぎりだ。・・・会社のバスが迎えに来た。それで中島高林寮に向かった。途中、右手に飛行機がずらりと並んでいるのが、ちらっと見えた。すごいなあと思った」すでに敗色漂う昭和19年8月7日、山形中学(現山形東高)5年生、無着成恭17歳でした。

終戦の年の4月、無着成恭ら卒業学年生は高林寮を去って山形に引き上げる。帰路、福島県白河に着いたら東京は大空襲を受けている、と駅員が言った。誰かが「今、高林寮が直撃弾を受けて全滅だそうだ」と、どなった。ほかの学校の生徒はどうしただろう。酒田中学など全滅したんでないかな。沼田中学はどうだろう今の話デマであればよいなと思った、と生々しい記憶の記述が残されています。

学徒動員のイメージからか、何
んとなく今のような暑さの厳しい時期、「夏」を連想します。
無着せんせいのご冥福をお祈りいたします。


(参考:過去ポポロブログ ↓↓ クリックを)
中島飛行機と学徒動員2011年10月30日
無着成恭と中島小泉製作所2021年8月23日



(敬称略)【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔

 

👇動画23分ごろから無着成恭さんについて
【全国こども】【無着成恭】さんのバトン【相談チャンネル】
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ハンセン病検証も木村真三さん

2023年07月31日 | 研究・書籍
久しぶりに木村真三さんのお姿をを拝見しました=写真。

「患者解剖録分析へ ハンセン病検証 草津で記者会見」の新聞見出し。(毎日新聞7月26日群馬面)

現在、独協医科大学の准教授木村真三さんは、ハンセン病療養所に強制隔離された患者の解剖録を戦前、戦中、戦後と分けて詳細に調べ差別の歴史を知り多くの人に考えてもらいたい、と話す。そのために医学的なアプローチで明らかにしたい、と。

木村さんの真理を追究する姿勢、いまなお変わらず健在です(拍手)

当ポポロ通信舎は、2011年の原発震災の時に木村真三さんのお名前を知りました。
かつてない震災直後、正確な情報が伝わらない福島の現地に直接木村さんは、おもむき地元の農家の人たち、途方に暮れていた住民の皆さんに、急を要する厳しい放射線量の測定結果を直接知らせ回ってくださった。当時所属していた安全衛生研究所からは調査行動を慎むようにいわれたが、あえて退職して福島の被災地現場を訪れた。

当過去ブログご参照ください(クリック要👇)
2011年11月2日 なぜSPEEDIが公表されなかったか
2022年9月16日 困った原発脳の人たち

あの原発事故でお示しになった行動力、調査力が、今度はハンセン病研究に活かされている。木村さんの祖父の兄さんはハンセン病で施設に収容され55歳で死亡。それまでの解剖録やカルテがあることを知ったのもきっかけのよう。誤解され隔離され苦しまれた患者の方々のご無念が、追跡調査によってさらに真実が解明されることを願います。木村准教授の健闘を祈ります。

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小型武器よ、さらば!

2023年07月18日 | 研究・書籍
お暑うございます。

連日うだるような暑さが続いています。
ここ群馬も一昨日は桐生市で39.7度の全国最高を記録、とんでもない気温ですね。
これでも梅雨明けの声がいまだに聞こえてこない。

地元の図書館からのリサイクル図書を読ませていただきました。
『小型武器よ さらば』2004年12月初版発行、小学館。

「戦いに駆り出される児童兵士たち」の副題。

子どもでも扱える小銃、カラシニコフを手にした児童兵。対人地雷で片足を失った小学生の姿の写真が痛々しい。地雷の被害を受けた死傷者は、世界で毎年1万5千から2万人いるとの説明文。

今朝のニュースによると「露大統領、ウクライナ使用なら クラスター弾で対抗」の見出し。
クラスター弾は紛争後も不発弾が多くの民間人に被害を及ぼす。本書出版から約20年、世界は、なんの反省もなく愚かな戦いを繰り広げている。

世界の国旗には、剣や槍、銃などの武器が描かれているものがあります。武器が国のシンボル、守護神のように崇めたてられているかのようです。

ちょっと救われるのは、武器の削減と管理に成功した国が挙げられています。それはなんと日本。
日本は明治政府による廃刀令(1876年)、そして第二次大戦後1945年に完全武装解除。このことによって不法に武器を持つものがいないわけではないですが、治安の行き届いた社会をつくることができています。日本のこの経験を世界の人たちに示したいものです。

地雷についても日本は、2003年にそれまで保有していた100万個の地雷を破砕し地雷ゼロの国になっています。
「地雷ゼロ」と同じように「原子爆弾ゼロ」も実現し世界の常識を変えたい。

きびしい暑さも少しは涼しく感じられる美しい波(WAVE)のようなニュースを期待しています♬


 


【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔



TOM JOBIM & OSCAR PETERSON WAVE (1976 BBC & 1986 MONTREAL)
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五ノ井里奈さんに敬礼!

2023年06月25日 | 研究・書籍
勤務していた自衛隊内でセクハラ被害を受けた女性自衛官の勇気ある告発の書。
『声をあげて』(五ノ井里奈 2023年5月発行 小学館)を読みました。

「失くした尊厳を取り戻すまで。震災を契機に自衛官を夢見た少女は入隊後、絶望を味わった。訓練中の性暴力を告発するも組織は黙殺。行動を決意した彼女の武器は勇気一つ」と本の帯の言葉。まさに簡潔な紹介文、その通りの内容でした。

本書を読み進めていくと「性加害を受けた描写がここから○○ページまで続きます。フラッシュバックのおそれのある方は○○ページから読み進めてください」とありました。
あまり見慣れない記述ですが、そこにもこの書の生々しいリアルが垣間見えます。

こうした被害を訴える場合は、弁護士に依頼をするのが定石かと思いましたが、それには費用がかかります。交通費や書類作成も必要。余裕のなかった五ノ井さんはSNSの活用を思いつく。中でも力になってくれたのがユーチューバーたちだった。今の時代らしい闘い方でした。その発信の中で野党の国会議員にも反応があり、次第に事件が広がりをみせていったようでした。

『声をあげて』には、「わたしが」と「わたしも」という二通りの意味を本のタイトルに込めました。読み終わったあとに一歩踏み出す勇気を感じてもらえたら嬉しいです、と著者の五ノ井さんの声。

巻末には「資料」として自衛隊内におけるハラスメントのアンケートが掲載されています。実際に受けたハラスメントの数々です。呼びかけは五ノ井さん、実施・分析協力は、「Change.org」とありました。

第二のエピローグ的な「取材を終えて」では、岩下明日香さんが「構成」として、自衛隊における女性の存在の解説、著者の素顔や著者本人が述べにくい後遺症のことにも触れている。

すべてが、新しい時代の新しいスタイルのたたかう書のように感じました。良い本でした。


(敬称略)【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔


 


【告発】わたしは複数名の男性に囲まれて毎日繰り返される強制セクハラ被害にあいました。苦しい胸の内を話します。【五ノ井里奈さん】
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追悼 上岡流隠居の美学

2023年06月06日 | 研究・書籍
このブログ内を「上岡龍太郎」で検索してみましたが何もヒットせず。

著書『隠居のススメー好き勝手に生きる』の表紙写真を一時、ケータイの待ち受け画面に使うほど上岡龍太郎の生き方には共感を覚えておりました。書評をアップしたような気がしましたが一度も彼には触れていなかったことが自分でも不思議です。

上岡龍太郎さんが、お亡くなりになりました。81歳。

私は、彼の引き際が、とてもさっぱりしていて、それに好感をもっていました。

『隠居のススメー好き勝手に生きる』の発行は2003年、ちょうど20年前だ。著者60歳の頃ですね。

引退はそれより数年早く、芸能生活40年で、ハイさようならと見切りをつけて完全にフェイドアウト、世間を驚かせました。見事な引き際、その後も表舞台に姿は出しませんでした。

大阪府知事にまでなった横山ノックとコンビを組み、横山パンチを名乗って人気を博していた。時事ネタが多く、いわゆる社会派漫才でした。自身も政界への立候補の誘いは何度もあったようですが、受けることはなかった。

現職・現役と退職者の区切りをしっかりつけた人として見習いたいと思いました。

先の東京五輪汚職事件などでも、退職後も隠然と前職の地位と権力を使い利権にむさぼりついていた輩がいた。

古巣に現れては、元部下たちをあれやこれやと自分の立場を忘れて指図するうるさい奴も見かける。

定年で卒業すれば、もはや肩書はそれまでの期限切れの貸衣装に過ぎない。管理職も平社員もあったものではありません。ふつうの人間同士です。
いいな、いいな、人間っていいな~♪ でよろしい。上岡流隠居術にまなびたいものです。

あらためてご冥福をお祈りいたします。



【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔

 

日本のチベットが差別!?日本の地名にツッコむ上岡龍太郎
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なぜ戦争が起きてしまうのか

2023年05月12日 | 研究・書籍
みにくい悲惨な戦争がつづいています。
戦争はなぜ起こるのか』(佐藤忠男著 ポプラ社)を読んでみました。

2001年発行。著者は昨年、鬼籍にお入りの方ですが本書は今日的にも通用する内容です。少年少女用に書かれ全文にルビが振られていて読みやすい。図書館にはずっと置いていただきみんなに読んでもらいたい本でした。

「戦争は人間の本能か」の章で、コンラード・ローレンツ=動画参照=というオーストリアの動物学者の研究が紹介されている。ダマジカ(鹿)のケンカを例に、角をぶっつけて力比べはするが、相手を殺すことはない。犬でも同じ。同じ動物同士では仲間を殺すことはない。それは動物には「歯止めのシステムの本能」が働いているからだ。確かに負けたほうは、命を落とすまで歯向かうことなく降参する。
異なった動物の間では、弱いほうが獲物となって強者に食われてしまうが、犠牲になるのは一匹だけで種族全体に及ぶことはない。

では人間はどうだろう。人間は道具を使って争いをする。この道具がどんどん凶暴なものに変わっていくと闘争本能に歯止めが効かなくなってしまう。
刀ー銃ー大砲ー爆弾ー毒ガスー細菌兵器ー原子爆弾

人間は「民族VS民族」の争いでは果てしなく皆殺しになるまで止めない。

著者は14歳で海軍少年兵だった。その軍人経験から学んだことは、この地上に貧富の差がある限り戦争のタネは尽きない。自分が楽をして他人を働かせる気持ちが戦争のものなのではないか、と感じられたようです。

ではどうしたら良いのだろう・・・。

ヒントは、人間には恐ろしい本能はあるが、「理性」もある。理性で争いをやめることができるのではないでしょうか。
それには、戦争や平和についてポポロ(人びと)が、しっかり勉強して理性的な「平和学」を育てようということですね。



【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔

 


ローレンツの動物と人間の心
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クスリ(薬)はリスク

2022年12月01日 | 研究・書籍
近年の薬品被害訴訟

1974(昭和49)年 サリドマイド訴訟和解
1979(昭和54)年 スモン訴訟 和解成立
1983(昭和58)年 薬害エイズ事件提訴 1996(平成8)和解
1996(平成 8)年 ヤコブ病訴訟提訴 2002(平成14)和解
2002(平成14)年 薬害肝炎訴訟提訴2008(平成20)和解成立

ざっと見ただけでも薬害に関する訴訟は、後を絶たない。

「薬はリスク」と薬理学者の間ではささやかれているといいますが、
よく見ると「クスリ」を反対から読むと「リスク(危険)」ですね(笑)

今、読んでいる『薬害裁判~副作用隠蔽事件を闘った町医者の記録』(井手節夫著南方新社)からの参照引用です。

クスリが毒となるか効用となるかは用いる「量」にもよる、とも。

著者は、「72歳になって薬害裁判に挑むことになりました。きっかけは、英国の精神科、デイヴィット・ヒーリー教授の『抗うつ薬の功罪ーSSRI論争』の著書を読んでから」と。
自身も排尿障害治療薬の副作用、後遺症に苦しみ今やモンスターと化した製薬会社の一つを相手に困難なたたかいの最中。本書を読み製薬ビジネス資本の裏側、それを支える構造も、つぶさに垣間見ることができました。

現在進行中のコロナ騒動と予防接種に対しても示唆に富むものが多く、読み応えのある一冊でした。

今日から師走。歳月の流れ早い。
人生はたたかいです。
さまざまな「害」に対し解決に向け頑張りましょう!!

【木工さんの写真】制作 矢嶋秀一  / フォト 田口大輔

【著者 井手節雄氏のプロフィール】
1945年鹿児島県旧志布志町生まれ
志布志高ー熊本大医学部卒
鹿児島大小児科科学教室入局
現在 志布志市内で小児科医院開業

 

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一途なものからの逃走

2022年10月23日 | 研究・書籍
富士重工に勤務していた作家、黒井千次写真=の『五月巡歴』(1997年河出書房新社)を読みました。

久しぶりに主人公に感情移入ができ日本小説の繊細さを感じ取れる作品でした。

職場での「人事部御指名労働組合」(本文より)にあき足らない先鋭的な婦人部系女子社員たちと、本社人事部との対立に巻き込まれる主人公、館野杉人。

闘争的で一途な女子社員たちとは対照的に、群れから離れひたすら自由奔放で性的な元部下との不倫、情事。

主人公は40歳、1952年の血のメーデー事件に学生運動家として参加していた過去を持つ。その時逮捕され今も公判中の元学友には、証人になってほしいと依頼を受けている。しかし内心では、今は大学同級で同志的だった妻との間には2人の小学生の子があり、過去のことは忘れ去りたい気持ちが強い・・。その思いとは裏腹に事態がそれを許さず彼の闘争本能に無理やり火をつけようとする・・。

活動家だった過去の自分を伏せて会社生活を送っている場面は、島崎藤村の出自を隠して教師生活をしていた『破戒』の丑松(うしまつ)の心の動きにも似たものを感じさせられた。

黒井の作品が、「内向の文学」と言われるゆえんを早くも理解できた。

主人公の不倫を知った妻、美緒子の怒りの言葉がいい。

「貴方は嘘をついたわね。私をだましたわね。貴方は自分自身も裏切っているのよ。あの頃の貴方はどこに行ってしまったの。貴方の民主主義なんて誰が信じられるの!」民主主義とは何かと問うと、妻は叫ぶように言い放った。

私たちの民主主義よ。黄金の民主主義よ。学生時代も就職するときも結婚する時もそれがあったじゃない。世の中がどんどんおかしくなっても、まだ私たちのところにはそれがあったじゃない。でももう、貴方を守る民主主義なんて誰が信じられるの!





 

【偽りの心】Your Cheatin' Heart - Elvis Presley (1958)
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内向の世代作家、黒井千次

2022年10月14日 | 研究・書籍
むかし前橋市内にあった名曲の喫茶店「田園」・・♪

「一緒に会社をさぼった技術屋の仲間の中に、クラシック音楽のマニアがいた。流れてくる曲を聞きながら、シェーンベルクの『浄夜』だ、と曲名を教えてくれたことがいまだに鮮明に記憶に残っている。前橋に行くとしたら、街の中をかなりの水量と速度で走り抜ける広瀬川を見て『田園』に寄りたい、と思った。あの頃から半世紀以上も経っているのだから『田園』はもう残っていまい、と覚悟していた」と、黒井千次『漂う』の一節「前橋」から。

私も生まれ故郷の前橋には、さまざまな思い出と感情があります。なんの変哲もないような地方都市ではありますが、ゆったりした中にも少なからずの革新性と進取の気風を感じさせてくれる街です。

今では音楽喫茶の「田園」は姿を消しましたが、川沿を歩くと萩原朔太郎の記念館(前橋文学館)が建っています。

小説家、黒井千次は、「20代の数年を群馬県で過ごした。大学を卒業して就職したのが1955年。群馬県伊勢崎の工場に配属になり、太田の社員寮にはいって電車通勤することに決まった」(同書「前橋」)


黒井千次は東京生まれ。東京大学経済学部をを卒業し富士重工業で会社員生活を送った。1958年に『青い工場』を発表し当時、労働者作家として有望視される。だが1968年には退職されたようだ。上司から社業に専念できないものを雇い続けるつもりはない、といわれたとか。

ポポロ(人びと)の内面を精緻に描写する「内向の世代」の作家といわれる。あまりなじみのない作家でしたが、群馬の富士重工社員だったと聞き、にわかに親近感を覚えました。かなりの著書があります。アラカルト的に読んでいきたいと思います。




 


顔写真はウィキペディアから
動画は『浄められた夜』(淨夜)


Schoenberg "Verklärte Nacht" Karajan London Live 1988 シェーンベルク「浄められた夜」 カラヤン ロンドンライブ
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余命は自分で決めてください

2022年07月22日 | 研究・書籍
なんともそそっかしいことになりました。

『穏やかな死に医療はいらない』(萬田緑平著、河出書房新書 2022年6月初版)を書店で購入。店頭には、久しぶりに萬田医師の新刊『家で死のう! ――緩和ケア医による「死に方」の本』と同書が並んで置いてあった。同氏の本は過去何年か前に読みこれが二冊目。

しかし自宅に帰り読み始めて、すぐに気が付いた。本棚を確認すると同名の本があった!2013年朝日新聞出版からの同名ものだった。

買ってきたばかりの河出書房の本の巻末には「本書は2013年朝日新書からのものを加筆修正し、単行本化したもの」と書かれているではないか。

こんなことは初めてだ。本の印象はあったのだけど、書名が一致しなかった。しかし、気を取り直して読んでみた。ちょっと校正者になったような気持ちで新旧チェック。
確かに加筆部分も認められ、より充実した記述になっていました。

「おわりに」の章では、2013年朝日版では、一人の終末期の患者さんとの感動的なエピソードだったが、今回の2022年河出版での終わりの章は「がんで亡くなることを怖がらない人たちへ」として著者自身も人生の最終章を自分らしく終えたいので「僕はがんで死にたいと思います」と語る。

医師としての著者は患者さんには「余命は自分で決めてください」と。仮に主治医に余命数カ月と言われたとしても、それは神様に告げられたわけではないのだから、気にしない、気にしない。

改訂版もなかなか良い、人はどう生きてどう死ぬか、を多くの患者を看取ってきた緩和ケア医の立場で楽天的な選択を示している、元気づけられる“萬田哲学”に乾杯したい。

 
 
夏の夜長はボサノバですね♬
waveがいい。
むかし昼休みの社員食堂で流れていたのを聴いたのが最初です。



Wave (Antônio Carlos Jobim) Piano and Vocal by Sangah Noona
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