ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

シャープに続きパナもマスク参入

2020年04月21日 | 経済
シャープの個人向けマスクの販売が具体的に明らかになりました。
1箱50枚入り2980円。三重のクリーンルームで製造。立体三重構造ですから精度は高い。花粉症の私なのでよく分かります。今、マスクは通常時価は1枚100円が標準ですから、日本製で1枚当たり60円は格安感があります。

シャープよ、良くやったと思っていた矢先パナソニックが岡山の工場で5月末からマスク生産に着手すると競うように発表があった。共同通信によりますと「業務用AV機器を手掛け、ちりなどがない清潔な環境が整っている岡山工場(岡山市)で5月末からの生産を目指す。まずは自社の従業員に配布し、医療機関向けの生産も検討する。自社の資源を最大限活用し、新型コロナウイルス感染拡大で深刻化する医療物資不足の解消を支援したい」とのこと。

さらに「詳細は決まっていないが、1日10万枚前後のマスクを生産するとみられる。このほか備蓄している手袋や防じん服、空間除菌脱臭機『ジアイーノ』を医療機関などに寄付することも決めた」という。

先行でなくシャープの動きをにらんでの新規参入は、いかにもパナソニックの慎重な社風が感じられる。ただここは巨大な“戦艦”パナソニックの参入は力強い。いいニュースですね。

もし、かつての三洋電機、東京三洋電機でしたら間違えなくシャープと同時期、もしくは先陣を切って積極参入していたのではないかと思われます。オン・セミコンダクター(米国社、旧三洋半導体:群馬県大泉町)のクリーンルームのある建物の横の道を通るたびに「ここでも高性能のマスクが造れるな」とひとりつぶやいています。


(写真は、現在の群馬・大泉の三洋電機正面)
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同じ霊長類ヒト科の人間

2020年04月17日 | 研究・書籍
コロナウイルス禍で揺れる昨今、マスコミの報道から中東やアフリカの紛争地のニュースがめっきり出てこなくなった。コロナウイルスの前に、当事者間で一時停戦したいう話は聞かないし、連日きっとどこかで戦いは続いているにちがいない。

ぼくは13歳、任務は自爆テロ』(永井陽右著 合同出版 2017年)を読みました。2011年ソマリアでは未曽有の飢饉で26万人が死亡。そして30年以上も内戦がつづき多くの人たちが命を落としています。
著者は、世界最悪の紛争地ソマリアをなんとかしたい、どうしたらこの世界からテロをなくすことができるのか、対話ができないとき、ぼくらはどうするべきなのか?と自問をする。


ソマリアではすべての武装組織が子どもたちを兵士として使っている。「子ども兵」とは15歳未満の軍事行動に参加するものをいう。
人間誰しも生まれながらにギャングやテロリストだったわけではない。明日の命も保証されずに、小さな体に時限爆弾を巻き付けジハード(聖戦)の名のもとに自爆テロに殉じる。なんとも異様でそら恐ろしい光景です。
イスラムの教えでは自殺は禁じられているのだが、イスラム過激派の間では自爆テロは聖戦のためと解釈されている。


著者は、過激集団からの脱退者たちの積極的な社会復帰のプログラムを用意する。テロを止められない理由、そしてテロを止める方法を具体的に提起もしている。
○○県人として、日本人として、の帰属意識をもっと推し進め「人間として」の段階までに拡大する思考方法を著者は強く訴える。みんな同じ霊長類ヒト科の人間なのだからと。


今般のコロナウイルス禍で多くの罹病者が病院に収容できなくなり死の恐怖を目の前にしている。ただもう一度、同じ地球では、同じ時刻に今も野戦病院化し「医療崩壊」が日常になっている各地の紛争地域の存在することを私たちは忘れないようにしたいと思う。そして人類は互いに殺しあうことの愚かさをこの際コロナ禍の今、きっぱりやめようではないか。



著者永井陽右氏=1991年神奈川県生まれ。早稲田大(教育)卒。「日本ソマリア青年機構」を設立、NPO法人「アクセプト・インターナショナル」の代表理事。



 

We Are The World 2020 - The Quarantine Mix, Long Island
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感染者数か、死亡者数か

2020年04月07日 | 新型コロナウイルス問題
福島原発事故の「原子力緊急事態宣言」は現在も解除されていない。そして今夜、新型インフルの「緊急事態宣言」が新たに加わった。虚しさを感じます。

ところで、在日米国大使館が新型コロナウイルス感染症への日本政府の対応に懸念を示す通知を発出したことに、珍しく官房長官が反論した。「日本はWHOのガイドラインに沿って対応している。感染の有無を調べるPCR検査の数が少ないとの指摘があるが、死者の数は多くない」と強調したという。(毎日新聞4/7)

米国に対しての反論など聞いたことがないだけに、官房長官がよくぞ意見を言えたものとそこは評価したい。

連日、速報として伝えられる感染者数の増加にはおどろくばかりだが、死者数で見ると4月6日現在、イタリア1万5587人、スペイン1万2641人、アメリカ9648人、日本は97人。

感染者数=死亡者数ではない。感染者の8割は軽症。重症者でもほとんどが退院している。感染者総数の死亡率は、米国2.8%、日本2.3%。今後これらの数字はどう変化して行くかはわからないが・・。


今、感染者の数の拡大の報道に圧倒されるかたちでの議論が多いと感じる。しかしここは死亡者数を直視し事態を見極めることが求められているように思う。

不安を抱えながらも前進して生きましょう。今夜はブルースマーチな気分です♪


【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔

Art Blakey & the Jazz Messengers - Blues March
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ウイルスのことを知ろう

2020年04月05日 | 新型コロナウイルス問題
ウイルスの正体とはいったい何なのだろう?
40億年前DNAは無かった。3000年後、SARSは普通の風邪になる?
2003年のSARS-CoV(SARSウイルス)はベロ細胞を使って培養・分離することができた。そのベロ細胞とは

ベロ細胞株はウィキペディアによりますと「1962年5月27日に、千葉大学医学部細菌学教室の安村美博によって健康な成体のアフリカミドリザルの腎臓上皮細胞から分離・樹立された。彼は細胞株にエスペラント語で「緑色の腎臓」を意味する"Verda Reno"を略して、同時にエスペラント語で「真理」を意味する単語でもある、"Vero"「ヴェーロ」と名づけた・・とあります。
おお嬉しいことです、エスペラント語から命名だったのだ。

SARSが吹き荒れた2003年の発刊『キラーウイルスの逆襲』(畑中正一著日経BP社)を読みました。SARSを今の新型コロナウイルスに置き換えてもほとんど通用するウイルス学の権威による著書です。コロナウイルスとの対峙は人類にとって未知との遭遇、共存共栄の道のりです。

頼もしいお巡りさん細胞

樹状細胞(DC)と呼ばれる駐在所の警察官のような役割の細胞があります。それを取り出して研究した人が稲葉カヨ。SARSウイルスが入り込んでも自然免疫で防ぐことができ痕跡を残さない。ウイルス、RNA、DNAだけのパターン認識なのでインフルエンザかSARSウイルスなのかは特定できない。しかし健康でいられるのは自然免疫のおかげ、主にカヨさんの研究した樹状細胞のおかげと言える、と著者。ここでヒントとなるのは樹状細胞の存在です。個人的には防御のための自然免疫能の強化ということなのでしょうね。


まだ少ない女性の免疫学者、稲葉カヨ先生の動画をご覧ください。



稲葉 カヨ】日本の免疫学者。1950年岐阜県養老町出身、奈良女子大(理)ー京都大(院)。京都大学生命科学研究科教授同大学の男女共同参画担当理事・副学長、男女共同参画推進センター長


Professor KAYO INABA
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五輪は毎回アテネで開催を

2020年04月01日 | スポーツ・健康
この状況で東京五輪は来年7月23日にと早々決めたという。発表がきょうエイプリルフールだったらお笑いだが、しごく本気のようで驚きあきれてしまった。

私は夏の酷暑の開催だけは反対だ。それも米スポンサーの意向におもねてというのが情けない。コロナウイルスの影響で延期するのは良いとしても、また酷暑に開くと懲りもせず言いだし決めてしまうという感覚が理解できない。

IOCも大会組織委員会もダメだ。
開催地の招致合戦では毎回、多額のワイロが飛び交う。本来名誉職であるべきIOC会長職の手当ても異常に高額だ。五輪は今や金権まみれになっていると言っても過言ではない。


もっとダウンサイジングしていい、質素にやろう。IOCは一旦解散し規約も改正して出直すべき。開催地の持ち回りは止めて初心に帰り、毎回ギリシャのアテネで開催したらどうだろう。全国高校野球の甲子園球場のように。日本でも国体は各都道府県の順番制になっているが、開催県の見栄が出て選手起用、箱物建設などからして不明朗な弊害が出ているとも聞く。

オリンピックの精神はアマチュアリズムだったはず。それが1974年に五輪憲章からアマチュア条項を削ってプロ化してしまった。このあたりからますます変質がびどくなってしまったように思える。

今では各競技ごとに「世界大会」を行っている。それで十分ともいえるのはないか。酷暑に開催するなどと言い出しそれを制止もできないような五輪組織は要らない。

オリンピックは毎回、アテネで開きアテネをめざす古代オリンピアの理想にかえったらどうだろう。



【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔
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