ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

『ホームレス中学生』との対比

2009年11月29日 | 中学生下宿放浪記
当ブログ「中学生下宿放浪記」を書き進めている中で、
『ホームレス中学生』というベストセラーがあったことを知りました。
原作・田村裕の実話『ホームレス中学生』、200万部以上のベストセラー
だったといいます。この本の存在はまったく知りませんでした。
そこでDVDになっている小池徹平主演の同作品を見ることにしました。
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家財道具が差し押さえられ、無責任とも思える父親の「解散」宣言から、
3人の兄弟たちの苦しい生活が始まる。ちょうど夏季休暇に入る時期で、
主人公、田村裕にとっては飢餓とのサバイバルな夏の経験になった。
私は「食」で困ったことはなかった。「住」は田村少年のように明日は
どこに住もうか途方に暮れたことがあった。これから記述する前橋の下宿で、
追い出されたことが2度ほどある。
田村少年には、優しい兄と姉がいた。しかし母は早くに亡くなっている。
私と逆な形だ。私は妹を失っているが、母がいた。
回想で、田村少年は「母が亡くなった時から“ホームレス”が始まった」と。

「母=ホーム」


この言葉の意味はよくわかります。私、一郎少年にとっては、母が、女子寮が
いつも“ホーム”だった。「姉」も「叔母」さんも寮にはいた。
それだけにホームレスの気持ちは感じていなかった。むしろホームレス意識は
家を建て定住を急いでいた母の方が強かったように思います。

「うちの家に居て良いよ」と言ってくれた友人の父母。この場面は、私の中学
時代とカブって一番ジーンと来た。淡々としながらも心の温かさのある宇崎
竜童、田中裕子の友人の両親役はウマかった。

当ブログの“中学生”の方は、再び舞台を前橋に移して奮戦します。
ひきつづきお楽しみください。


ホームレス中学生 スタンダード・エディション [DVD]

東宝

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100年後の未来世界・・・

2009年11月26日 | 研究・書籍
『100年予測』
The Next 100years A Forecast For The 21st Century.

100年後の地球は地政学的に果たしてどのようになっているのだろうか。
本書はamazon(米)やNYタイムスでベストセラーになっているという。

100年後。。
未来を想像することは興味が尽きない。
2009年現在のここに至るまでも、1990、1970、1950・・時間的な幅で見るなら
20年スパンで実に激変している。
それも予測のつかない形で。当然これからも20年スパンで意外な展開を遂げる
ことになるだろう。
著者、ジョージ・フリードマンはハンガリー生まれ米国在住の政治学博士。
1949年生まれ、日本でいう団塊の世代だ。

「アメリカ・イスラム戦争は近く終局を迎える」と氏はいう。
ぜひそう願いたいもの。

日本については、「このまま平和主義的な二流大国のままでいるわけがない」
とも。
著者は、感情を表に出さずあくまでも数々の政治現象を地理的歴史的な条件
から、いわば地政学的に予測を組み立てて行く。
“100年未来”も依然アメリカの存在は大きいとしているが、それは著者が
アメリカ人の学者だから身びいきにアメリカを評価しているとは思えない。
アメリカの制度、慣行が先進的な部分があるだけに、仮にイスラムの地で
敗北したとしてもベトナム戦争と同じように、一過性のものとしてしまう、
と見ることができる。

コンピュータの2進法にみられる実用性に重きを置く米国プラグマティズム。
本書を読み終え、改めて現実的思考に揺り戻された。
確かにアメリカ流のプラグマティズムは、未来社会においても・・。
興味深い予測地図だった。


100年予測―世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図
ジョージ フリードマン,George Friedman
早川書房

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【中学下宿記】(16) Sおばさんの涙

2009年11月24日 | 中学生下宿放浪記
「いじめ」がなければ、そのまま大泉町に住み北中生のままで
あったと思います。
いじめに対しては、相手を神の御名において許すか、いずれ決着を
つけるか毎日思案しつづけていました。結局はこの中学を去ること
としたのです。

今も昔も「いじめ問題」は絶えません。当事者にとり苦しい悩みです。
大きな事件に至らないうちに、無理に我慢をせず転校、転地は有効な
処方の一つと思います。もし自分の子供たちも、いじめに遭うようで
したら、場合によってはすぐに転校させようと、この時の経験から
つねづね考えていました。

母は、大泉を去ることに反対はしませんでした。いじめで苦しかった
ことを詳しく話していただけに、やむを得ないと思っていたのでしょう。
ただ笑顔はなく無表情な反応でした。本当のところはどうであったのか
亡き今は聞くことはかないません。

対照的だったのは下宿先のS家の人達。いつも明るく陽気なSおばさんは、
私が又前橋に引っ越すと聞くとびっくり。目を赤くし
「涙が止まらなくて困った」とハンカチで拭く手を休めることなく泣いて
くれました。Sおばさんの涙に深い愛情を感じとり、何かとても申し訳ない
ような気持ちになりました。
私の下宿引越しをこんなにも嘆き悲しんでくれたのは、後にも先にも
Sおばさん以外にはいませんでした。チャンバラ仲間のかわいい2人の
“弟たち”との別れもつらいものがありました。

U君からのいじめ終息宣言が、もっと早ければ・・。
しかしすでに、転校、転居するという私の気持ちは固まっていたのです。

引越しの日、大泉に来てからも交信の続いていた前橋一中のY君が、Y君の
お父さんの車でお父さんと一緒にS家の玄関まで迎えに来てくれました。
しかしS家の人は悲しんで家から誰も現れず、見送りのないさみしい出発と
なりました。(つづく)


【写真】北中の友人Kb君(左)と。S家の前で。
    自慢の自転車にご注目。サンヨー製のスピード計が装着。
    このメーターで測るとS家から女子寮まで約3キロでした。

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三洋OBの力作を読む

2009年11月21日 | 研究・書籍
『洋友』平成21年秋号で紹介された「老大学院生体験談」の記事で
本書『マルクスの株式会社論と未来社会』を知り、手にとって読んで
みました。


最初に、パラパラと目を通した時は「アソシアシオン」「擬制資本の
マジックスキーム」などの用語が止まり、とても難解そうに見えた。
しかし、じっくり向かい合うと、著者と同じようにわたしも長く株式
会社のなかで従事してきたものとして、株式資本が行き届く形態の
役どころとしての積極面などは、何とか理解することができた。
『資本論』原典からの引用も多く、久しぶりにホコリにかぶった
『資本論』を取り出し座右に置き読解を進めた。

著者は退職後、学生(和歌山大)時代から疑問だった未解決課題を
京都大学大学院で学び、見事に検証しなおした。
指導教授が「序文」で述べているように著者、中野嘉彦氏は
「まれにみる好学の士」という形容は当たっていると思う。
これまで多くの学者達が、氏が展開するような「通過点」的な核心論議を
活発にして来なかったのはむしろ不思議。それは株式会社のもつ社会化の
意義を不必要に過小評価していたのと、崩壊した20世紀モデルへの傾倒が
そうさせていたようにも思える。ここに大胆に切り込むことができたのは
やはり株式会社員生活を十分経た著者ならではのことだったのであろう。

ルイス・ケルツ(米)の考案したESOP(従業員参加の持株制度)は、単なる
安定株目的だけでなく公平分配をもめざしたもので、日本では三洋電機が
初めて参画したということだが、このへんはさらに詳しく知りたいところ。

それにしても、実社会経験を持つOB研究生ならではの力作です



マルクスの株式会社論と未来社会
中野 嘉彦
ナカニシヤ出版

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紋次郎の季節

2009年11月19日 | 映画・芸能
kogarashimonjirou 天涯孤独の紋次郎


きょうはずいぶん冷え込みました。
この季節、木枯し紋次郎のセリフが懐かしい。

末っ子は、「紋次郎」を知らなかった。
夕食後、紋次郎の数々の名セリフを説明する。
けっこう気にいったようでござんす(笑)


「アッシには関わりのネーことでござんす」

「世の中ってのはこんなもんでござんしょ」

「また会うこともネーでしょうが御達者で」

ここ上州新田郷に住むものとして、何か通ずるものが。。

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だるま寺に居たブルーノ・タウト

2009年11月17日 | 地域・一般
高崎の少林山達磨寺の紅葉は、今見ごろです=写真。
上毛カルタの「縁起だるまの少林山」。
初めて訪問しました。

静かな境内にたたずむ庵。
ここに世界的なドイツ人建築家、ブルーノ・タウト氏が住んでいた・・
知りませんでした。

ユネスコの世界遺産にもなっているベルリン・ブリッツのシードリンク
(集合大衆住宅群)の設計者。同寺の大蟲(だいちゅう)和尚の慈悲が
あったようだ。

ナチス政権に追われ、ここで数年過ごし、日本が親ナチに向かう中、
再び“亡命”の地を求めてトルコのイスタンブールに移ったという。
タウト氏は日本文化のすばらしさを著書で世界に紹介してくれた。

紅葉の中に埋もれるようにして今も残る「洗心亭」。
高崎の中心街からもかなり離れた少林山。まるで隠れ家のようにも。

ぜひ一度、足を運ばれてはいかがでしょうか。
少林山達磨寺のホームページ(ブルーノ・タウト)



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藤田志穂の『ギャル農業』

2009年11月15日 | 研究・書籍
19歳で起業し「ギャル革命」の旋風で注目された藤田志穂さん。
今度は「食、農業」を“革命の対象”にしてビジネスを展開中。
ギャルたちで作った秋田県大潟村産のお米の名は「ジブヤ米」。
命名は渋谷のハチ公が秋田犬だから?

動機が良い。
「日本の自給率は40%くらい。自分たちが食べるものは自分たちで
まかなえる環境にしたい。安ければよいでなく安全な食品を」と。

これまでのギャルたちの炭水化物を避けるダイエットでなく米中心
の和食が本当のダイエットにも役立つ、とも指摘。
イケてる農業めざして自らは「ノギャル」を宣言。
「ブランド品のエルメスだってもとは馬具工房からだった」と言う
彼女は、ある種先駆者です。

「何か新しいことをする人に対して賛成は2、反対も2、残る6は
様子見」苦労を経たギャル社長ならではの実感だと思う。

お堅い中央公論新社から同書が発刊されたのもうなずけます。
前向きな若い起業家、藤田志穂。
彼女の周辺に熱いものを感じます。

【写真】秋田経済新聞から。(中央が藤田志穂さん)


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ギャル農業 (中公新書ラクレ)
藤田 志穂
中央公論新社

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【中学下宿記】(15) 突然のイジメ終息宣言

2009年11月13日 | 中学生下宿放浪記
校内のいじめについては、担任の先生にも相談しました。
そして、ここはどうしてもなじめないので他校に移りたい、とも。
どこに行くのかの問いには、「前橋に戻ります!」ときっぱり。
先生は黙って私の話を聞いていましたが、ぽつんとU君について
「実は、Uのお父さんはアメリカ兵で、すでに帰国して不明なのだ。
今、Uはおばあさんに育てられ一緒に暮らしている」
と、同情を交えた話し方をされました。
「えっ?ほんとですか!」

U君は、いつもハウスに住むHさんを「ガイジン、二世」といって
いじめている。そんな彼が、彼自身が!
にわかには信じられませんでした。
U君は、外見が体型的に小柄で、日本人離れしたところは感じられない。
ただそういえば、なんとなく当時、テレビに出ていた歌手のジェリー藤尾
に似ているなとは思っていました。

それでも日に日に“脱出”への決意の固まる学年末期の午後、商店街
(今のN書店あたり)を歩いていると、偶然反対の通りにいたU君が
「来い!」と叫んでいる。「しまった」彼の左右には強そうな側近が2名、
脇をしっかりガードしている。
《3対1では勝目はない。でも学校の中ではなく街中だからそう手荒な
ことはしないだろう、されたらすぐ逃げよう・・》など、とっさに考えながら
しかたなく恐る恐るそばに近寄っていきました。

「おい、俺はもう桂をいじめるのを、止めるぜ。もういじめねェ~からな」

今、思い返すとジーンとくる言葉でもあるのですが、その時は、何を
気ままなことを言ってやがるこの暴れん坊め、とばかり思い、一刻も
早くその場から立ち去ることだけを考えていました。(つづく)



【写真】1961年頃の坂田。今のグリーンロード商店街付近。
    前方が太田方面、広大な米軍輸送基地。
    写真右上辺りが現在のベイシア大泉店の位置。
    マミヤ35Sで撮る。

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【中学下宿記】(14) 女子寮浴場で、のぞきチカンに

2009年11月10日 | 中学生下宿放浪記
女子寮の部屋には、それぞれ一人に一つのロッカーがありました。
母の部屋にもロッカーが備わっていましたので、その一つを拝借し
それを「新日本研究所」と名づけ、漠然と新しい日本を造るための
場所とするぞ、と一人でいきがっていました。

さて、“ロッカー研究所”の本部が決まり、今度はこれを宣伝
しなくてはと思い最初にその話をしたのが寮の浴場ボイラー係
をしていたKおばさんでした。

話をするとKおばさんも、なかなかの苦労人で「新しい日本」
の考えには賛同してくれました。
以来ボイラー室へはちょくちょく遊びに行きました。プールの
ように大きなお風呂だということなので、一度おばさんに頼んで
入浴させてもらいました。

ある平日の昼下がり、
「寮生はまだ帰らない時間だから大丈夫」とKおばさんに確かめて
もらって入ってみました。その頃、市内一般の入浴場(風呂屋)
では小学生までは男子も女湯に入れました。母と女湯によく一緒に
行きましたので、中1の私にはただの銭湯の延長の感覚でした。

中は想像通り大きなお風呂。これは広くて気持ちよいと一人で口笛を
吹いて上機嫌~♪
湯をばしゃばしゃかけては子犬のようにはしゃいでいました


しばらくしふと気がつくと、高い位置にある横長の窓になにやら動く
かすかな影を感じました。
「うむ??」
窓の方へ急に振り向いて僕は仁王立ち。
「あ~ア~」
影は男の顔でした!
その瞬間

ガターン!ドスーン!!

驚いて逃げた男が足場を失って外で倒れたような音がしました。
まるで、テレビのコントです。
突然のことでびっくりしました。
いや、驚いたのはのぞき未遂のチカン男の方だったかもしれません。
まさか女子寮浴場で、男子中学生の一物を拝むハメになるとは・・

さっそく桂先生こと母へ事の詳細を報告しました。
浴場に限らず、寮に面した道路でもチカンは絶えなかったようです。
わが家のような女子寮でしたが、お風呂は一度でこりごりでした。(つづく)


【写真】「東京サンヨー」社内報1961年新春号

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映画『沈まぬ太陽』が問うもの

2009年11月09日 | 映画・芸能
約3時間半の長い映画でした。映画『ガンジー』のように途中10分の
intermission(休憩)が入りました。
おそらく途中で居眠りするだろうな、と思っていましたがその予想は
当たりませんでした。それだけこの映画に惹きつける強さがあったと
いうことでしょう。

昨年観た『クライマーズ・ハイ』の時と同じように、作品からの問い
を考えされられました。

象が撃たれた場面、海外勤務は社内的に不遇なような描き方は必ずしも
気持ちの良いものではありませんでしたが、全体を通し渡辺謙演じる
主人公、恩地元の生き方は一本、筋が通っていました。

良い意味で大人の硬派の映画です。
大入りの館内には、若い人の姿もありましたが、ちょっと難しかったかも
知れません。しかし若い人がこの作品から何かを感じ取ることが出来れば、
将来、頼もしいと思います。
原作も読んでみたくなりました。



沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫)
山崎 豊子
新潮社

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太田高校応援団(校歌) in 前橋

2009年11月08日 | スポーツ・健康
太田高校応援団(校歌) in 前橋


晩秋の安息日。ビデオを整理しました。
7月25日のブログ(相手校に挨拶に行った律儀な応援団)の補足映像です。
母校の校歌(土井晩翠作詞)は、いつ聞いても元気づけられます。

カメラは、三洋XactiHD700。


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いまどきの言葉

2009年11月07日 | 教育・文化
過去の手帳を整理しています。
気になる「いまどきの言葉」のメモがありました。
取材源は、高校生、専門学校生、そしてわが家。

すごくナイ/↑

うまくナイ/↑

いいカンジ

信じられナイ

ちょうやべい
ちょううざい
ちょうむかつく

・・っすか?

びみょ~(微妙)

ありえない

うまっ(美味い)
 (語尾を短縮する。こわっ(怖い)、くさっ(臭い)など。

なにげに(なんとなく)

でしょ、でしょ

楽器の「ギター」なども「ギ」を強めず平板に発音する。
違和感がありましたが、ちょー(超)などはすっかり耳慣れ。

私もなにげに、口にするようになってしまいました



【写真】わが家の歌姫、桂 宏美


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【中学下宿記】(13) “ハウス”に住むクラスメイト 

2009年11月05日 | 中学生下宿放浪記
私のほかに、もう一人いじめに遭っていた子がいました。
女の子です。
この頃、「ハウス」と呼ばれた在日米軍の官舎住宅がありました。
この子、Hさんはハウスに住む中学生でした。

「キャンプドルー小泉」が返還され東京三洋電機が操業を開始してからも
小部隊ではありましたが米軍は一部、保安警備隊等が駐留していました。

北中に転校の日、校長室で母と説明を受けました。何気なく外を見ると
体操をしている一団が目に入る。中でもひときわ大きく色白で長身の生徒が、
印象に残りました。その子がHさん。私が転入した組で一緒になりました。

憎きいじめ野郎、U君はHさんを「二世」「ガイジン」とからかって小突く。
それまでの私でしたら、正義感を燃やしてすぐに止めに入るところですが、
キバを抜かれた転校生羊は、見て見ぬふり。情けないありさまでした。

一度、物を届けにHさんのお母さんが来校したことがあります。和服姿の
小柄な人であまり似ていない感じ、Hさんはお父さん似だったのでしょう。
英語の授業では、先生より発音が良く、Hさんが良く指名され模範朗読を
しました。あまりのきれいな声に、みな感心して聞き入っていました。

ある時、仕上がった文集が各自に配られました。転校したばかりの私の
作品はありませんでしたが、下宿に持ち帰り床の中でそれを読みました。

Hさんの作品は『人間はみな兄弟』。
「人類、人間はみな兄弟、愚かな争いをやめて助け合おう」という内容。
じーんとした気持ちにさせられました。
「転校生の僕も辛いけど、きっとHさんも辛いだろうな」と、涙ぐむ。
その文集、失くしてしまったのですが、今でもHさんの詩は私の記憶に
しっかり留まる傑作です。(つづく)


【写真】古いレコードジャケット。本文とは無関係です。


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「脳の話」 軸索は生涯育つ

2009年11月04日 | 研究・書籍
松嶺福祉短期大学の公開講座、講義講座編は、今日が最終回。
鈴村健治副学長による『脳の話』がテーマだった。

4歳女児が右脳を、米UCLAで全摘手術したブランディちゃんの実例。
左脳がその後、空の右脳分もカバーし、音楽や数学の学力も支障なく
成績も抜群に良く優秀高校生に選ばれるまでに成長した。

病気等で脳疾患で右脳、左脳が仮に損傷していてもリハビリを
あきらめず行い続けることで必ず回復がみられる。

脳には回復力がある。「回復してやるぞ」という意欲があれば、大丈夫。
ブランディちゃんもリハビリでは痛く、泣き続けていたが耐えた。

軸索(じくさく=神経細胞から発する1本の突起、ニューロンの構成要素)
は生涯、学習で育ちつづける。それには興味、関心を失わないこと。

松嶺短大は、既に学生募集停止が決まっているにもかかわらず公開講座は、
昨年より回数減にはなってはいたが、太田市教育委員会のバックアップで
本年度も継続した。受講生としては大学の姿勢に深く感謝したい。
お陰さまで、今秋も脳内エネルギーを活性化することが出来た

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老人との上手なつきあい方―老年期の日常心理学
鈴村 健治
ブレーン出版

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【中学下宿記】(12) 二人の“弟たち”

2009年11月01日 | 中学生下宿放浪記
下宿を替わりました。
下小泉のS家に。こちらは教師だった夫を早くに亡くされ、男の子2人と
お暮らしの兼業農家の奥さんのお宅。二階の一室に住むことになりました。
隣りの部屋は、三洋電機に通勤の女子社員2名が下宿していました。

新しく弟たち(小学5年と2年生)ができたようで下宿は楽しくなった。
大泉町は春秋に、土地、農業の神様に感謝するという「社日まつり」と
いうのがあり、70年代入り、今ではサンバで有名になった「大泉まつり」
が始まり主役が移ってしまいましたが当時は、なんといっても社日様の全盛。

社日がやってくると家の中は「社日だ、社日だ」と大騒ぎ。小泉神社を中心に
周辺の露天は大賑わい。子供たちの目の輝きがちがいます。
これって前橋の「だるま市」と同じだなと思いました。主役が「だるま」か
「農機具」か、のちがいだけ。
輪投げゲームで、大きな観音様像を得たのは、今でも良い想い出です。

“弟”2人とも良く私の言うことを聞きました。たまにケンカもしましたが
すぐに仲直り。S家の食卓には、その頃まだ普及間もないテレビがあった。
弟たちと「ライフルマン」や「怪傑ゾロ」、時代劇を見た後は、皆興奮して
ちゃんばらごっこの時間となります。
小2の弟分Sちゃんは、テレビの影響の“映像第一世代っ子”らしく刀を
構えると必ず曲入り、伴奏付きの声で

ちゃ~ん♪♪♪ちゃんちゃ~ん♪♪♪

真剣なその表情は可愛かった。

S家から女子寮までは約3km。クラスの中で友達も次第にできてきましたが、
学校でのいじめは続いていた。
S家は、奥さんも優しく家族一員のように過ごせました。ただ時々「前橋」が
だんだん懐かしくなる。夜、夢では、いじめとは無縁だった小中学校の友人
たちとの生活ばかりが再現される。「ああ、いじめのない前橋に戻りたい」
そう思う感情が徐々に出てきたのでした。(つづく)

【写真】S家の部屋から。
  私の手元にある小さな人形は、ブームだった“だっこちゃん”


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