「先生にどうしても私の気持ちを伝えたかったんです。二十歳になりますが、これまで朝鮮人でよかったと思うことなんて、ひとつもありません。北朝鮮のことがあってからというもの、ひどいことばかりです。わたしは朝鮮でも、韓国でも日本でもどうでもいいんです。ただ、お父さんとお母さんのことを隠すような生き方はしたくないんです。だから朝鮮人で生きていきたいんです。でも何でそれが悪いのでしょうか。どうしてこんなに辛いんでしょうか。先生どうしたらいいんでしょう」
目が潤み、今にも泣き出しそうな(女子)学生の姿に私(姜尚中)は一瞬、声を無くしてしまった。目の前に30年以上も前の自分がいるようだった・・・。
姜尚中の著書『在日』の一節からです。出自に苦悩する若者の言葉、そして著者の温かいアドバイスに涙が出ました。
この夏、集英社の文庫キャンペーン「ナツイチ」商戦に乗り、前から気になっていた姜尚中の『在日』を読んでみました。決して明るい内容ではないが、ここでも「悲観的に考え、楽観的に行動しよう」のフレーズが当てはまるよう。ただ後味はわるくない読後感を与えてくれた1冊です。
福島の原発事故に対して、姜尚中は「原発周辺の地域社会が地図の上から消えてなくなるかもしれず、二次、三次被害が広がるだろう。先の戦争は『国破れて山河あり』で、復興のための足場があったが、今回はその足場がアンタッチャブルになり『国破れて山河なし』となる可能性がないとは言えない。」とクールな評論をしていた。
ちょうど一年前、当広場では、群馬の作家「金鶴泳」について触れたことを思い出す。在日二世として、姜尚中との共通点と違いを思い浮かべた。
両人とも、教養のある高学歴者として日本社会では生活基盤を有した人だ。しかし金鶴泳は終始自殺願望が抜け切らず、最期はそれに殉じた。一方、姜尚中も精神的な葛藤から一時うつ症状になるも脱した。両人とも、金嬉老事件(1968年)には大きな衝撃を受けている。
姜尚中は内攻的な性格と自称しながらも、在日韓国人学生運動に参加するなど対外的な行動には積極的な関わりをしている。姜尚中の家庭は貧しくても、父と母が優しく人間味のある家庭だった。それに使用人のおじさんも。
金鶴泳は、財力のある父親が家族を暴力支配していた。父に反発し、後に妻子を得ながらも心は安らがなかった。「家庭不和がどんなにか人間を不幸にするか、自分の文学のテーマの中心は結局のところこの1点に尽きてきた・・」(『土の悲しみ』)
姜尚中(カン・サンジュン)と金鶴泳(キム・ハギョン)・・
暑い夏の読書には、ぴったりの二人だ。それは二人がとてもクールだから。
【写真】金鶴泳、東大生の頃。