Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

川上駅 北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 9月6日 2014年

2015-06-09 | Weblog
川上駅跡には2013年9月にも訪れました。

その時はすでに駅舎の姿はなく工事車両と建設資材の置き場、そして駅前のランドマークが残されていました。

2013年の川上駅の記事はこちらから。



川上駅手前の利別川にはプレート・ガーダー桁が残されていました。

国道を走っていて、チラ見した時に「赤いもの」が眼に入りクルマを止めて側道から観察しました。



今は水深は浅く川底が透けて見えています。

橋脚に絡まった枯れ枝を見ると、水量が増した時にはなかなかの“暴れ川”になるのではないでしょうか。

ここから眺めただけですが、見た感じではレールはすでに撤去されているように見えました。

“現場”まで行って確認しない辺りは、まだまだ初心者の「甘さ」ですね。

エキスパートの方々なら当然「自足」で確認するところでしょう。



川上駅跡は2013年に訪れた時よりも荒廃が進んでいるように感じました。

当時は工事車両や資材などが積まれていて、人の気配や“活気”みたいなものが感じられましたが、今はそれもありません。

工事の様子を見て、この川上駅跡も鉄道記念施設などに整備されるのかなぁ~などと密かに楽しみにしていたのですが、それも無かったようです。



特徴的な形状のふるさと銀河線駅名標のフレームだけが残されています。

後方に見えているスチール物置のような建物は…前回もここにありましたが、防災無線施設の電源設備か何かでしょうか。



ホームの縁石は残されその下には路盤を確認することが出来ます。

路盤の除草は行われているようで、辺りの“生え放題”の夏草の勢いとは異なって見えます。

以前にはこの辺りから“停目”が見えていたはずなのですが、今は撤去されたのか見当たりません。

(*2013年の記事の写真には確かに写っていました。)



こちらの方向が先の「分線駅」になります。

この先、暫くは路盤の除草がされているようで、細い線が続いているのが見えます。



駅前のスペースとその後方が国道となります。

オデ君と工事車両が写っていますが、人の気配はありませんでした。

もし関係者の方がいらしたら、川上駅の今後を訪ねてみたいと思ったのですが…



森林資源の町らしく、丸太材で造られたランドマーク、上部には「銀河鉄道」を象徴するような金属製のアクセントが取り付けられています。

夏草の丈は以前よりも高くなっているような気がしました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

分線駅 北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 9月6日 2014年

2015-06-08 | Weblog
陸別駅の隣駅 分線駅があったと思しき地点へやってきました。

これまで見てきたふるさと銀河線の廃駅は、その駅舎跡が地域のコミュニティーとして利用されていたり記念施設として保存されていたりと、とても分かりやすいものばかりでした。

この分線駅跡は、まだ廃線駅巡り初心者としては、ちょっとハードルが高かったです。

写真で見る分線駅は、宗谷本線などでよく見た「ウッドデッキ」風のホームのとても小さな駅…というか「停車場」でした。

草むらを前に…「地図と座標からこの辺だけど…」と、ちょっと腰の引けているオジサンです。

無理に「藪漕ぎ」して危険生物やダニに噛まれるのを恐れています。


なるべく草などに触らないようにして、路盤がありそうな処を見つけて草むらに分け入ります。(ほんの少しだけです。)



ようやくの思いで(おじさん的レベルでの話しですよ)路盤とレールを見つけました。

雪解け後だったら草の邪魔は少ないでしょうから、もっと路盤が良く見えるでしょう。



率直な感想として、これは楽しくありませんでした。



電柱の配置からも、この辺りが路盤であったのが想像できます。(レールが見えているし…)

もうこの辺が限度ですね。

これ以上は身の程をわきまえているオジサンには無理な領域です。

安全第一です。

この辺で引き返します。

超ビビリーなオジサンでした。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベンチ テラコッタ・タイル清掃 6月6日 2015年

2015-06-08 | Weblog
前回、朽ち果てたベンチの木部を再生する記事を書かせて頂きました。

せっかく綺麗になったベンチを設置してあるスペースのテラコッタ・タイルを「高圧洗浄機」で綺麗にしてきました。

苔のような物体が黒くタイルを覆っています。

このような汚れをデッキブラシでクリーニングしようとしても、なかなか汚れを落とせるものではありません。

しかし…写真中の「高圧洗浄機」を使えば簡単に汚れを落とすことが出来ます。

この黄色い筐体の「高圧洗浄機」、ガレージに準備してある様々な道具の中でも非常に使用頻度の高い有用な「道具」であります。



一仕事した後の画であります。

テラコッタ・タイルの黒い汚れはすっかり落ち、煉瓦の目地の汚れまですっかり落ちているのが分かります。

これだけ顕著に「汚れ落ち」が実感できますので、ついその周りの汚れが目立って、次から次へとクリーニング対象が拡散していきます。
これが、「高圧洗浄機」の困った点であります。

上下の写真で比較して頂くと分かりますが、苔の生えてしまったウッド・デッキも勢いでクリーニングして綺麗な木肌が戻っています。



バーベキュー・コーナーの風景です。

囲炉裏は勿論、その隣の大型のテーブルや折り畳みのベンチなども「高圧洗浄機」で苔の汚れを洗浄しました。

左隅のテラコッタの辺りはまだ汚れが残っていますが、ここは次回の作業に回します。



その理由は…この「ブランコ」の洗浄を始めてしまったからです。

以前は「ナチュラル・カラー」でペイントしてあったのですが、「ブランコ」と言えば「白いブランコ」でしょ~というわけで今回は白く塗りなおすことにしました。

キシラデコールの白色は…「ワイス」という色名です。
あまり馴染みのない名前ですが、ワイス(Weiss・Weiß)はドイツ語で白 を意味するそうです。

発注する時にかなり迷いましたよ、ホワイトとか書いておいてくれれば助かりますが理解するまでに時間が掛かりました。

キシラデコールの原産国というか発明した国がドイツなので、色名にもその影響が出ているのでしょうね。



まだ日は高く仕事は出来るでしょうが、本日はここまでです。

ペンキ塗りをするにも、木部が乾燥しないことには作業は出来ませんからね。

目的はこちらですが…

明るいうちから外で飲むビールは最高に美味しいです。

ビールの写真を撮るのも好きですね!

営業写真みたいにスタジオで室温のビールに霧吹きで水滴をつけたりの写真ではなく、本当に自分で飲む本物の美味しいビールの写真を撮るのが大好きです。

いくら美味しそうに見えているビールでも「飲めなかったら意味がない」です。

こんどはですね、ガラス製のサイド・テーブルを購入しましたので、綺麗になったベンチの横にそれを置いてビールを飲もうと妄想しています。



さて、こちらは翌日の朝の風景であります。

昨日、洗浄した「ブランコ」を白く塗っていきます。

この写真、朝の6時頃です。

しかし、朝日といえど白いペイント部に反射して眩しいこと、とても直視できません…サングラスをかけながら作業をしました。



「高圧洗浄機」で洗浄したブランコの木部は、モノタロウで購入した0.7リットル缶の高価なキシラデコールをグイグイ吸い込んでいきます。
「ちょっと、止めてよネ」な気分です。

今回は分量を見誤って1缶では「下塗り」程度のことしか出来ませんでした。

せっかくの晴れの休日を、勿体無いことをしました。



材料が無いのでは仕方がありません。

作業はこの辺で終了!です。

今度はケチらないで、4リッター缶を購入することにします。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふるさと銀河線りくべつ鉄道 北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 9月6日 2014年

2015-06-05 | Weblog
えらく長いタイトルとなってしまいました。

北海道の鉄道に興味のない方なら「一体何のことやら?」と思われるでしょう。

「ふるさと銀河線りくべつ鉄道」は、「ふるさと銀河線 陸別駅跡地」を利用した鉄道保存展示施設で、営業に使われていた気動車を動態保存し夏季限定ではありますが、体験乗車や気動車の運転体験などが出来る施設の名称です。

事業主体は「陸別町商工会」で(有)銀河の森 が管理運営を行っています。

銀河の森では他に「銀河の森天文台」や「銀河の森コテージ」を運営しているようです。



旧ふるさと銀河線の鉄道駅と「道の駅」を兼ねた「道と鉄道の駅」でしたが現在は「みちのえき オーロラタウン93りくべつ」として営業しています。

施設には十勝バス、北見バス案内所・関寛斎資料館・観光物産館、2階に宿泊施設のオーロラハウスがあります。






施設内には鉄道にまつわる様々なものが展示されています。

網走線開業102年の記念ヘッドマークも展示されています。

突き当たりに見える一段低くなったところが、「りくべつ鉄道」の体験乗車などのチケットを販売している窓口です。

乗り物大好きオジサンの私ですが、自らが運転とか乗車とかはあまり好きではありません。

気動車の運転体験も同様の理由でほとんど興味を示しません。



ホームに出てみます。

前方には立派な跨線橋が見えています。
「見てみたい!」です。

画面右手 路盤近くには黄色いベストを羽織って青旗を持った係員の方の姿も見えます。



ホームには体験乗車のお客さんが乗車する通称「白メーテル号」が待機しています。



窓にはこのようなサボ?が掲示されています。

メーテル号と表示されていますが、ラッピングからも分かるように「白メーテル号」でありました。



ホームの先には「 寛斎駅車庫」と呼ばれている施設でしょうか。

2013年に訪れた時にチラ見したことがあります。



分線駅の駅名標がホームに展示されています。

白い部分が見事に剥がれてしまい、アルミの地肌が露出してしまっています。

これもメタリックなクールな雰囲気で宜しいのではないでしょうか。

何となく映画ターミネーターに登場する「液体金属ロボット“T-1000”」を連想してしまいました。

単純ですね。



渡ってみたい跨線橋…入り口には扉があり、入場を制限しています。

跨線橋内は「本別駅」のそれと同じようにギャラリーとなっていて「ふるさと銀河線」の写真等が展示されているようです。



体験乗車の列車が接近してきているのでしょう。

信号員の方が「緑旗」を広げて現示しています。

右手には「赤旗」をもっています。

鉄道業務の手旗は「赤旗・白旗・緑旗」の3種の旗が使われ、旗の持ち方で合図の意味が変わります。



鉄道業務では手旗の現示の方法が省令によって定められています。

緑旗を広げて掲げるのは“出発指示合図「発車よし」”という合図だそうです。



道の駅駐車場からホームに停車中の「黄メーテル号」を見ます。



こちらのホームにもラッピング・フィルムが剥げてしまって「液体金属ロボット“T-1000”」風になってしまった「陸別駅」の駅名標が展示されています。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大誉地駅 北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 9月6日 2014年

2015-06-03 | Weblog
大誉地駅 目の前の駅舎は1954年に新築されたものと説明されています。

新築されたといっても…すでに61年も昔の話です。

その割にはモダンなデザインでしっかりとした建物です。

正面の庇の下には「大誉地駅」と大きなホーロー製の駅名標が掲げられています。

大誉地駅の駅名由来を例によって北海道新聞社刊「北海道 地名 分類 字典」で見てみますと…
 
【大誉地】
①オo・イi・オチot=そこに・それ(蛇)が多い・処
②オヨチoyochi=熊害多き処
などと説明されています。

この駅名を見ると「蛇」を連想してしまうのは「大誉地→大蛇(おろち)」という思考のせいでしょうけれど、まんざら関連が無いわけではありませんでした。



駅前から振り返ると、いつもの国道からの単純なアプローチとは異なる風景が広がります。

風が吹いたら倒壊してしまいそうな危なげな家屋も残されています。
比較的新しそうなログハウス風の建物は公衆トイレでした。

かつてこの駅が森林資源の搬出など最盛期には年間12万人以上の利用客で賑わったとは思えない静けさです。



正面入り口の引き戸は施錠されているため駅舎横手を通ってホーム側へと回ります。

草が生えていますが歩くのに困難な程ではありません。

暖房用の煙突でしょうか、建物とは異なる新しさです。



駅舎ホーム側です。

路盤があったと思しき辺りは丈の高い夏草で覆われています。

駅舎自体は地域の方々がメンテナンスをしているからでしょうか、状態は良好だと思います。
*敷地全体の勢いのある夏草の除草は大変な労力を必要とするでしょう。地域の方々の高齢化と夏草の繁茂は密接な関係があるように思われます。



駅舎からホームへはここを使っていたのでしょう。

引き戸の上部欄間には毛筆風の書体で「およち駅」と書かれています。

ガラス戸からは中の様子を見ることが出来ます。

駅備品とは雰囲気の異なるベンチが置かれています。

駅業務を行っていた窓口など当時のまま保存されているようです。



駅舎のもう一方の“妻面”であります。

ここから先はちょっと踏み込む気がしませんでした。

危険生物や“ダニ”の連中が気になりますので引き返します。



振り返って今来た通路を見ます。

ここにホームや路盤があったとは思えないような風景です。



大誉地駅を観賞に訪れたのは、2014年9月6日のことです。

その時には何も知らなかったのですが、この駅舎は2015年1月に解体処分とすることが決まっていました。

2014年11月21日の十勝毎日新聞に報じられていました。

足寄町は地域での利活用を模索してきましたが具体的な活用策が無いことから解体処分が決定したようです。

これまで地域の有志の方々によって保存活動などを行ってこられたようですが、人口減少、高齢化などによって保存を続けていくことが困難になったのもその一因です。

1910年網走線として開業した「池北線」100年以上の歴史の一部として名前を連ねていた「大誉地駅」
新築された駅舎ですら60年以上の歴史を纏っています。

その駅舎も前述のような理由でその歴史から姿を消そうとしています。

出来れば北海道開拓の歴史の証人として後世に残して欲しい気持ちもありますが、これが今の現状なのでしょうね。

その後、新聞の記事等を気を付けて見ていましたが、「解体された」との記事とか写真は見当たりませんでした。
中止になったのなら良いのだけれど…などと思い、実際のところはどうなのかと、足寄町役場に訪ねてみました。

役場の担当の方が仰るには、新聞記事の通り2015年に解体されてしまったそうです。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オデ君 RA-8 車検 5月29日 2015年

2015-06-02 | Weblog
先月は不慮のアクシデント、オデ君のフロントガラス破損で出費があったばかりですが、今月は車検の期日がやってきました。
いくら「嫌だ!」といっても車検の期日は待ってくれません。
いつものホンダ販売店で車検整備を行って頂きました。

写真は全てメカニックの方が撮影してくださったデータを掲載してあります。
ありがとうございました。

オデ君の登録は12/06/14 であります。
私の仕事上での表記だと 12月6日2014年 になるのですが、車検上ではオデ君の登録は「平成12年6月14日」です。
オデ君との付き合いはもう15年にもなるのです。

当初は「ただの機械」と思っていましたし一時期はP社の「Cayenne」に興味を惹かれた時期もありましたがこれほど長期間一緒に過ごすと気持ちはもう「相棒」そのものです。

広大な北海道の原野を走っていても、「オデ君とならどこまでも行ける!」と全幅の信頼を寄せられる存在であります。

他の家族、SL君やカレラ君、ロードス君には無い感覚であります。

その信頼の裏付けがこうしたディーラーさんでの整備に立脚しているのは言うまでもありません…と、言っていますが。



エア・クリーナーエレメントの状態です。
ま、汚れているといえば汚れていますが、今回は「清掃」で済ませていただいています。

一言目には(*二言目ではなくて…)「お金がない!」と言うこちらの経済状況を理解して頂けてありがたいです。



エンジンオイルの状態です。
こちらも、「汚れている状態」要交換です。
エンジン・オイルはよく人間の「血液」に例えられます。
血液ほど高機能ではないにしても、エンジンにとって大切な要素であることに変わりはありません。

昔はバーゲン品を購入してきて自分で交換していた時代もありましたが、もうそのような時代ではないのかも知れません。
近年は全てショップにお任せです。



エンジン・オイルとエレメントの交換の画だと思います。

作業中にこうして写真を撮っていただいているのですから、ピントがどうこう言うことは出来ません。

カメラをもうちょっとマシなものにしたら?…なんてのも大きなお世話ですね。



下回りの画ですね。
ダートなどはまず走る機会はないですし、走行の80%以上は高速道路を真っ直ぐ走るだけですから、ダメージも軽微だと思います。
左隅にブルーの物体が写っていますが、これはオイル・エレメントだと思います。

昔エンジン・オイルの交換をしていた頃を思い出します。

オデ君は、ジャッキ・アップしなくても、フロント・ホイールを左に目一杯切ると、エレメントを交換出来ました。

田舎のガレージで簡単にオイル・交換が出来ましたが、知り合いのGSが廃業してしまって「廃油」の処理に困るようになってからは、ショップに作業を任せています。



こちらは、リヤ側からフロント方向を見た画ですね。

アームなども綺麗で何の問題もなさそうです。

15年超過走行車のものとは思えませんね。



今回のお薦めメニューの一つ。
スパーク・プラグの交換です。

前回の車検の時にも薦められたのですが、その時も多分「お金がないから…」といういつもの常套句?で、作業は先延ばしされていました。(他人のせいみたいに言ってますが、自己責任です。済みません)

プラチナ・プラグやイリジウム・プラグなど、一回装着したら「一生モノ」と思っていましたが、プラチナでもイリジウムでも、プラグはやっぱり“消耗品”なのでありました。

20万キロ超を走っても、「まだ大丈夫!イリジウムだから…」などとほざいているオジサンは「困った客」と思われていることでしょう。



左が新品プラグ(見れば分かりますね)右が使用済みプラグ。

同じプラグだと思いますが、電極が「痩せている」感じに見えます。



フロント・タイヤの状態。

7分山+ 位は残っていると思います。

“レグノ君”には今しばらくは頑張ってもらわないと。



こちらは同じくリア・タイヤ側の状態です。

作業明細書には「タイヤ・ローテーション」と書かれていました。

亀裂、損傷、磨耗 については問題は無かったようです。

このセットで2セット目の“レグノ君”になりますが、あと2万キロ走ろうと目論んでいます。
また呆れられるかも知れません。



ブレーキ・ディスクです。
ブレーキ・パッドに比べると交換する頻度は少ないパーツです。

SL君とかカレラ君ですと、パッドを2回交換するとディスク1回交換というサイクルのようですが、オデ君など国産車の場合はそれほど頻繁に交換するケースは無いようです。



リア・ブレーキ・パッドの残量です。

10.5mmの残量があり、まだ交換の必要はありません。

写真中の金属のプレートは、パッドの残量が僅かとなった時にこのプレートがディスクに接触して「ギィ~」と嫌な音を立ててドライバーに注意を喚起する装置です。

SL君やカレラ君や最近のエレクトリック・カーなどはスイッチ・バルブが電気的に残量注意の信号を送るようですが、こうしたアナログチックな装置の方が「確実性」は高いと思います。

ただし、あらゆる階層の人々がクルマを移動のツールとして利用する今日では、「確実に今起こっている事象を運転者に信号を送る」という目的のためにはこうしたエレクトリックな仕掛けも不可欠な技術となったのでしょう。

ただ「ギィ~ギィ~」鳴いていても、何が起こっているのか分からない人も居るでしょうからね。



フロント・ブレーキ・パッドの残量です。

左側が使用済みのパッドです。
残量は約7mmほどですが、右側の新品と比較するとその残量は心許無い状態で交換となりました。



ブレーキ・フルードの交換とエアー抜きの作業だと思います。



ブレーキ・フルードは「DOT4」が使用されています。



リア・コンビネーション・ランプのそれぞれ☆ブレーキ、☆ウインカー、☆バック のバルブを新品に交換しました。

オデ君はこれまで電装品のバルブ切れなどは皆無でしたが、さすがに状態を見ると要交換ですね。

バルブ球面内は金属蒸着が見られ光量は低下しているでしょう。



こちらは左側のランプでしょうが、外観からすると新品のバルブのようです。

予算の都合からお薦めメニューの中から最低限、火急を要するものだけを選んで作業して頂きました。

見送った作業メニューの中には、ラジエターやオルタネータ などの交換も含まれていました。

20万キロ超のオデ君ですから、パーツも新品ではなく「リビルト品」での作業となりますが…それにしても「目指せ!30万キロ」を達成するにはまだまだコストと時間が掛かりそうです。

毎度「お金がない!(*本当のことですから…)」と作業コストを値切ったり省略したりと面倒をお掛けしているフロントやメカニックの皆様のお陰で今年の北海道旅行、関西旅行とも安心して出発することが出来ます。

ありがとうございました。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上利別駅 北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 9月6日 2014年

2015-06-01 | Weblog
北海道の鉄道木造駅の雰囲気をしっかりと残す、「上利別駅」へとやってきました。

先ほどまでは、「デザイン性」豊かな駅を見てきましたが、すっかり「国鉄池北線」の世界に引き戻された思いがします。

こちらの駅は2013年に訪れ記事を書かせていただいたことがあり、「初めて!」の新鮮感は若干薄らぎます。


2013年上利別駅の記事はこちらから。



駅正面の庇に取り付けられたホーロー製の駅名標も少しも変わっていません。
当たり前かな?



前回訪れた時と駅の表情は少しも変わりませんが、駅構内の駐車車両が増えています。

このクルマは、近くの製材所で働く方々のクルマのようです。



北海道廃線駅跡によく見られる「パークゴルフ場」ですが、上利別駅跡にも「上利別パークゴルフ場銀河コース」が整備されています。
パークゴルフ場、ホント多いですよ。
プレー人口が多いのでしょうね。
春~秋までの限定期間ですけれど。



駅舎横手を通ってホーム側へ行きます。

前回訪れた時よりも夏草などが刈り取られ歩き易さが実感できます。

地域の方々や保存会の方々が手入れをされているのだと思います。



駅ホーム側に出てきました。

窓の建具は一部アルミサッシに置き換えられています。




ホームは夏草で大分荒れているように見えますが、前回よりは大分整備された感があります。

右手の古レールで組まれた一画は、腕木信号機を操作する「信号てこ」と呼ばれる操作装置が設置されていた跡のようです。



ホーム側から駅舎を正面から見ます。

駅舎壁面に描かれた絵は最寄の足寄高校の生徒さんたちの作品のようです。

この作品が描かれた期日や目的などは分かりませんが、地元駅の親しみを増幅するための情操教育の一環であったのかも知れません。

今日の「世界遺産」や「文化財」などが尊ばれる世界観からすれば、「せっかくの文化財を…」と残念がる方も居るかも知れません。

しかしそれは今思う感情であり、当時の感覚とはズレがあって当然だとおもいます。

今の「上利別駅」の絵も駅が辿ってきた歴史の一部を物語ものとして保存する価値のあるものだと思います。



ホームの先には、ふるさと銀河線独特のデザインの駅名標フレームが残されています。





ホームから路盤を見下ろすとそこにはレールが残されているのを見ることが出来ます。

前回はホームからレールを見ることは出来ないほど夏草の勢いが凄かったです。

右手には操業中の製材所が見えています。



夏草が生茂り、こちら側から駅前にでることは出来ませんでした。



先ほどの「信号てこ」装置のあった一角の柱には「建物財産標」が残されています。

なかなかこの「建物財産標」にお目にかかれる機会は少ないんです。

こうしてお目に掛かれるのがある意味「財産」なわけです。



赤矢印で示した当たりが、路盤とレールが残されているあたりです。



駅前から国道方向を見ます。

突き当たりに見える辺りが国道242号線です。

かつては商店が商いを営み、駅の乗降客で賑わったこの風景も今は歩く人影も見当たりません。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする