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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■あなたも安心して眠ることができる / 安井 聖

2024年11月08日 | Weblog

2024/08/02放送

 「世の光」の時間です。私は東京・新宿区にある西落合キリスト教会の牧師・安井 聖です。

 初めに、旧約聖書詩篇第121篇3節のことばを口語訳聖書で朗読します。

 「主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。」

 何と力強いことばでしょう。私たちが信じている神は、天と地、私たちが生きているこの世界のすべてのものを造り、支配しておられるお方です。この神がお許しにならない限り、どんな出来事も起こりません。

 そして聖書は語りかけます。主なる神は、あなたの足が揺り動かされ倒れてしまうのを決してお許しにならない。
 ・・・神がお許しにならないのだから、あなたに災いが起こるなんてことあり得ないだろう?

 ブラームスの子守唄の歌詞に、このようなことばがあります。

 「朝が来て、神がお許しくださるなら、おまえは目覚めるよ。」

 私たちはごく当たり前のように、寝床に就いても明日の朝には必ず目を覚ます、そう思っています。
 でもこの歌はそんなふうに考えていません。
 神がお許しくださるから、明日目覚めることができる。

 でももし神がお許しにならないとしたら・・・ そんなふうに考え始めると、この歌はとても厳しい事柄を歌っているように思えます。
 でも、これは子守唄です。あなたのいのちは神の大きな御手の中にあるんだから、安心してお休みなさい。そう子どもに歌いかけているんです。

 私たちは誰一人として明日自分がどうなるかを前もって知ることなどできません。しかし、たとえ明日どうなろうとも、私たちを愛し、私たちのためにどんな犠牲をも惜しまれない神が、大きく温かな御手で私たちのいのちをしっかり握りしめていてくださる。生きている時だけではなく、死ぬ時にも死を超えて神がその大きな御手の中で私たちを生かしていてくださる。

 だからこそ私たちは安心して生きていくことができる。夜、安心して床に就くことができるんです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.8.2放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■神の喜びの大爆発 / 安井 聖

2024年11月07日 | Weblog

2024/08/01放送

 「世の光」の時間です。私は東京・新宿区にある西落合キリスト教会の牧師・安井 聖(きよし)です。

 新約聖書ルカの福音書第15章に、主イエスがお話しくださったこんな譬え話があります。

 父を裏切り悲しませてきた一人の息子が落ちぶれ果てて、どこにも行くあてがなく、最後に父のもとに帰ってきました。
 するとその父は、遠くから歩いてくる息子をすぐに見つけて、かわいそうに思って、駆け寄ってしっかり抱きしめました。
 ひどい裏切り方をしたその息子を、しかし父は咎めることばを一言も口にせず、喜びを大爆発させて家の者たちにこう言いました。
 「急いで一番良い衣を持って来てこの子に着せ、手に指輪をはめてやり、足には履物を履かせなさい。それから肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう!」

 主イエスはこの譬え話を通して、寛容で愛に満ち溢れておられる父なる神のお姿を教えてくださいました。
 それは、にわかには信じがたく受け入れがたいほどです。これじゃ甘すぎるよ。せめて何年間かはこの息子を雇い人として扱って、ちゃんと反省したかを見極めても良かったんじゃないか・・・、そう思う方がいらっしゃるでしょうか。

 私たちは自分にもそんなふうに厳しい目を向けてしまっているのかもしれません。過ちを繰り返してしまう自分の弱さを嫌というほど思い知らされているからこそ、そんな自分の弱さにいつまでもこだわって、「たとえ神が赦しておられても、私はまた失敗するんじゃないか」 そんなふうに思い煩ってしまって、愛に溢れる父なる神を見上げて立ち上がるということができなくなってしまう。

 しかし主イエスは、そんな思い煩いを吹き飛ばすような、私たちを喜んで迎え入れてくださる父なる神の喜びの大爆発を語ってやまれません。
 私たちはこの父の喜びの大爆発の前に立たされて、呆気にとられながら、でもだんだんと、「そうだ、神は確かにこの私を赦し、受け入れていてくださるんだ。」 そう信じることができるようになる。この神の喜びの大爆発こそが私たちに信仰を与えてくださるんです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.8.1放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■くどくど祈らなくていい / 安井 聖

2024年11月06日 | Weblog

2024/07/31放送

 「世の光」の時間です。私は東京・新宿区にある西落合キリスト教会の牧師・安井聖です。

 新約聖書マタイによる福音書第6章7節に、このような主イエスのことばがあります。口語訳聖書で朗読します。

 「また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。」

 知り合いのキリスト者が自分の子どもの頃の経験を思い起こして、こんな話をしてくれました。
 
 「私は小さい頃、寝小便に悩まされていた。その頃、教会学校に行って祈ることを教わっていたので、寝る前に『おしっこを漏らしませんように』と祈った。一回祈っただけでは不安だから、何度も何度も繰り返して祈った。繰り返せば神に聴いていただけるんじゃないか。しかしその祈りはまさに異邦人、つまりまことの神を知らない人たちのように、くどくどと同じことばをただ繰り返す祈りだったんだと思う。」

 神に聴いてていただけるか不安で、とにかく言葉数を多くして、くどくどとお願いしたくなる気持ちは、私たちにもよく分かるんじゃないでしょうか。
 でも、「これだけ祈れば大丈夫」と自分を納得させるためにことばを連ねて祈っても、心から不安が消えるわけではありません。そのような祈りは神を見上げているようで、実は「自分がどれだけたくさんのことばを重ねたか」と自分ばかりを見つめてしまっているのかもしれません。

 主イエスはそんな私たちに驚くようなことばを告げられます。

 8節  「あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。」

 「神が全部知っておられるのなら、もう祈る必要はない。」そんなふうに主イエスは思わせようとしているわけではありません。「あなたが祈る前から、神はあなたに必要なものを全部知っておられる。それならあなたは、いつでも安心して神の前に立つことができるじゃないか。神はあなたの父なんだ。父があなたのすべてをよく知っておられるんだから、あなたはこのお方に安心して心を開いて、何もかも打ち明けることができるんだよ。」
 
 主イエスはそう語りかけて、心から神を信頼して祈るように招いておられます。


 ( PBA制作「世の光」 2024.7.31放送でのお話しより )


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■わたしの人生は神の宮殿 / 安井 聖

2024年11月05日 | Weblog

2024/07/30放送

 「世の光」の時間です。私は東京・新宿区にある西落合キリスト教会の牧師・安井 聖です。

 イギリスの作家 C・S・ルイスは、私たちが神に救っていただくことを家の修繕に例えてこう言っています。

  「私たちはついこんなふうに考えるのではないか。私たちの人生はどうも完璧な家じゃない。雨漏りがしたり壁が崩れてきたりする。だから神にお願いして人生のボロの繕いをしていただかなければならない。それが救われるということだ。しかし本当にそうか? 神に救っていただくことは、そんなふうに古い家の繕いをしていただくようなものなのか? いやぁ違う。それは全くの勘違いだ。神がなさるのは古い家の修繕などではない。神は私たちの家を全く新しくしてしまわれる。しかも神は私たちの人生を宮殿のようにしてくださるんだ! 」

 これに続くルイスのことばに私はとても心打たれました。

  「なぜ神は私たちを宮殿のようにしてくださるのか? それは神が私たちの内にお住みになりたいからだ。」

  皆さん、これこそが私たちに与えられている救いです。神が私たちの内に住みたいとおっしゃってくださるなんて、何と大きな恵みでしょう。

 新約聖書のヘブル人への手紙第2章3節にこんなことばがあります。

  「こんなにすばらしい救いをないがしろにした場合、私たちはどうして処罰を逃れることができるでしょう。」

 これは誰もが、自分自身への神のことばとして襟を正して聴くべきことばです。

 しかし、そうお語りになる神は私たちを脅かしておられるわけではありません。

  「こう言いたくなるほどに、あなたには大きな救いが与えられている。 今すでに与えられているんだ! どんな悩みの中にあっても、どんな苦しみを抱えていても、今のあなたはわたしが住む宮殿なんだ。他のすべてのものを見ることをやめて、ただこの事実だけを見てごらん! この事実を喜びとして生き始めてごらん! そこでこそあなたはどんな悩みからも、どんな恐れからも解き放たれて生きていくことができる。」
 
 神は私たちにそう語りかけておられます。


 ( PBA制作「世の光」 2024.7.30放送でのお話しより )


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■はばからないで神に近づこう / 安井 聖

2024年11月04日 | Weblog

2024/07/29放送

 「世の光」の時間です。私は東京・新宿区にある西落合キリスト教会の牧師・安井 聖(きよし)です。

 初めに、新約聖書ヘブル人への手紙第4章16節を口語訳聖書で朗読します。

 「だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。」

 「はばかる」という日本語は、もともと「幅を取る」という意味のことばです。横に幅を取ると「憎まれっ子 世にはばかる」ということばのように横柄な態度を表しますが、縦に幅を取ると相手と自分との間に距離を置くことを意味します。
 ですから、はばかるとは相手に近づくことができない姿、相手を近づけることができない姿なんです。

 でも聖書はこう語りかけます。「はばかることなく、堂々と恵みの座に近づこう。神の恵みの座に、つまり神の前に、遠ざかるんじゃなくて、はばかることなく、遠慮なく近づこう。」

 私たちが、誰かのそばに近づきたくない、と思うのは、こんな自分を相手はとても受け入れてくれないのではないか、拒絶されて傷ついてしまうんじゃないか、そう心配しているからかもしれません。そんな気持ちの裏で、弱くて不甲斐ない自分自身の姿に自分が心を奪われてしまっているんじゃないでしょうか。

 この聖書のことばの直前の15節にこう語られています。

 「この大祭司」 ---これは主イエスのことです--- 「この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないような方ではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、私たちと同じように試錬に会われたのである。」

 主イエスは神であられたのに、私たちと同じ人間となってくださり、私たち人間の弱さをご自分も味わい、受け止めてくださいました。誰にも分かってもらえない、理解してもらえないと思う自分の弱さを、主イエスだけは深く同情し、思いやってくださる。だから私たちははばからなくっていいんです。遠慮しなくていいんです。はばからないで、喜んで神の恵みの座に近づきましょう。


 ( PBA制作「世の光」 2024.7.29放送でのお話しより )


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■逃亡者ダビデの讃美 ② / 羽鳥頼和

2024年11月02日 | Weblog

2024/07/27放送

 「世の光」の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 今日は、旧約聖書 詩篇56篇からお話しします。
 
 イスラエルの王サウルに仕えていたダビデは真心から王に仕えていたのですが、主人であるサウル王に妬まれて命を狙われ、逃亡生活を余儀なくされてしまいました。その上、敵であるペリシテ人に捕まってしまいました。
 ペリシテ人の王の前に出たダビデは非常に恐れて王の前でおかしくなったふりをしたので、その場から逃れることができたのでした。

 ダビデは、その時のことを振り返って、詩篇でこのように語っています。

  「心に恐れを覚える日  私はあなたに信頼します。」(3節)

 このことばはダビデの決心を語っています。神を信頼すると決心したダビデは、この詩篇でさらに大胆な信仰告白をしています。

  「神にあって 私はみことばをほめたたえます。神に信頼し 私は何も恐れません。肉なる者が私に何をなし得るでしょう。」(4節、10-11節も参照)

 「何も恐れません。」とは何と大胆な告白でしょう。それは神が自分を守っていてくださることを信じているからこそ言えることなのです。

 「みことばをほめたたえます。」とはどういうことでしょう。みことばとは神のことばのことです。神はみことばによって人に教えられたのです。

 神のことばによってダビデは神が信頼できるお方であることを知り、自分が罪人であり、神が自分を救ってくださることを知ることができたのです。

 「みことばをほめたたえます。」という表現は、みことばによって救いを教えてくださる神をほめたたえることなのです。

 ダビデは最後に神様にこのように語っています。

 「まことに あなたは救い出してくださいました。・・・ 私がいのちの光のうちに 神の御前に歩むために。」(13節)

 このみことばは私たちにも関係があります。神はキリストの十字架によって私たちを救ってくださいました。それは、キリストを信じる者がいのちの光のうちに神の御前に歩むようになるためなのです。

 明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。


 ( PBA制作「世の光」 2024.7.27放送でのお話しより )


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■裏切られたダビデの讃美 / 羽鳥頼和

2024年11月01日 | Weblog

2024/07/26放送

 「世の光」の時間です。お聞きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 昨日から、旧約聖書の詩篇から、困難の中にあっても神を信じ続けたダビデの信仰ついてお話ししています。

 今日は詩篇55篇からお話しします。

 この詩篇は、ダビデが、信頼していた友人たちに裏切られ、彼らからいのちを狙われた経験を通して作られたと考えられています。

 ダビデは苦しみの中で神の救いを確信しながら、「主は 私のたましいを敵の攻撃から 平和のうちに救い出してくださる。」(18節参照)と告白します。

 それだけではありません。苦しみの中にありながら、仲間である信仰者たちに呼びかけているのです。

  「あなたの重荷を 主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。」(22節)

 私たちが困難のとき、苦しみのとき、神にその重荷をゆだねるなら、神が支えて下さり、守って下さるのです。

 そして最後にダビデは自分の敵についてこのように語っています。

  「神よ あなたは彼らを 滅びの穴に落とされます。人の血を流す者どもと欺く者どもは 日数の半ばも生きられないでしょう。しかし私はあなたに拠り頼みます。」(23節)

 これは神の正しいさばきが行われることを願う祈りです。

 そして最後に語られる「しかし 私はあなたに拠り頼みます」とのことばは、自分も神にさばかれる者であることを自覚しながら、ただ神に信頼する、との告白なのです。神のさばきに自分を委ねているのです。

 「重荷を主にゆだねよ」ということばからイエス・キリストのことばを思い出しました。

 「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。」(マタイの福音書11章28、29節)

 キリストは重荷を一緒に負ってくださるお方です。キリストとともに歩むとき、たましいの安らぎを得ることができるのです。あなたの重荷を主に委ねましょう。


 ( PBA制作「世の光」 2024.7.26放送でのお話しより )


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