2024/02/06放送
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
今週は聖書の中から、人間とはどのような存在なのか、ということをご一緒に考えていきましょう。
創世記1章26節には、「神は仰せられた。『さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう』」 このように書かれています。
人は神様のかたちに似せて造られたと教えています。ここで神様はご自分のことを「われわれ」と言っておられますが、これはすべてを治めておられる神様は威厳に満ちた方ですので、威厳を表す「威厳の複数」という書き方をしているのです。
そしてもう一つ大切なことは、私たちの神様は三位一体なる神様です。聖書の神様は、父なる神、子なるキリスト、聖霊なる神、という三つの位格がある。ま、人間で例えるなら人格のようなものですよねえ。
そしてこの、父、子、聖霊は同じ本質をもっておられ、いつも一つの思いと目的を持って共にみわざをなされる。だから本当の意味で一体なのである、ということなんです。
いやぁこれはあのぅ私たちの頭では理解することがなかなか難しいんですよねえ。でも聖書の神様は三位一体の神様であるということを、どうぞ心に留めておいてください。
その神様に似せて造られたとはどういう意味なのでしょう。
第一は、「人は神様に向かって祈り、叫び、賛美し、あがめ、礼拝することのできる存在、すなわち神様とコミュニケートすることのできる存在として造られた」ということです。それは人間が単に肉体だけの存在でなく霊的な存在として造られているからです。
第二は、私たちの神様は完全な調和に満ちたお方です。ですから、この神様に似せて造られたとは、人は他の人と関わり調和を持って歩むことができる存在として造られているんですよ、ということなんです。人は孤独に生きるようには造られていません。
第三は、人は知的な存在として造られました。神様は人に、すべてのものを管理し、神様がお造りになった生き物に名前を付ける仕事をお任せになりました。つまり、人はそれぞれの特性を知り、見極め、養い、最終的に神様の素晴らしさがあがめられるように管理することができる能力が与えられ、造られたのです。
さてこのように人は造られたのですが、人が造られたその材料となったものは一体何だったのでしょう。
それは明日のお楽しみ。
( PBA制作「世の光」 2024.2.6放送でのお話しより )
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