2024/02/08放送
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今週は聖書の創世記の中から、人間とはどのような存在なのか、この世界はどのように造られたのかをご一緒に考えています。
創世記には、種類に従ってこの世界が創造されたことが記されています。創世記2章1節には「こうして、天と地とその万象が完成した」とあります。
完成と言っても、神様は全く動かない置物を造られたわけではありません。植物は花を咲かせ、木々は生長し、人も動物も増えて生き続けていくわけです。ですから、「世界が調和のとれた、自然の営みが育まれていくものとして完成された」という意味です。
創世記には、この世界は六日で創造されたと書かれています。この六日をどのように解釈するかはいろいろな違いがあります。
一つの時代の区分としての一日という理解もあるのですが、大切なのは、神様がこの世界を種類に従って創造されということです。
そして創世記2章3節を見ると、「神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである」と書かれています。
神様が創造のわざをやめられたとありますが、一体どういうことでしょうか。
「やめられた」とは「何もしない」ということではありません。造られたこの世界が完成したので新たな別のものを創造することはなさらなかったという意味なのです。
今でも、神様の介在がなければ、この世界の運行、すべての営みは一瞬たりとも継続できません。神様は、創造の初めから今に至るまでこの世界を治め、支えて続けてくださっているのです。
さて、創造のわざが六日で完成し、神様はこの七日目を祝福されたと書かれていますねえ。この「七日目を祝福された」ということば葉にはどういう意味があるのでしょう。
それは、神様は七日目は、創造されたすべてのものを祝福することに専念された、ということです。
これまで第六日までは、「夕があり朝があった」ということばで締めくくられていましたね。でも七日目にはこのことばはもう出てきません。
つまり神様の祝福は創造の完成した後は、今に至るまで絶えることなく継続しているのですよ、ということなんです。私たちはこの祝福の延長の中に生かされているということなのですねえ。
こうした約束に造られた人はどう応えていったのでしょう。それは次回のお楽しみ。
( PBA制作「世の光」 2024.2.8放送でのお話しより )
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