2024/02/07放送
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
今週は聖書の創世記の中から、人間とはどのような存在なのか、ということをご一緒に考えています。
人は神様に似せて造られた、と創世記には記されています。神様は人をご自分に似たものとしてお造りになるとき、どんな材料を使われたのでしょう?
創世記2章7節には、「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった」と書かれています。
人間の材料は、なんと、大地の塵だって言うんですね。辞書で「塵」の意味を引いてください。こう書いてあります。「利用価値のない、こまごまとした汚いもの。全く値うちのないもの」、このように記されています。神様は全く価値のない塵から、土くれから人を形造られたという訳ですね。
もし神様がダイヤモンドから人を創造されたなら、なんだかきらきら輝いていて、何がぶつかってきてもその強度で相手を跳ね返してしまうでしょうね。また鉄や鋼で造られていたらどうでしょう。まるでスーパーマンのような存在になったかもしれません。でも、ひんやりと冷たい存在になったかもしれませんねえ。
しかし神様は私たちを最も価値のないそして吹けば飛んでしまうような塵から造られたと言うのです。私たちをダイヤモンドや鉄のような強靱な存在としてではなく、壊れやすい弱い存在として造られたということです。
しかし神様は、そんな弱い、壊れやすい、塵に過ぎないような人をご覧になって、「それは非常に良かった」と言われたのです。
私たちは、健康で、物事がすべてうまくいっているときには、「それは非常に良かった」と考えます。すべてが完璧なときこそが非常に良い状態なのだと考えますね?
でも神様は、人を塵から創造され、弱さを持った存在として造られたのです。そしてその弱さを持った一人一人に対して、「非常に良かった」と言ってくださるのです。
聖書が教えていることは一体何でしょう。人は塵で造られた弱く脆(もろ)い存在であることを自覚することが大切なのですよ。だからこそ自分を造ってくださった神様を信頼しない独りよがりの人生は甚(はなは)だ危険なんですよ、ということを知らなければならないのです。
人は本来、自分では生きていけない、神様に拠り頼みながら生きていく存在として造られました。しかし神様は、そんな弱い私たちを、非常に良い価値ある存在として見ていてくださっているのです。
( PBA制作「世の光」 2024.2.7放送でのお話しより )
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